ヴェルナー・エック
ヴェルナー・エック Werner Egk | |
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生誕 |
1901年5月17日 ドイツ帝国、ドナウヴェルト近郊 |
死没 |
1983年7月10日(82歳没) 西ドイツ |
職業 | 作曲家 |
オリンピック | ||
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芸術競技 | ||
金 | 1936 | 管弦楽 |
ヴェルナー・エック︵Werner Egk,1901年5月17日 - 1983年7月10日︶は、ドイツの作曲家。
経歴[編集]
ドナウヴェルト近郊に生まれ、ミュンヘンでカール・オルフに師事[1]。ラジオ放送が始まったとき、彼はマスメディアとしての重要性を悟り、ラジオ放送劇を発展させた。 1930年代初めにオペラとバレエに関心が移り、1935年に最初のオペラ﹁魔法のヴァイオリン﹂をフランクフルト・アム・マインで初演した[2]。他にヘンリック・イプセン原作のオペラ﹁ペール・ギュント﹂︵1938︶があり、彼の代表作として知られるようになる。この作品はヒトラーやゲッベルスに気に入られた[2] ナチス時代には仕事を継続するために、やむなく帝国音楽院での仕事に就いた。 戦後は、指揮者と作曲家の活動に加えて、ベルリン音楽大学学長︵1950-1952︶、ドイツ音楽著作権協会の主要メンバー、著作権協会国際連合のドイツ代表を務めた。しかしナチ時代に現代的音楽が﹁退廃音楽﹂という名で排斥される中、彼の親しみやすい音楽がヒトラーやゲッベルスに賞賛され、ナチのプロパガンダ色が濃厚だったベルリンオリンピックで﹃オリンピック祝典音楽﹄が芸術競技で金メダルを獲得したこと[2]や、ヒトラーユーゲントの映画﹃若者たち﹄のための﹃ドイツ青年の行進曲﹄といった作品により、﹁ナチの協力者﹂というイメージがついてまわることとなった[3]。 それでも、戦後も歌劇﹃審問官﹄︵1956年︶、﹃サン=ドミンゴ島の結婚﹄︵1963年︶・管弦楽曲など旺盛な創作活動を行った。主要作品[編集]
歌劇[編集]
- 魔法のヴァイオリン
- コロンブス
- ペール・ギュント
- アイルランドの物語
- 審問官
- 17日と4分間
バレエ[編集]
- ツァリッサのヨアン
- アブラクサス
- 中国のナイチンゲール
- ロンドンのカサノヴァ
管弦楽作品[編集]
- ゲオルギーカ
- オリンピック祝典音楽
- ヴァイオリン音楽
- 管弦楽のためのソナタ第1番
- 管弦楽のためのソナタ第2番
- フランス組曲
- アッレグリア
声楽曲[編集]
- オラトリオ「大胆で親切な」
- ウィーンの古い有節歌曲による変奏曲
- 聖アントニウスの誘惑
文献[編集]
- Werkverzeichnis Werner Egk. Schott, Mainz 1969
- Ernst Krause: Werner Egk: Oper und Ballett. Wilhelmshaven 1971
- Werner Egk: Die Zeit wartet nicht. Künstlerisches, Zeitgeschichtliches, Privates aus meinem Leben. Mainz/München 1981, ISBN 3-442-33059-9
- Werner Egk. Verzeichnis der veröffentlichten Werke. Schott, Mainz 1991
- Ernst Klee: Das Kulturlexikon zum Dritten Reich – Wer war was vor und nach 1945, S. Fischer Verlag 2007, ISBN 978-3-10-039326-5
- Fred Prieberg: Musik im NS-Staat, Fischer TB, ISBN 978-3-920862-66-8
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 沼野雄司『現代音楽史』中公新書、2021年1月25日。
- 井上和男『改訂版 クラシック音楽作品名辞典』三省堂、1998年2月10日。