ビールかけ
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ビールかけは、スポーツのイベントにおいて優勝した際、祝勝会で選手・監督・コーチおよび関係者などが互いにビールをかけ合う風習である。日本のプロ野球球団が、リーグ戦や日本選手権シリーズなどの優勝時に行うことで知られる。
起源
アメリカ合衆国では、メジャーリーグを始めとして多くのスポーツにおいて、古くから優勝者や優勝したチームがシャンパンをかけ合って喜ぶ習慣︵シャンパンファイト︶があったが、日本にはもちろんこのようなものは存在せず、優勝が決定しても、選手や監督はビールで乾杯をする程度だった。 日本では、1959年︵昭和34年︶、南海ホークスが4年ぶりにリーグ優勝を決めたあと、東京都中野区の﹁中野ホテル﹂︵当時の南海の選手宿舎。現存せず︶で開かれた祝勝会の折にカールトン半田︵日本名・半田春夫︶内野手が、他の選手にビールをかけたことが起源であるとされる[※ 1]。 ハワイ生まれの日系二世でマイナーリーグでプレーした経験もあり、アメリカのシャンパンファイトの風習を知っていた半田は、せっかく優勝したのにビールの乾杯だけで済ませてしまうのは寂しいと思い、﹁アメリカでは、優勝したらこうするんだぜ﹂と言いながら突然、杉浦忠投手の頭にビールをかけた。一瞬、周囲の選手たちは﹁何をするのか﹂とあっけにとられたが、やられた方の杉浦がすかさず反撃して半田にビールをかけたところ、﹁面白そうだ﹂とその場にいた人間があっという間に真似をし始めた。厳格な指導法で知られた監督の鶴岡一人は、最初は何が始まったのか理解できない様子だったが、そのうち自分の顔にもかけられて喜んでいたという。 これに関し、当時、参加した野村克也は後に﹁巨人に勝った年の祝勝会で、旅館の畳の上でいきなりやってしまい、旅館に滅茶苦茶怒られた﹂というエピソードを明かしている[1]。これは会場が畳部屋で、祝勝会の終了後は部屋が使用できなくなってしまった︵畳を全て交換する必要が生じた︶ためであり、球団に対しても旅館から厳重な抗議申し入れがあったという。 半田はこれにとどまらず、もう一人の外国人選手だったジョン・サディナとともに、選手たちにコーチの蔭山和夫と柚木進を胴上げしてユニホームのまま風呂に投げ込むことを提案して実行したことを、鶴岡が著書で記している[2]。 その後南海が日本シリーズで読売ジャイアンツを破って悲願の日本一となった後の祝勝会︵最終戦が後楽園球場だったため、こちらも中野ホテルが会場︶でもビールかけがおこなわれ、ビールを浴びた選手たちはユニホーム姿のまま風呂に飛び込んで喜びを爆発させたという[3]。 これとは別に﹁1960年に入団したピッチャーのジョー・スタンカ選手が、周りの選手たちにビールをかけて周ったのが最初﹂との説もある[※ 2]。いずれにせよ1960年前後の南海ホークスが、日本で初めて優勝決定後のビールかけを実施したものと思われる。 これ以後、ビールかけは日本のプロ野球の伝統的な風習として定着するようになった。1962年に阪神タイガースがリーグ優勝したときの新聞記事には﹁頭からビールをぶっかけられておどり上がるソロムコ選手﹂という記述があり、この時点で他の球団にも伝わっていたことがわかる[※ 3]。なお映像として残っているものとしては、1966年に読売ジャイアンツがリーグ優勝した際に行われたものを日本テレビが収録した映像が最古と見られている[4]。現在
会場は、選手宿舎のガーデンや球場の駐車場など、広いスペースを確保できる場所を利用することが多い。1991年︵平成3年︶にセ・リーグ優勝を決めた広島東洋カープは、ビールかけを広島市民球場のグラウンドでファンが見守る中で挙行している。近年は派生としてサヨナラゲームの際、サヨナラ打点を挙げた打者に仲間達がペットボトルのミネラルウォーターをかけて称える事がある。環境問題
ビールかけは、飲料を本来の用途として用いずに、大量の汚水を発生させる行為であり、環境への負荷も大きい。これに関し、東北楽天ゴールデンイーグルスやベガルタ仙台などが本拠地としている仙台市の条例では、汚水・雨水を排水する事業体に対し、排水の水質に厳しい条件を設けている。このため、仙台市内で大規模なビールかけを実施する場合は、発生した汚水を直接に排出するのではなく、バキュームカーで吸い込んだ後に処理する必要がある。実際にクリネックススタジアム宮城では、2010年にパ・リーグを優勝した福岡ソフトバンクホークスや、2013年の日本シリーズで優勝した楽天が、試合後のビールかけのためにバキュームカーを用意した[5][6]。なお楽天は2013年のクライマックスシリーズ優勝時の祝勝会では室内練習場でのシャンパンによる乾杯にとどめられ、ビールかけは実施されなかった[7]。その他の自治体にも同様の基準があるが、仙台市以外では50トン以下の排水に対し基準が適用されないため、ビールかけの実施に支障はない[8]。未成年者の扱い
20歳未満の飲酒を禁止する未成年者飲酒禁止法の罰則は、経口での飲酒時に適用されるため、身体などにかける場合であれば違法ではないと解釈されている。その為、当時は未成年ながらレギュラーメンバーとして優勝に貢献した清原和博︵1986年・西武ライオンズ︶や桑田真澄︵1987年・読売ジャイアンツ︶、真田裕貴︵2002年・読売ジャイアンツ︶がビールかけに参加しても、違法行為として本人や球団に処罰が下ることはなかった。 しかしながら近年は、未成年選手が優勝祝賀会に参加するのを自粛したり、ノンアルコール飲料で代用するなどの対応を行う球団が増えている。2008年のセントラルリーグ優勝の読売ジャイアンツでは、未成年だった遊撃手レギュラーの坂本勇人は、﹁ビールをかけないでください。私は未成年です﹂と大きく書いたたすきをかけ、口に﹁×﹂マークイラスト付マスクをして、炭酸水をビールの代わりにかけてもらっていた[9]。翌年にも、ジャイアンツは未成年であった中井大介、大田泰示に対し、同様の対応を実施している。2012年の日本ハムにおいては、未成年の近藤健介は参加できず、会場の入り口で見学となった。2013年の東北楽天ゴールデンイーグルスにおいても、9月26日のリーグ優勝時に未成年であった釜田佳直がビールかけに参加出来なかったが、10月26日に20歳になったため、11月3日の日本一のときは参加した[10]。 また他競技においても、2012年に女子サッカーなでしこリーグのINAC神戸レオネッサがリーグ優勝した際の祝勝会では、未成年の仲田歩夢がいる関係からビールの代わりに1000本のノンアルコールビールを使用したビールかけを行った[11]。ビールかけ中止の年と理由
ビールかけは毎年必ず行われるわけではなく、種々の理由で中止されたりかける物が変更された年もある。年度 | チーム | 中止の理由 |
---|---|---|
1973年(昭和48年) | 巨人 | 試合終了後に騒動があったため、川上哲治監督の「今日はもう早く帰りたい」の一言で中止 |
1982年(昭和57年) | 西武 | 前期優勝決定後行わず。プレーオフ勝利後に行っている |
1985年(昭和60年) | 西武 | リーグ優勝が決まった日は、優勝パーティーはあったが広岡達朗監督が体調不良で欠場し、ビールかけのセレモニーはしなかった。ただケーキを顔に当てたりする選手が若干名いた。帰京し広岡監督が復帰してから改めて祝勝会・ビールかけを行った |
1988年(昭和63年) | 中日・西武 | 昭和天皇の病状を考慮して中止。ただし祝勝会は「慰労会」として実施 |
1997年(平成9年) | ヤクルト | シャンパンファイト。ビールは使用せず |
1999年(平成11年) | ダイエー | 「商品を無駄にしている」という世論の批判を考慮して、“祝勝水”(炭酸水)で代用 |
2000年(平成12年) | 巨人 | シャンパンファイト。ビールは使用せず |
2001年(平成13年) | ヤクルト・近鉄 | アメリカ同時多発テロ事件を考慮して中止 |
また、1984年︵昭和59年︶に広島が優勝した折には、﹁ビールかけは資源を浪費する無益な行為﹂という投書が直前に新聞に掲載されたため、報道陣をシャットアウトしてビールかけを行った例がある。
1990年︵平成2年︶には、シーズン終盤の9月4日に当時の吉國一郎コミッショナーが﹁飲食物を粗末にすることに違和感がある﹂として、優勝時のビールかけの自粛を求める﹁強い要望﹂を述べたが、この年優勝した巨人・西武ともこの要請を無視する形でビールかけを実施した[12]。
野球日本代表がワールド・ベースボール・クラシックで優勝した際︵2006年、2009年︶はシャンパンファイトを行なった。
海外
世界的なビールどころとして知られるドイツでもビールかけが行われている[13]。脚注
注釈
(一)^ 大沢啓二﹃球道無頼﹄︵集英社、1996年︶P74。優勝を決めたのは後楽園球場での対大毎オリオンズ戦だった。なお、大沢は半田の名前を﹁カール半田﹂と誤記している
(二)^ スタンカの加入後、最初のリーグ優勝は1961年︵日本シリーズは敗退︶、最初の日本一は1964年であるが、そのいずれかは明確ではない。ただし、後述のとおり1962年には阪神の優勝祝賀会でもおこなわれた記録があるため、﹁最初﹂であるとすれば1961年のリーグ優勝時となる。アメリカ育ちのスタンカ選手はアメリカ風のシャンパンファイトを既に知っていたので、優勝祝賀会でビールかけを最初に始めたと考えても不自然ではない。
(三)^ 朝日新聞1962年10月4日。吉田義男によると、合宿所の虎風荘が会場で、ソロムコの口火でおこなわれたという︵吉田義男﹃牛若丸の履歴書﹄日経ビジネス人文庫、2009年、P72︶。
出典
(一)^ “楽天、二死からの逆転劇!ついに鷹抜き2位浮上”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2009年10月1日). オリジナルの2009年10月4日時点におけるアーカイブ。
(二)^ 鶴岡一人﹃南海ホークスとともに﹄︵ベースボール・マガジン社、1962年︶P307。
(三)^ 永井良和・橋爪紳也﹃南海ホークスがあったころ﹄︵紀伊國屋書店、2003年︶P81。
(四)^ 日テレG+月間PR・2012年9月放送分
(五)^ “ビールかけ用にバキュームカーも”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2010年9月24日). オリジナルの2010年9月27日時点におけるアーカイブ。
(六)^ ﹁その瞬間を待つ 楽天、日本一へ決戦﹂朝日新聞︵宮城版︶2013年11月2日
(七)^ “ビールかけなし…意外に質素な祝勝会”. デイリースポーツonline (神戸新聞社). (2013年10月22日)
(八)^ “ノムさん日本一でもビールかけなし!?…仙台市の条例違反”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2009年10月22日). オリジナルの2009年10月23日時点におけるアーカイブ。
(九)^ “巨人坂本20歳の誓い来年こそビールかけ”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2008年12月15日)
(十)^ 楽天・ジョーンズ﹁この優勝は東北にささげたい﹂︵サンケイスポーツ 2013年11月4日︶
(11)^ “川澄富士山、沢は魚…祝勝会/なでしこL”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2012年10月28日)
(12)^ 朝日新聞1990年9月24日、31面
(13)^ ブンデスリーガ最終節、バイエルンは勝利でオリバー・カーンの引退を飾る︵ブログ﹁サッカー晴れたり曇ったり﹂より︶