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「井上井月」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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明治18年([[1885年]])秋ごろ、句集『余波の水茎(なごりのみづぐき)』を刊行。本書は、井月が集めた諸家の発句をまとめ、井月の弟子であった美篶村の塩原梅関(本名折治)が開板したものである。本書の跋として井月は、後に代表句と評される「'''落栗の座を定むるや窪溜り'''」を、「柳の家」の署名とともに残している。同年、井月の健康を案じた塩原梅関の取り計らいにより塩原家に入籍し、'''塩原清助'''と名乗る。

明治18年([[1885年]])秋ごろ、句集『余波の水茎(なごりのみづぐき)』を刊行。本書は、井月が集めた諸家の発句をまとめ、井月の弟子であった美篶村の塩原梅関(本名折治)が開板したものである。本書の跋として井月は、後に代表句と評される「'''落栗の座を定むるや窪溜り'''」を、「柳の家」の署名とともに残している。同年、井月の健康を案じた塩原梅関の取り計らいにより塩原家に入籍し、'''塩原清助'''と名乗る。


2012年2月24日 (金) 04:00時点における版

橋爪玉斎による、羽織袴姿の井月の肖像

  51822 - 202161887310[1]19


5182230101839[2] 51852綿

518583030[3]宿

便[4]

318635

1864100

21869西51872911371874918769

1218793

181885

1918861220188721666[1] 91920


51822婿

[5]


[6] 使[7]

[8][9]

16121841宿

130041000







西



















姿[10]

8

655[11][12]

64

後世への影響


調101921[13]

[14]

5193010

131938

311956宿

49197411

6219871003




5829193435242

414193933153531004
 井月の墓を前にして
・お墓したしくお酒をそゝぐ
・お墓撫でさすりつゝ、はるばるまゐりました
・駒ヶ根をまへにいつもひとりでしたね
・供へるものとては、野の木瓜の二枝三枝

[15]


6198612COMIC  姿鹿


  • 降るとまで 人には見せて 花曇り
  • 落栗の 座を定めるや 窪溜り
  • 石菖や いつの世よりの 石の肌
  • 何処やらに 鶴の声きく かすみかな

脚註



(一)^ ab調

(二)^ 

(三)^ 198726p

(四)^ 

(五)^ 198714-15p

(六)^ 198733p

(七)^ 

(八)^ 1

(九)^ 198745p

(十)^ 1987177p

(11)^ 

(12)^ 

(13)^ 19877-8p

(14)^ 198711p

(15)^  

参考文献

  • 瓜生卓造『漂鳥のうた 井上井月の生涯』、牧羊社、1982
  • 宮脇昌三『井月の俳境』、鞜青社、1987
  • 江宮隆之『井上井月伝説』、河出書房新社、2001
  • 春日愚良子『井月の風景』、ほおずき書籍、2006
  • 中井三好『漂泊の俳人 井上井月記』、彩流社、2007
  • つげ義春『無能の人・日の戯れ』、新潮文庫、1998

外部リンク