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[[Image:Mer Baltique.png|right|300px|thumb|バルト三国と周辺諸国の位置関係 地図右下に見える。北からエストニア(空色)、ラトビア(灰色)、リトアニア(薄灰色)]] |
[[Image:Mer Baltique.png|right|300px|thumb|バルト三国と周辺諸国の位置関係 地図右下に見える。北からエストニア(空色)、ラトビア(灰色)、リトアニア(薄灰色)]] |
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'''バルト三国'''(バルトさんごく) |
'''バルト三国'''(バルトさんごく)は、[[バルト海]]沿岸の[[エストニア]]、[[ラトビア]]、[[リトアニア]]の3つの国をいう。三国とも[[北大西洋条約機構]](NATO)、[[欧州連合]](EU)へそれぞれ加盟している。 |
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古くから[[西ヨーロッパ]](特に[[北欧]]諸国と[[ドイツ]])とのつながりが深い。経済開放後の北欧資本の進出は目覚しいものがある。特にエストニア人は[[フィンランド]]人とは同じ人種([[ウラル語族]])であり、強い同種意識を持っている。 |
古くから[[西ヨーロッパ]](特に[[北欧]]諸国と[[ドイツ]])とのつながりが深い。経済開放後の北欧資本の進出は目覚しいものがある。特にエストニア人は[[フィンランド]]人とは同じ人種([[ウラル語族]])であり、強い同種意識を持っている。 |
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==民族== |
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[[エストニア人]]は、フィン・ウゴル系民族でフィンランド人と同じ[[ウラル語族]]である。一方[[ラトビア人]]と[[リトアニア人]]は |
[[エストニア人]]は、[[フィン・ウゴル語派|フィン・ウゴル系民族]]でフィンランド人と同じ[[ウラル語族]]である。一方、[[ラトビア人]]と[[リトアニア人]]はバルト系民族︵[[バルト語族]]︶である。ただし、リトアニアが独自の文化を築いて来たのに比べ、ラトヴィアは[[リヴォニア]]を基礎としていたため、民族の覚醒は[[19世紀]]に起こる。これらの別個の文化を共通化し、また自立化させたのは、中世以来政治的支配を行ってきた[[少数民族]]の[[バルト・ドイツ人]]であった。
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== 歴史 == |
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一口にバルト三国というが、[[近代]]までは |
一口にバルト三国というが、[[近代]]までは別々の歴史を歩んできている。 |
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=== 近代まで=== |
=== 近代まで=== |
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====エストニア==== |
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{{main|エストニアの歴史}} |
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[[近代]]までは[[ドイツ語]]の'''[[エストラント]]'''と言う地名が主流であった。フィンランドと同じく[[フィン・ウゴル |
[[近代]]までは[[ドイツ語]]の'''[[エストラント]]'''と言う地名が主流であった。フィンランドと同じく[[フィン・ウゴル語派|フィン・ウゴル系民族]]である。[[ヴァイキング]]に侵攻を受けた後は、[[ロシア人]]や、[[デーン人]]の侵略を受ける。[[ドイツ騎士団]]に支配された事もあるが、[[13世紀]]に[[デンマーク]]が[[領有]]する。[[16世紀]]に[[リヴォニア戦争]]が起こると、その支配は[[スウェーデン]]に帰する。この時代は、[[バルト帝国|スウェーデン・バルト帝国]]と呼ばれた。[[18世紀]]に起きた[[大北方戦争]]の結果、[[ロシア帝国]]の支配下に入る。
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古くは[[先住民族]] |
古くは[[先住民族]]としてフィン・ウゴル系民族の[[リーヴ人]]が居住していたため、'''[[リヴォニア]]'''と呼ばれた(ドイツ風に'''リヴラント'''とも言われる)。13世紀に[[ドイツ騎士団]]の一組織[[リヴォニア帯剣騎士団]]によって征服される。この[[騎士団]]は、常軌を逸した侵略行為を行ったため、民族はほぼ浄化され、後発の[[バルト人]]に同化された。これ以降、リヴォニアは、ドイツ騎士団、[[リトアニア]]、[[ポーランド王国]]によって支配を受ける。16世紀、[[リヴォニア戦争]]の後にこの地は分断され、南部は[[クールラント公国]]となった。[[17世紀]]に北部リヴォニアは、[[スウェーデン]]領となり、バルト帝国の一州となった。この地も[[大北方戦争]]の後、[[18世紀]]に南北ともロシア帝国に帰することとなった。 |
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====リトアニア==== |
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{{main|リトアニアの歴史}} |
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[[中世]]に'''[[リトアニア大公国]]'''として栄える。この国は非[[キリスト教]]国家だったため、[[東方十字軍]]である[[ドイツ騎士団]]との抗争が繰り返された。しかしリトアニアは[[コサック]]の地である[[ウクライナ]]([[ポドリア]])の |
[[中世]]に'''[[リトアニア大公国]]'''として栄える。この国は非[[キリスト教]]国家だったため、[[東方十字軍]]である[[ドイツ騎士団]]との抗争が繰り返された。しかしリトアニアは[[コサック]]の地である[[ウクライナ]]([[ポドリア]])の領有に成功する。[[1386年]]、リトアニアはドイツ騎士団の侵略に耐えかね、[[ポーランド王国]]と同盟を組む。これがいわゆる[[ポーランド・リトアニア連合]]である。[[リトアニア人]]は[[1430年]]まで自立していたが、以降ポーランドとの[[同君連合]]となり、リトアニア人の地位は低下していった。そして[[1569年]]の[[ルブリン合同]]によって、正式にリトアニア大公国は消滅した。以降のリトアニアはポーランドと運命を共にする。 |
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===近代以降=== |
===近代以降=== |
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三国とも[[ロシア帝国]]に支配されていたが、[[ロシア革命]]ののち三国とも独立を達成した。しかし[[第二次世界大戦]]中の独ソ不可侵条約における秘密議定書によって[[ソビエト連邦]]に併合された。 |
三国とも[[ロシア帝国]]に支配されていたが、[[ロシア革命]]ののちに三国とも独立を達成した。しかし[[第二次世界大戦]]中の[[独ソ不可侵条約]]における秘密議定書によって[[ソビエト連邦]]に併合された。 |
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[[1991年]][[8月20日]]にそろって再独立 |
[[1991年]][[8月20日]]にそろって再独立を果たし、[[ソ連崩壊]]へ大きな影響を与えた。 |
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[[2004年]][[3月29日]]に三国そろって[[北大西洋条約機構]](NATO)へ加盟。同年[[5月1日]]にはやはり三国そろって[[欧州連合]](EU)へ加盟した。 |
[[2004年]][[3月29日]]に三国そろって[[北大西洋条約機構]](NATO)へ加盟した。同年[[5月1日]]には、やはり三国そろって[[欧州連合]](EU)へ加盟した。 |
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==統計<ref>[http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Baltic_states&oldid=141763382#Statistics Baltic States - Statistics] 英語版のウィキペディア記事の項目の翻訳。</ref>== |
==統計<ref>[http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Baltic_states&oldid=141763382#Statistics Baltic States - Statistics] 英語版のウィキペディア記事の項目の翻訳。</ref>== |
2008年3月23日 (日) 16:03時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/Mer_Baltique.png/300px-Mer_Baltique.png)
民族
エストニア人は、フィン・ウゴル系民族でフィンランド人と同じウラル語族である。一方、ラトビア人とリトアニア人はバルト系民族︵バルト語族︶である。ただし、リトアニアが独自の文化を築いて来たのに比べ、ラトヴィアはリヴォニアを基礎としていたため、民族の覚醒は19世紀に起こる。これらの別個の文化を共通化し、また自立化させたのは、中世以来政治的支配を行ってきた少数民族のバルト・ドイツ人であった。歴史
一口にバルト三国というが、近代までは別々の歴史を歩んできている。近代まで
エストニア
ラトビア
リトアニア
近代以降
三国ともロシア帝国に支配されていたが、ロシア革命ののちに三国とも独立を達成した。しかし第二次世界大戦中の独ソ不可侵条約における秘密議定書によってソビエト連邦に併合された。 1991年8月20日にそろって再独立を果たし、ソ連崩壊へ大きな影響を与えた。 2004年3月29日に三国そろって北大西洋条約機構︵NATO︶へ加盟した。同年5月1日には、やはり三国そろって欧州連合︵EU︶へ加盟した。統計[1]
人口が一番多い都市 ●リガ︵![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/84/Flag_of_Latvia.svg/25px-Flag_of_Latvia.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/11/Flag_of_Lithuania.svg/25px-Flag_of_Lithuania.svg.png)
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/84/Flag_of_Latvia.svg/25px-Flag_of_Latvia.svg.png)
- カウナス(
リトアニア)335,624人
- リガ(
ラトビア)312,858人
- ヴィリニュス(
リトアニア)312,303人
- タリン(
エストニア)216,996人
- クライペダ(
リトアニア)135,557人
- シャウリャイ(
リトアニア)120,263人
- パネベジース(
リトアニア)113,585人
- タルトゥ(
エストニア)81,550人
- アリートゥス(
リトアニア)66,390人
- マリヤンポレ(
リトアニア)44,555人
注
- ^ Baltic States - Statistics 英語版のウィキペディア記事の項目の翻訳。