「ハワード・バトル」の版間の差分
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|初出場 = MLB / 1995年9月5日<br />NPB / 2000年 |
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|最終出場 = MLB / 1999年10月3日<br />NPB / 2000年 |
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|年俸 = |
|年俸 = |
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|経歴 = |
|経歴 = |
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* マーシークロス高等学校 |
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*[[ |
* [[トロント・ブルージェイズ]] (1995) |
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*[[ |
* [[フィラデルフィア・フィリーズ]] (1996) |
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*[[ |
* [[アトランタ・ブレーブス]] (1999) |
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* [[阪神タイガース]] (2000) |
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* [[セントポール・セインツ]] (2002) |
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* [[ゲーリー・サウスショア・レイルキャッツ]] (2003) |
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'''ハワード・バトル'''︵''Howard Battle'' , [[1972年]][[3月 |
'''ハワード・ディオン・バトル'''('''Howard Dion Battle''' , [[1972年]][[3月25日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ミシシッピ州]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]])。 |
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==来歴・人物== |
== 来歴・人物 == |
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{{by|1990年}}の[[ドラフト会議 (MLB)|MLBドラフト]]4巡目で[[トロント・ブルージェイズ]]に指名され契約。{{by|1995年}}9月5日に[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]デビュー。その後は[[フィラデルフィア・フィリーズ]]、[[アトランタ・ブレーブス]]と渡り歩く。メジャーでの通算安打は9本であるが、[[ランディ・ジョンソン]]からヒットを打ったことがある。
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{{by|2000年}}に[[トニー・タラスコ]]と共に[[阪神タイガース]]に入団し、来日。当初はブレーブス傘下の3Aリッチモンドで24本塁打を放った長打力に加えて、121試合で三振数が66という当時に[[プロ野球監督|監督]]に在任していた[[野村克也]]が好む確実性の高さ<ref>2000年[[日刊スポーツ]]発行プロ野球選手写真名鑑</ref>を見込まれての入団となり、「4番三塁」として期待されたが、太りすぎのため[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ]]も開幕も二軍スタートという有様で、来日直後からその実力は疑問視され、開幕二軍スタートが決定した時は、応援番組の『[[熱血!!タイガース党]]』2代目党首の[[福本豊]]に、「アカンな」と一刀両断されていた。 |
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太りすぎのため、キャンプも開幕も二軍スタートという有様だった。三塁守備も巧くはなかったが、何故かバントは巧く、そのためか公式戦でもバントを決める場面もあった。成績は正直全くの期待はずれだったが、彼がベンチにいるとなぜか連勝が続いたため『勝利の大黒様』と呼ばれた。 |
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⚫ | [[オープン戦]]の不振の為に開幕二軍スタートとなったが、[[ウエスタン・リーグ]]開幕から二軍は連勝記録を伸ばし、バトルが一軍に昇格すると今度は一軍が連勝し始めた。 |
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三塁守備も巧くはなかったが、何故か[[バント]]は巧く、そのためか公式戦でも[[犠牲バント]]を決める場面もあった。成績は全くの期待外れだったが、彼がベンチにいるとなぜか連勝が続いたため『勝利の大黒様』と呼ばれた。しかし、チームの連勝が止まるとバトルの成績も急降下。再び二軍に落ち、成績不振で、[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]から[[マイカ・フランクリン]]を獲得することとしたこともあり、シーズン中に解雇された。 |
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== エピソード == |
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これで阪神の外国人選手がシーズン中に解雇されたのは{{by|1996年}}の[[スコット・クールボー]]、[[グレン・デービス (野球)|グレン・デービス]]、{{by|1997年}}の[[マイク・グリーンウェル]]、{{by|1998年}}の[[アロンゾ・パウエル]]、{{by|1999年}}の[[マイク・ブロワーズ]]に続き5年連続となった。 |
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==通算成績== |
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* 13試合 打数44 安打10 本塁打1 打点1 三振14 犠打3 打率.227 |
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⚫ | [[日本野球機構|NPB]]で挙げた唯一の[[打点]]と[[本塁打]]は、[[阪神甲子園球場]]で[[中日ドラゴンズ|中日]]の[[岩瀬仁紀]]から放ったソロホームランであった。 |
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== 詳細情報 == |
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=== 年度別打撃成績 === |
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{|{{年度別打撃成績}} |
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|style="text-align:center;"|{{by2|1995}} |
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⚫ | |style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[トロント・ブルージェイズ|TOR]] |
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|9||19||15||3||3||0||0||0||3||0||1||0||0||0||4||0||0||8||0||.200||.368||.200||.568 |
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|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|1996}} |
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|style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[フィラデルフィア・フィリーズ|PHI]] |
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|5||5||5||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||2||0||.000||.000||.000||.000 |
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|- |
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|style="text-align:center;"|{{by2|1999}} |
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|style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[アトランタ・ブレーブス|ATL]] |
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|15||19||17||2||6||0||0||1||9||5||0||0||0||0||2||0||0||3||1||.353||.421||.529||.950 |
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|style="text-align:center;"|{{by2|2000}} |
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|style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[阪神タイガース|阪神]] |
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|13||51||44||4||10||2||0||1||15||1||0||0||3||0||3||0||1||14||1||.227||.292||.341||.633 |
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!colspan="2"|[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:3年 |
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|29||43||37||5||9||0||0||1||12||5||1||0||0||0||6||0||0||13||1||.243||.349||.324||.673 |
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!colspan="2"|[[日本プロ野球|NPB]]:1年 |
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|13||51||44||4||10||2||0||1||15||1||0||0||3||0||3||0||1||14||1||.227||.292||.341||.633 |
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=== 記録 === |
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;NPB |
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*初出場・初先発出場:2000年4月14日、対[[中日ドラゴンズ]]1回戦([[阪神甲子園球場]])、5番・[[三塁手]]として先発出場 |
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*初安打:同上、4回裏に[[山本昌]]から左前安打 |
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*初本塁打・初打点:2000年4月16日、対中日ドラゴンズ2回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に[[岩瀬仁紀]]から左越ソロ |
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* '''14''' (1995年) |
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* '''34''' (1996年) |
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* '''51''' (1999年) |
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== 脚注 == |
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{{Reflist}} |
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== 関連項目 == |
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* [[阪神タイガースの選手一覧]] |
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== 外部リンク == |
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⚫ | {{MLBstats |mlb= 110693 |espn= 3358 |br= b/battlho01 |fangraphs= 1000674 |cube= Howard-Battle |brm= battle001how}} |
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⚫ | |||
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]] |
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]] |
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[[Category: |
[[Category:アフリカ系アメリカ人の野球選手]] |
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[[Category:トロント・ブルージェイズの選手]] |
[[Category:トロント・ブルージェイズの選手]] |
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[[Category:フィラデルフィア・フィリーズの選手]] |
[[Category:フィラデルフィア・フィリーズの選手]] |
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[[Category:アトランタ・ブレーブスの選手]] |
[[Category:アトランタ・ブレーブスの選手]] |
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[[Category:阪神タイガース及びその前身球団の選手]] |
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[[Category:ミシシッピ州の人物]] |
[[Category:ミシシッピ州の人物]] |
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[[Category:1972年生]] |
[[Category:1972年生]] |
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[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
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[[en:Howard Battle]] |
2023年11月13日 (月) 15:54時点における最新版
基本情報 | |
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国籍 |
![]() |
出身地 | ミシシッピ州ハリソン郡 |
生年月日 | 1972年3月25日(52歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 210 lb =約95.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手 |
プロ入り | 1990年 MLBドラフト4巡目 |
初出場 |
MLB / 1995年9月5日 NPB / 2000年 |
最終出場 |
MLB / 1999年10月3日 NPB / 2000年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物[編集]
1990年のMLBドラフト4巡目でトロント・ブルージェイズに指名され契約。1995年9月5日にメジャーデビュー。その後はフィラデルフィア・フィリーズ、アトランタ・ブレーブスと渡り歩く。メジャーでの通算安打は9本であるが、ランディ・ジョンソンからヒットを打ったことがある。 2000年にトニー・タラスコと共に阪神タイガースに入団し、来日。当初はブレーブス傘下の3Aリッチモンドで24本塁打を放った長打力に加えて、121試合で三振数が66という当時に監督に在任していた野村克也が好む確実性の高さ[1]を見込まれての入団となり、﹁4番三塁﹂として期待されたが、太りすぎのためキャンプも開幕も二軍スタートという有様で、来日直後からその実力は疑問視され、開幕二軍スタートが決定した時は、応援番組の﹃熱血!!タイガース党﹄2代目党首の福本豊に、﹁アカンな﹂と一刀両断されていた。 オープン戦の不振の為に開幕二軍スタートとなったが、ウエスタン・リーグ開幕から二軍は連勝記録を伸ばし、バトルが一軍に昇格すると今度は一軍が連勝し始めた。 三塁守備も巧くはなかったが、何故かバントは巧く、そのためか公式戦でも犠牲バントを決める場面もあった。成績は全くの期待外れだったが、彼がベンチにいるとなぜか連勝が続いたため﹃勝利の大黒様﹄と呼ばれた。しかし、チームの連勝が止まるとバトルの成績も急降下。再び二軍に落ち、成績不振で、日本ハムファイターズからマイカ・フランクリンを獲得することとしたこともあり、シーズン中に解雇された。 これで阪神の外国人選手がシーズン中に解雇されたのは1996年のスコット・クールボー、グレン・デービス、1997年のマイク・グリーンウェル、1998年のアロンゾ・パウエル、1999年のマイク・ブロワーズに続き5年連続となった。 NPBで挙げた唯一の打点と本塁打は、阪神甲子園球場で中日の岩瀬仁紀から放ったソロホームランであった。詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995 | TOR | 9 | 19 | 15 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 8 | 0 | .200 | .368 | .200 | .568 |
1996 | PHI | 5 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1999 | ATL | 15 | 19 | 17 | 2 | 6 | 0 | 0 | 1 | 9 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 1 | .353 | .421 | .529 | .950 |
2000 | 阪神 | 13 | 51 | 44 | 4 | 10 | 2 | 0 | 1 | 15 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 1 | 14 | 1 | .227 | .292 | .341 | .633 |
MLB:3年 | 29 | 43 | 37 | 5 | 9 | 0 | 0 | 1 | 12 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 13 | 1 | .243 | .349 | .324 | .673 | |
NPB:1年 | 13 | 51 | 44 | 4 | 10 | 2 | 0 | 1 | 15 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 1 | 14 | 1 | .227 | .292 | .341 | .633 |
記録[編集]
- NPB
- 初出場・初先発出場:2000年4月14日、対中日ドラゴンズ1回戦(阪神甲子園球場)、5番・三塁手として先発出場
- 初安打:同上、4回裏に山本昌から左前安打
- 初本塁打・初打点:2000年4月16日、対中日ドラゴンズ2回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に岩瀬仁紀から左越ソロ
背番号[編集]
- 14 (1995年)
- 34 (1996年)
- 51 (1999年)
- 99 (2000年)