「千夜一夜物語」の版間の差分
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===欧州言語の翻訳本=== |
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欧州言語に翻訳発行されたものでは、次のものが著名である。 |
欧州言語に翻訳発行されたものでは、次のものが著名である。なお﹁ガランは子ども部屋に、レインは図書館に、ペインは書斎に、バートンはドブに﹂という評言がある。<ref name=nishio2011>西尾哲夫 ﹃世界史の中のアラビアンナイト﹄ NHK出版、2011年</ref>
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;ガラン版 |
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:1704年から1717年にかけてアントワーヌ・ガラン(Antoine Galland、1646年-1715年)の翻訳によりフランス語で出版された。全12巻。第1巻から第7巻はガラン写本を元に翻訳され、第8巻以降は別の写本を元に翻訳されている。この版により初めてヨーロッパに千夜一夜物語が紹介され、大きな反響を呼んだ。<ref name=nishio2010></ref> |
:1704年から1717年にかけて[[アントワーヌ・ガラン]](Antoine Galland、1646年-1715年)の翻訳によりフランス語で出版された。全12巻。第1巻から第7巻はガラン写本を元に翻訳され、第8巻以降は別の写本を元に翻訳されている。この版により初めてヨーロッパに千夜一夜物語が紹介され、大きな反響を呼んだ。<ref name=nishio2010></ref>
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;レイン版 |
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:1838年から1840年にかかてエドワード・ウィリアム・レイン([[:en:Edward William Lane|Edward William Lane]]、1801年-1876年)の翻訳により英語で出版された。家庭向け、児童向けとしての配慮から省略、改定された部分がある。ブーラーク版を元に翻訳されている。<ref name=nishio2010></ref>
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:1838年から1840年にかかてエドワード・ウィリアム・レイン([[:en:Edward William Lane|Edward William Lane]]、1801年-1876年)の翻訳により英語で出版された。家庭向け、児童向けとしての配慮から省略、改定された部分がある。ブーラーク版を元に翻訳されている。<ref name=nishio2010></ref> 同時代のエジプトを知るための社会資料として千夜一夜物語を見ており、200枚を超える挿絵、膨大な注釈を附した。<ref name=nishio2011></ref>
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;ペイン版 |
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:1882年から1884年にかけてジョン・ペイン([[:en:John Payne (poet)|John Payne]]、1842年–1917年)の翻訳により英語で出版された。全12巻。カルカッタ第二版を元に翻訳されている。<ref name=nishio2010></ref>
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:1882年から1884年にかけてジョン・ペイン([[:en:John Payne (poet)|John Payne]]、1842年–1917年)の翻訳により英語で出版された。全12巻。カルカッタ第二版を元に翻訳されている。<ref name=nishio2010></ref>
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;バートン版 |
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:1885年から1888年にかけて[[リチャード・フランシス・バートン| |
:1885年から1888年にかけて[[リチャード・フランシス・バートン|リチャード・バートン]]により英語に翻訳され出版された。本編10巻と補遺6巻から成る。本編10巻は「カルカッタ第二版」を底本としているが、「ブレスラウ版」(アラビア語、欧州で印刷された唯一の原典版、[[チュニス]]から出た写本に基くとしている)「カルカッタ第一版」「ブーラーク版」や他の英訳本等で補足されており、バートンによる脚色を含んでいる。「カルカッタ第二版」に含まれない物語(「アラジン」など)は補遺6巻に収録されている。バートン版は、特に性風俗に関して充実している詳細な訳注に特徴がある。また、他のどの版よりも収録物語数が多く、「もっとも完備している」と言われる。<ref name=nishio2011></ref> |
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;マルドリュス版 |
;マルドリュス版 |
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:1899年から1904年にかけて[[ジョゼフ=シャルル・マルドリュス]]により仏訳され出版された。全16巻。﹁ |
:1899年から1904年にかけて[[ジョゼフ=シャルル・マルドリュス]]により仏訳され出版された。全16巻。﹁完訳﹂﹁逐語訳﹂を謳うが、そもそも特定の本を訳したものではなく、既存の版をベースにマルドリュスが独自に編纂し大幅に加筆したもの。バートン版とは方向性が異なるものの官能性を強調している傾向が強い。[[マラルメ]]や[[ジッド]]などのフランスの文学者から高い評価を受けた。子供向けにリライトされたガラン版を除けば、バートン版と共に世界で最も読まれている千夜一夜物語。<ref name=nishio2011></ref>
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=== 主な日本語訳 === |
=== 主な日本語訳 === |
2012年1月23日 (月) 09:24時点における版
文学 |
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名称
アラビア語の﹁ألف ليلة وليلة﹂は英字表記で﹁alfu lailatin wa lailatun﹂もしくは﹁Alf Laylah wa Laylah﹂、ペルシア語の﹁هزار و یک شب﹂は英字表記で﹁Hezār-o yek šab﹂となり、英語では﹁The Book of One Thousand and One Nights﹂もしくは﹁Arabian Nights Entertainments﹂である。原書名の﹁アルフ・ライラ・ワ・ライラ﹂は、alfが﹁千﹂、laylahが﹁夜﹂の意味で、waが接続詞﹁と﹂であるから、一見すると﹁千夜と一夜﹂となる。アラビア語独特の数の数え方に則り考慮すると、訳としてはむしろ﹁千一夜﹂の方であるが、日本では﹁千夜一夜物語﹂の名称の方が普及している。また、通称の﹁アラビアン・ナイト﹂と言うのは、この物語が初めてイギリスに紹介されたときの題名がArabian Nights Entertainmentsであったこと、また明治初期に本作がアラビア物語などとして翻訳されたことに由来している︵﹃暴夜物語﹄︵1875年︶、﹃全世界一大貴書︵アラビアンナイト︶﹄︵1883年︶など︶。内容
- 実在した登場人物
沿革
原典及び翻訳
アラビア語写本
アラビア語の写本(手書きの本)には、ガラン写本︵シリア写本、15世紀半ば︶、トルコ写本︵16世紀︶、エジプト系写本などが知られているが、内容がそれぞれ異なっている。1704年以前の写本
ガラン版が1704年にヨーロッパで発行され大きな反響を生んだ時以前に作られた写本の主なものには以下のものがある。これらの古い写本にはヨーロッパの影響を受けていない千夜一夜物語の本来の姿があるとされる。 ガラン写本 千夜一夜物語を最初にヨーロッパに紹介したアントワーヌ・ガラン(Antoine Galland、1646年-1715年)が原典とした写本。15世紀半ばに書かれたもので、現存する写本のなかで最古である。全3冊で282夜で終わっている。ガランが1701年ごろにシリア人の友人から入手したものであり、現在、フランス国立図書館の所蔵となっている。[4][5] チュービンゲン写本 15世紀初期に書かれた可能性があるとされる写本。283夜から542夜の部分が残っている。[4] トルコ写本︵カイセリ写本︶ トルコのカイセリに伝わる写本で、16世紀に作られたとされる。カイセリ写本とも言われる。枠物語の結末が書かれた最古のものとされ、それによれば、シャハラザードに子は生まれておらず、ブーラーク版、カルカッタ第二版とこの点において異なっている。[4] マンチェスター写本 イギリスのマンチェスター大学ジョン・ライランズ図書館が所蔵する写本で16世紀前半に作られたとされる。255夜から始まっている。[4] マイエ写本 17世紀後半に作られたとされる写本。冒頭部分から905夜までが収録されている。1702年にフランスのエジプト総領事ベノワ・ド・マイエ(Benoît de Maillet)が購入したものである。[4]1704年以降の写本
ガラン版が1704年にヨーロッパで発行され大きな反響を生んだ時以後に作られた写本の主なものには以下のものがある。これらの新しい写本は数が多く、ヨーロッパの影響を受けているものもあるとされる。 マカン写本 カルカッタ第二版の主な典拠となった写本。イギリスのアレクサンドリア総領事ヘンリー・ソルト(Henry Salt 1780年-1827年)が入手したもので、後にターナー・マカン少佐(1792年-1836年)に渡っている。しかし、現在マカン写本の所在は不明となっている。[4] ゾータンベールのエジプト系写本(ZER) 1704年以後にエジプトで多数作成された写本群で互いに良く似た内容となっている。写本研究者エルマン・ゾータンベール(Hermann Zotenberg 1836年–1894年)により分類されZER(Zotenberg Egyptian Recension)と呼ばれている。ブーラーク版の主な典拠となった。[4] ラインハルト写本 1831年から1832年に作成された写本で、ドイツのエジプト副領事ラインハルトが入手したもの。この写本のエンディングでは、第1001夜にシャハラザードが自分たち自身の物語を始めるという構造になっている。[4]偽写本
ヨーロッパで有名になったガラン版千夜一夜物語は、当初1001夜ない形で最初刊行されたため、1001夜まである完全な形の写本探しが熱狂的に行われた。また、原典となる写本が存在しない有名な話﹁アラジンと魔法のランプ﹂﹁アリババと40人の盗賊﹂の写本探しも行われた。これに伴い偽写本が作られるようになった。偽写本で主なものには次のものがある。アラビア語刊本
欧州言語の翻訳本
欧州言語に翻訳発行されたものでは、次のものが著名である。なお﹁ガランは子ども部屋に、レインは図書館に、ペインは書斎に、バートンはドブに﹂という評言がある。[7]- ガラン版