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「京職」の版間の差分

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'''京職'''(きょうしき)とは、[[日本]]の[[律令制]]において[[首都|京]](みやこ)の司法、行政、警察を行った[[行政機関]]である。古訓はミサトヅカサ<ref>万葉集 16・3859</ref>。 [[唐名]]は、[[京兆府]]、[[馮翊]]、[[扶風]]など。京は碁盤の目状に大路・小路が整備され([[条坊制]])、京内の東側を「左京(さきょう=南面する玉座より見て左)」、西側を「右京(うきょう=南面する玉座より見て右)」と呼び、「'''左京職'''(さきょうしき)」・「'''右京職'''(うきょうしき)」に分かれていた。なお、'''京職'''(きょうしょく)は[[京都所司代]]の別称<ref>旺文社 古語辞典 第3版 「きゃうしき」「きょうしょく」「みさとづかさ」より</ref>。

'''京職'''(きょうしき)とは、[[日本]]の[[律令制]]において[[首都|京]](みやこ)の司法、行政、警察を行った[[行政機関]]である。古訓はみさとづかさ<ref>万葉集 16・3859</ref>。 [[唐名]]は、[[京兆府]]、[[馮翊]]、[[扶風]]など。京は碁盤の目状に大路・小路が整備され([[条坊制]])、京内の東側を「左京(さきょう=南面する玉座より見て左)」、西側を「右京(うきょう=南面する玉座より見て右)」と呼び、「'''左京職'''(さきょうしき)」・「'''右京職'''(うきょうしき)」に分かれていた。なお、'''京職'''(きょうしょく)は[[京都所司代]]の別称<ref>旺文社 古語辞典 第3版 「きゃうしき」「きょうしょく」「みさとづかさ」より</ref>。



== 職掌 ==

== 職掌 ==


2019年9月5日 (木) 08:28時点における版


[1] 西[2]

職掌


[3][4]18876[5][6]

西

調[7]12

4862[8]10使14[9]

制度の比較


西[10]

武家官位としての京職


[11]


職員

それぞれ左右二職に設置された

  • 史生
  • 職掌 新設
  • 使部
  • 直丁

被官として 東・西市司

備考:藤原仲麻呂政権下で左右京を一人で統治する京尹(きょういん)が置かれた。

任官者一覧

左京大夫

氏名 在任期間 備考
藤原長房 天喜6年正月24日(1058年2月19日) - 延久元年(1069年)12月 正四位下従三位
のち参議

脚注

  1. ^ 万葉集 16・3859
  2. ^ 旺文社 古語辞典 第3版 「きゃうしき」「きょうしょく」「みさとづかさ」より
  3. ^ 職員令をみると、国司の職掌のうち、寺社・駅伝・勧農・烽候などは京職は行わず(地理的に不要もしくは他の中央官司が行う)、市廛(市場とそこにある店舗)・度量衡・道橋の修理清掃などは京職独特の職務である(市川、2009年、P15-21)。
  4. ^ 市川、2009年、P14-27
  5. ^ 類聚三代格』巻17所収・貞観18年6月3日付太政官符
  6. ^ 市川、2009年、P128-140・166-179・189-192
  7. ^ 市川、2009年、P82-98
  8. ^ 日本三代実録』貞観4年3月15日条
  9. ^ 市川、2009年、P103-113・269-278
  10. ^ 市川、2009年、P216-264
  11. ^ 今谷明『戦国大名と天皇 室町幕府の解体と王権の逆襲』(講談社学術文庫、2001年) ISBN 4-06-159471-0 P89-94

参考文献

関連項目