近代
近代︵きんだい、英語: modern period︿モダン・ピリオド﹀, modern times︿モダン・タイムス﹀, modern age︿モダン・エイジ﹀︶とは、現代に近い時代[1]︵時代区分︶、または現代[1]。広義には﹁近世﹂と同義だが[1]、一般的には封建主義時代︵近世︶より後の資本主義社会・市民社会の時代を指す[1][2]。
概説[編集]
時代区分としての近代を象徴する要素は、ヴェストファーレン条約に始まる主権国家体制の成立、市民革命による市民社会の成立、産業革命による資本主義の成立、ナポレオン戦争による国民国家の形成など、18世紀後期以降のヨーロッパで成立し、現代世界を特徴付けている社会のあり方である。
19世紀以後、ヨーロッパで完成したこれらの社会のシステムは、日本を初めとする欧米以外の諸国にも伝わり、世界全体を覆うようになる。こうして成立したものが、地球上のほとんど全ての人が排他的な主権国家の国民となり、国民が集まって作られた国家が構成員として参加する国際社会であった。この一連の過程が世界史における近代であり、近世以前の段階にある社会を近代的な社会に変えることを﹁近代化︵modernization︶﹂という。
第一次世界大戦のドイツ帝国兵
時代的な画期としては、西ローマ帝国が崩壊した476年を古典古代の終わり︵以降、中世︶とする意識に対応して、東ローマ帝国︵ビザンチン帝国︶がオスマン帝国に打倒された1453年と見なすことが多かった。これは、古代帝国の遺産である東ローマ帝国が、東方の異質な文明を持つトルコ人に打倒されたという事件自体の衝撃もさることながら、コンスタンティノポリス︵コンスタンティノープル︶からイタリア半島に亡命してきた多くの学者が西ヨーロッパの古典古代研究を刺激し、ルネサンスの人文主義隆盛のきっかけになったという実際的な面を反映していた。
しかしながら、今日では成文憲法・国民国家と資本主義といった近代を象徴する社会・経済・国家のあり方が現れた18世紀末期から19世紀前半を近代の本格的な始まりとして、東ローマ帝国滅亡からルネサンスを経て産業革命までの時代を﹁近世︵初期近代︶﹂として﹁近代﹂から区別する。その場合、大きな転機となったフランス革命の勃発︵1789年︶が転換点と見なされることが多い。従って、この場合はフランス革命からが﹁近代﹂と見なされる。
一方で、日本の歴史学では、ヨーロッパの初期近代に当たる時代の区分として﹁近世﹂という語が広く定着しており、多くの場合、近代とはっきり区別される。
セポイの反乱
アジアの歴史では、欧米列強による植民地化に着目して、アヘン戦争から第二次世界大戦までが﹁近代﹂と見なされている。但し、アヘン戦争前から欧米列強に植民地化されている国家︵例‥インドネシア︶が存在した点にも注意を要する。
露土戦争 (1877年)
西アジア史では、ナポレオンのエジプト遠征以後が﹁近代﹂と見なされている。