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逸話
●彼はトスカニーニ同様、オーケストラにとっては厳しい注文をつけることで恐れられた。クリーブランド就任後の1シーズンで楽員の2/3が入れ替わったという。ある者は彼がクビにし、別の者は自ら去ったのである。しかし、セルとトスカニーニとでは注文の仕方が全く異なっていた。トスカニーニ自身は、セルのリハーサルを辛気臭いものと考えていたし、実際にセルのリハーサルに立ち会った際にはあまりの辛気臭さに耐え切れず、たまらずセルを叱り付けている。また、トスカニーニの有名な怒りは一時の嵐のようなものであったが、セルは執拗であったという。しかし、﹁セルは執拗に楽員を締め上げている。人格が悪い﹂と陰口を叩かれているいう噂を聞きつけたトスカニーニは、﹁わしも人格は悪いのだが・・・﹂と自身を引き合いに出してセルを擁護している。また、演奏会中に大失敗をしてしまい、ショックで落ち込んでいる楽員を知り合いの医者に連れて行き、見事立ち直らせたこともあった。クリーブランド管の楽員曰く、﹁セルはハートを持っているが、いつもはそれを隠しているのです﹂︵以上、レヴァント﹃健忘症患者の回想録﹄︶。
●演奏する曲をことごとく暗譜しピアノで弾くことが出来るなど、セルの普段の研究熱心さは際立っていた。リハーサルでも、オーケストラをパートごとに分けて合奏させアンサンブルをチェックするやり方を行った。トスカニーニに頼まれてNBC交響楽団でそのやり方のリハーサルをした時、あまりの徹底ぶりにトスカニーニは﹁わしの音を壊さないでくれ!﹂とぼやいた。
●リヒャルト・シュトラウスの曲の録音に際して、作曲者が遅刻したためセルが替わりにタクトをふった。後半部にシュトラウスが来て振ったが、できあがった音は全くの破たんがなく、シュトラウスは﹁このままでよい。﹂と感心した。
●セルの厳しいトレーニングはプラハ時代から行われていて、名歌手キルステン・フラグスタートは来演の際、あまりのスパルタぶりに舞台に上がるのが怖くなったという。
●来日公演には作曲家のピエール・ブーレーズが同行し、3回公演を受け持った。病状の進行を知っていた︵とされる︶セルも同意して、いざとなれば代役も務める積りであった可能性もある。ブーレーズはクリーヴランドでストラヴィンスキーの春の祭典などの録音を行っており、馴染みの指揮者であったばかりか、完璧主義者という点でも価値観をともにしていたという。
●セルはピアニストのルドルフ・ゼルキンと音楽院時代の学友で、クリーブランド時代も何度か共演を行った。レコードでもブラームスの2曲のピアノ協奏曲の録音がある。しかし、1968年に行われたブラームスのピアノ協奏曲第1番のレコーディングでは意見が合わず、そのレコーディングが2人の最後の顔合わせとなってしまった。
●セル自身優れたピアニストでもあり、ブダペスト弦楽四重奏団員(ヴァイオリン:ジョゼフ・ロイスマン、ヴィオラ:ボリス・クロイト、チェロ:ミッシャ・シュナイダー)とモーツァルトのピアノ四重奏曲2曲(ピアノ四重奏曲第1番ト単調K.478、ピアノ四重奏曲第2番変ホ長調K.493)の録音があった。その演奏は彼の指揮スタイルを彷彿とさせるものだった。
●カラヤンはセルを非常に尊敬していた。しかし実際に顔をあわせると身長の差︵セルは10cm以上身長が高く182cmあった︶もあって緊張し、セルがカラヤンに意見を求めてもカラヤンは﹁はい、マエストロ﹂と小声で言うのが精一杯だったという。また、1967年のザルツブルク音楽祭にクリーヴランド管を引き連れて出演した際、カラヤンにもクリーヴランド管を指揮させている︵この組み合わせは、同年のルツェルン音楽祭でも公演している︶。
●相当な美食家でもあり、特にワインに関する知識についてはウォルトンが舌を巻くほどだったという。
●ニューヨークのマネス音楽大学で教鞭を執ったこともある。教え子にはジョージ・ロックバーグ、ジェームズ・レヴァイン、マイケル・チャリーなどがいる。
●音楽だけでなく、良い環境を求めて、プログラムの書き方やコンサート案内のやり方、果ては舞台のワックスのかけ方にまで注文を出した。とくに演奏会場のセヴェランスホールの音響の改善には力を入れ、理事会に働きかけるや、建築の専門家や同じ音響にうるさいストコフスキーなどと論議し、分厚いカーペットや豪華な内装を実用本位のそれに替えてしまった。こうして1958年に改装されたホールは見た目は無機質なものになったが、その分最高の音響が醸し出され第一級のスタジオとしても使用できるほど面目を一新した。
参考文献
●三浦淳史﹁ジョージ・セル 完全主義者であり無用の装飾をかなぐり捨てた古典主義者﹂﹃クラシック 不滅の巨匠たち﹄音楽之友社、1993年
●浅里公三﹁ザルツブルク音楽祭のジョージ・セル﹂﹃モーツァルト‥交響曲第35番﹁ハフナー﹂他 ライナーノーツ﹄ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
●藤田由之﹁このディスクによせて﹂﹃ブルックナー‥交響曲第3番ニ短調 ライナーノーツ﹄ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
●吉井亜彦﹁セルのモーツァルトについて﹂﹃モーツァルト‥交響曲第41番﹁ジュピター﹂他 ライナーノーツ﹄ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
●柴田龍一﹁このアルバムのこと﹂﹃ベートーヴェン‥交響曲第3番﹁英雄﹂他 ライナーノーツ﹄ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
●歌崎和彦﹃証言/日本洋楽レコード史︵戦前編︶﹄音楽之友社、1998年。
●満津岡信育﹁海外盤試聴記 比類のないバランス感覚 セルのザルツブルク音楽祭ライヴ﹂﹃レコード芸術2007年12月号﹄音楽之友社、2007年
●山田真一﹁オーケストラ大国アメリカ﹂集英社文庫0589F 集英社 2011年
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