アッバース朝
- アッバース朝
- الخلافة العباسية الاسلامية
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← 750年 - 1258年
1261年 - 1517年↓ (国旗)
アッバース朝の最大版図(751年)-
公用語 アラビア語 宗教 イスラム教スンナ派 首都 クーファ(750年 - 752年)
アンバール(752年 - 762年)
バグダード(762年 - 836年)
サーマッラー(836年 - 886年)
バグダード(886年 - 1258年)
カイロ(1261年 - 1517年)通貨 ディルハム
ディナール現在 イラク
シリア
クウェート
サウジアラビア
カタール
バーレーン
アラブ首長国連邦
オマーン
イエメン
ヨルダン
イスラエル
パレスチナ
レバノン
トルコ
アルメニア
ジョージア
アゼルバイジャン
イラン
アフガニスタン
パキスタン
トルクメニスタン
タジキスタン
ウズベキスタン
キプロス
ギリシャ
イタリア
エジプト
リビア
チュニジア
アルジェリア
モロッコ -
先代 次代 ウマイヤ朝 モンゴル帝国
フレグ・ウルス
オスマン帝国
マムルーク朝
ブワイフ朝
セルジューク朝
ルスタム朝
イドリース朝
アグラブ朝
ターヒル朝
概要[編集]
イスラム教の開祖ムハンマドの叔父アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブの子孫をカリフとし、最盛期にはその支配は西はイベリア半島から東は中央アジアまで及んだ。アッバース朝ではアラブ人の特権は否定され、すべてのムスリムに平等な権利が認められ、イスラム黄金時代を築いた。 東西交易、農業灌漑の発展によってアッバース朝は繁栄し、首都バグダードは産業革命より前における世界最大の都市となった[1]。また、バグダードと各地の都市を結ぶ道路、水路は交易路としての機能を強め、それまで世界史上に見られなかったネットワーク上の大商業帝国となった。 アッバース朝では、エジプト、バビロニアの伝統文化を基礎にして、アラビア、ペルシア、ギリシア、インド、中国などの諸文明の融合がなされたことで、学問が著しい発展を遂げ、近代科学に多大な影響を与えた。イスラム文明は後のヨーロッパ文明の母胎になったといえる。 アッバース朝は10世紀前半には衰え、945年にはブワイフ朝がバグダードに入城したことで実質的な権力を失い、その後は有力勢力の庇護下で宗教的権威としてのみ存続していくこととなった。1055年にはブワイフ朝を滅ぼしたセルジューク朝の庇護下に入るが、1258年にモンゴル帝国によって滅ぼされてしまう。しかし、カリフ位はマムルーク朝に保護され、1518年にオスマン帝国スルタンのセリム1世によって廃位されるまで存続した。 イスラム帝国という呼称は特にこの王朝を指すことが多い。後ウマイヤ朝を西カリフ帝国、アッバース朝を東カリフ帝国と呼称する場合もある。歴史[編集]
前史[編集]
ザーブ河畔の戦い[編集]
こうした不満を受けてイラン東部のホラーサーン地方において747年に反ウマイヤ朝軍が蜂起した。反体制派のアラブ人とシーア派の非アラブムスリム︵マワーリー︶である改宗ペルシア人からなる反ウマイヤ朝軍は、749年9月にイラク中部都市クーファに入城し、アブー=アル=アッバース︵サッファーフ︶を初代カリフとする新王朝の成立を宣言した。翌750年1月、アッバース軍がザーブ河畔の戦いでウマイヤ朝軍を倒し、アッバース朝が建国された。ウマイヤ朝の王族のほとんどは残党狩りによって根絶やしにされたが、第10代カリフ・ヒシャームの孫の一人が生き残り、モロッコまで逃れた。彼は後にイベリア半島に移り、756年にはコルドバで後ウマイヤ朝を建国してアブド・アッラフマーン1世と名乗ることとなった。アッバース革命[編集]
アッバース朝の最盛期[編集]
衰退への道[編集]
ハールーン・アッ=ラシードは二人の息子に帝国を分割して統治し、弟が帝国中枢を、兄が帝国東部を治めるよう言い残して809年に死去したが、2年後の811年、兄が東部のホラーサーンで反乱を起こし、813年にバグダードを攻略して即位していた弟のアミーンを処刑、マアムーンと名乗ってカリフに就任した。しかしマアムーンは根拠地であるホラーサーンを離れず、そのためにバグダードは安定を失った。819年には帝国統治のためマアムーンがバグダードに戻るが、ホラーサーンを任せた武将のターヒルは自立し、ターヒル朝を開いてイラン東部を支配下におさめた。 第7代カリフのマアムーンはギリシア哲学に深い関心を持ったカリフとして知られる。彼はバグダードに﹁知恵の館﹂という学校・図書館・翻訳書からなる総合的研究施設を設け、ネストリウス派キリスト教徒に命じてギリシア語文献のアラビア語への翻訳を組織的かつ大規模に行った。翻訳されたギリシア諸学問のうち、アリストテレスの哲学はイスラム世界の哲学、神学に影響を与えた。 その後、バグダードとその周辺には有力者の手で﹁知恵の館﹂と同様の機能を有する図書館が多く作られ、学問研究と教育の場として機能した。バグダードは世界文明を紡ぎ出す一大文化センターとしての機能を果たした。 マアムーンが死ぬと、836年に弟のムウタスィムが即位した。彼はマムルーク︵軍事奴隷︶を導入し、アッバース朝の軍事力を回復させることに努めたが、この軍はバグダード市民と対立したため、836年、バグダード北方に新首都サーマッラーを造営して遷都を行った。しかしこのころから各地で反乱が頻発するようになり、アッバース朝の権威は低下していく。第10代カリフのムタワッキル没後は無力なカリフが頻繁に交代するようになり、衰退はさらに進んだ。868年には帝国のもっとも豊かな地方であったエジプトがトゥールーン朝の下で事実上独立した。 869年にカリフのお膝元にあたるイラクの南部で黒人奴隷が起こしたザンジュの乱は、独立政権を10年以上存続させる反乱となり、カリフの権威を損ねることとなった。政治的混乱[編集]
アッバース朝のイラク支配回復[編集]
モンゴル襲来とバグダード・アッバース朝の滅亡[編集]
バグダード・アッバース朝の滅亡後[編集]
カイロ・アッバース朝のカリフ存続[編集]
1261年、アッバース朝最後のカリフの叔父ムスタンスィルが遊牧民に護衛されてダマスカスに到着したとの知らせを受けたマムルーク朝第5代スルタンバイバルスは、この人物をカイロに招き、カリフ・ムスタンスィル2世として擁立した。カリフはバイバルスにアッバース家を象徴する黒いガウンを着せかけ、これをまとったバイバルスはカイロ市内を騎行したと伝えられる。これ以後、250年にわたって次々と位に就いたが、彼らはマムルーク朝に合法性を与える価値があったためスルタンの手厚い保護を受けることができた。カイロ・アッバース朝の滅亡[編集]
1517年、オスマン帝国のセリム1世によってマムルーク朝が滅ぼされると、最後のカリフ・ムタワッキル3世は数千人によるエジプト人のアミール、行政官、書記、商人、職人、ウラマーなどを伴ってイスタンブールに移住した。このとき、エジプトの民衆は深い悲しみに陥ったと伝えられる。アッバース家のカリフの存在は、2世紀を経て、エジプトのムスリムのなかに根を下ろすようになったとみるべきであろう。 その後、セリム1世はムタワッキル3世以降のアッバース家のカリフの継承を認めず、1543年にムタワッキル3世が死ぬとアッバース朝は完全に滅亡した。歴史家のイブン・イヤースはこの滅亡の経緯について、﹁セリム・ハーンが犯した最大の悪事﹂であると断じている。[3]軍事[編集]
交通[編集]
アッバース朝の大商圏を支えたのが、バグダードから伸びるホラーサーン道、バスラ道、クーファ道、シリア道の4つの幹線道路で、それぞれがバリード︵駅逓︶制により厳格に管理されていた。中央と地方の駅逓局が管理する道路は、幹線を中心に数百に及んでいたとされ、道路に沿い一定間隔で設けられた宿駅にはラクダ、ウマ、ロバなどが配置され、公文書の伝達が行われた。緊急の場合は伝書鳩も使われたという。道路上を公文書が行き交っただけでなく、各地の駅逓局が積極的に情報収集を行い、官吏の動静から穀物物価に至るまで種々の情報を定期的に中央政府に提供した。バグダードの駅逓庁には各地の物産、民情、租税の徴収額、官吏の状況などの膨大な情報が集められ、帝国内部の各駅までの道路案内書も作られた。そうした情報はカリフだけでなく、商人や旅行者、巡礼者も利用することができた。農業[編集]
アッバース朝ではユーラシア規模の農作物の大交流が進み、インド以東、アフリカの農産物がイスラム圏に広がった。南イラクではアフリカ東岸から連れてこられたザンジュと呼ばれる黒人奴隷を利用し、商品としての農作物が大量に栽培された。伝統的な農作物に加えて、米、硬質小麦、サトウキビ、綿花、レモンなどのインド伝来の栽培植物の栽培が進められた。技術面ではイラン高原のカナート︵地下水路︶を用いた砂漠、荒地の灌漑方法が西アジアから北アフリカ、シチリア島、イベリア半島に広まり、農地面積が著しく拡大した。農業の振興がイスラム諸都市の膨大な人口を支えた。経済[編集]
イスラム科学[編集]
アッバース朝では、東ローマ帝国への対抗意識と、アッバース家を権力の座に押し上げたペルシア社会の影響、さらには歴代カリフの個人的好みと名声への野望から、科学分野が飛躍的な発展を遂げた。ソフト面ではクルアーンを読むために必須とされイスラム圏で事実上の共通言語としての地位を築いていたアラビア語、ハード面では唐から伝わった製紙法が科学技術の発展に決定的な影響を与えた。製紙法は751年のタラス河畔の戦いの際捕らえられた唐軍の捕虜の中に紙漉き工がいたことからアッバース朝に伝わり、757年にはサマルカンドに製紙工場が建設された。793年にはバグダードにも製紙工場ができ、イスラム世界に紙が普及することとなった[6]。 二代目カリフ・マンスールは、サーサーン朝ペルシアのの宮廷で行われていた占星術を利用した政治運営を継承しようとした[7]。そのために、宮廷に占星術師を数多く召し抱え、占星術の実践に必要な天文知を異文化からアラブに積極的に取り入れた[7]。マンスールは新都バグダードの建設の日程を宮廷占星術師ナウバフト、マーシャーアッラーらに占わせた[7]。ナウバフトはペルシア人、マーシャーアッラーはユダヤ人である[8]:304-326。また、インドから来た外交使節のなかに天文学についてよく知る者がいたので、占星術師に命じてその天文知をアラビア語へ翻訳させた[7][8]:304-326。当時のインドの天文知は、天文計算に関する問いと答えを暗記に適した韻文の形式でまとめたもので、口承ベースで伝達されるものであったが、これにより、アラビア語、アラビア文字を使って文書化されることになった[7]。また、インドで考案された正弦やインド数字を使用する十進位取り記法が利用されるようになった[7]。翻訳者はファザーリーと言われ、この人物はイスラーム圏ではじめてアストロラーベを製作した者であるともされる[7][8]:304-326。なおビールーニーによると、ファザーリーの翻訳したインドの天文知は、インドにいくつかあった天文知の体系のなかでもブラフマグプタの﹃ブラフマスピュタシッダーンタ﹄であったとのことである[8]:304-326。しかし20世紀以後の検証により、それにはさらにサーサーン朝のシャーの命により作られた天文書の内容も組み込まれていることが判明した[7]。 天文計算に関する問いと答えを簡潔にまとめたスタイルの天文書は﹁ズィージュ﹂と呼ばれ、ファザーリー以後何度も改訂・継承されていくうちに、アラビアの天文書の中で主要ジャンルとなった[7]。現存する最古のズィージュは七代目カリフ・マアムーンのころから活動していたハバシュのものであるが、これにはインドの天文書にはない天文データ表が含まれている[7]。プトレマイオスの﹃アルマゲスト﹄に倣ったもので、アッバース朝下の自然科学は、このころからギリシアの天文学の影響が顕著になってくる[7]。マンスールがはじめた異文化の翻訳と文化受容はラシード、マアムーンにも引き継がれたが、そのころにはペルシア語著作あるいはペルシア語を介したギリシア語著作の重訳から、ギリシア語著作の直接翻訳あるいはシリア語を介した重訳に移行した[9]。三村 (2022) によるとそのような変化には、宮廷における強力な議論方法として<論証>の重要性の認識があり、厳密な幾何学的論証に裏付けられているプトレマイオス天文学などギリシア科学への関心が高まったという[7]。 マアムーンは科学振興のためバグダードに﹁知バイ恵トルの・ヒ館ク﹂という天文台付きの図書館を建てたと言われる[10]。ヨーロッパのオリエンタリストはアレクサンドリア図書館の模倣であろうと言い慣わしてきたが[11]、サーサーン朝期のジュンディーシャープールにあった学院がモデルであるのは疑いない[10]。その存在には疑問符も付けられ、21世紀現在は少なくとも施設として存在したことはないとされている[9]。しかしマアムーンはピラミッドの内部を調査するため穴を開けさせ、学者たちに地球の大きさを測量させたという、知的好奇心にあふれた君主であった[9][12]。彼の宮廷では、キンディーやフナイン・イブン・イスハークらが活躍して大規模で網羅的なギリシア科学書の翻訳が行われた[7]。バヌー・ムーサー三兄弟やファルガーニー、ムハンマド・イブン・ムーサー・フワーリズミーもマアムーン宮廷に出仕した天文学者である[8]:304-326。 10世紀の書籍商イブン・ナディームが伝える逸話の中で、マアムーンは夢の中でアリストテレスに出会い﹁美とは何か﹂と質問したという[13]。五十嵐 (1984)によると、アッバース朝カリフと古代の哲学者の問答の逸話には、美が何よりもまず知性の領域で問われている点と、その知性が発現され錬磨される領域が法に基づく共同社会であると規定されているという点でイスラームの特徴がよく表れており、さらに、知性と美は融合的理念である、共同体の中で善美なる行為を積むことが人間にとっても本来的な在り方であるという価値観が示されている[13]。ここでいう﹁知性﹂はプロティノスの流出論の影響のもとでイスラームに取り入れられた叡知体を指す言葉であり、古典期からヘレニズム期にかけての古代ギリシアの知の伝統を継承した言葉である[14]。そして、知性の働きにより善美なる行為を積むことこそ神に報いる道であるとして修業に励んだのがスーフィーたちである[13]。 スーフィズムはアッバース朝が成立した8世紀半ばにバスラのラービアが現れ新たな局面を迎えた[15]。ラービアは神の美とその完全性、ただそれだけのために神を崇拝し、禁欲的苦行を重視した宗教心に神への純粋な愛という観念をはじめて持ち込んだ[15]。アッバース朝期、特に五代目カリフ・ラシードから七代目マアムーンのころ、イスラーム法は体系化が進み、神学論争が活発になされた[9][15]。結果、神の唯一性の理論は精緻に整えられ、六信五行といった儀礼的規範の規定が細かく決められていった[16]:63。しかし民衆にとって、信仰は理屈ではなく、神はもっと身近に感じられるものであるはずであった[16]:63。神への愛を深め、神との一体感を得るため修業するスーフィーたちは、このようにアッバース朝下でのイスラームの制度化を背景に現れた[16]:63。9世紀のスーフィー、エジプトのズンヌーンは﹁知性﹂などのいくつかの神秘主義用語を定義し、後続の神秘家に大きな影響を与えたが、彼は神秘家であると同時に錬金術師であった[15]。低次の魂を浄化された安らかなる魂へと転換するという点で、スーフィーの目的は精神的錬金術であるともされる[15]。 錬金術に関しては9-10世紀に、膨大な量の文献がギリシア語やシリア語からアラビア語へ翻訳された[17]。そのうち、のちにラテン語へ翻訳されたものはごく一部にすぎない[17]。伝説的な錬金術師ヘルメスの教えとする文献が2000点にのぼる[17]。有名な緑玉板の初出はマアムーンの宮廷に献上された著者不明の論文である[18]:150-151。エジプトで受け継がれてきたヘルメス主義がバグダードの宮廷にもたらされるに至った途中には、ハッラーンの﹁サービア教徒﹂がかかわった[17]。彼らは古代メソポタミアから続く月神崇拝、星辰崇拝、偶像崇拝を実践していたが、マアムーン期に迫害を避けるためにクルアーンにおいて啓典の民として言及される﹁サービア教徒﹂を自称するようになった民である[17][19]。 イスラームは9-10世紀に、法の体系化に伴い、アッバース朝の支配領域の多様な文化、人種、生活習慣を飲み込む枠組みとして機能するようになった[9]。住民の改宗・イスラーム化も進行したが、他方で、改宗しない住民もイスラームの枠組みに沿った文化、社会を構築するように変容していった[9]。﹁サービア教徒﹂もその後、魔術書を啓典とし、ヘルメスを預言者イドリースあるいはウフノフと同一視することで預言者を持ち[17][18]、至高神として第一原因を観念するといった一神教化を遂げる[19]。同時期に形成されつつあったイスマーイール派シーアは循環的歴史観を基本的理念のひとつとし、この点で占星術におけるヘルメス思想と共通する[18]。 アッバース朝初期に頻発したシーア派の反乱のリーダーは主にカイサーン派とザイド派のイマームであり、政治的静謐主義を貫いてマディーナで学究の日々を送ったフサイン家のムハンマド・バーキルとジャアファル・サーディクの支持者は当時、必ずしも多くなかったようである[20]:99-100。しかし、イスマーイール派と十二イマーム派という、のちのシーア派の二大分派は、彼らの信奉者、イマーム派のなかから生まれた[20]:99-100。イマームがそなえるべき資質に関して、不正義に対して立ち上がる勇気や行動というものを重視したザイド派に対し、イマーム派は知識を重視した[20]:106-113。バーキルとジャアファルの信奉者のなかには、イマームは全知の存在であると主張する者すらもいた。ジャアファル・サーディクは錬金術の分野でよく言及される名であり、イブン・ナディームによるとジャービル・イブン・ハイヤーンに隠された知の一部を教えたという[8]:171-172[20]:99-100。 第5代カリフ、ハールーン・アッ=ラシードに仕えたジャービル・イブン=ハイヤーンは近代化学の基礎を築いた人物である。彼は塩酸、硝酸、硫酸の精製と結晶化法を発明し、金を溶かすことができる王水を発明した。また、彼はクエン酸、酢酸、酒石酸の発見者であるとされる。アルカリの概念も彼が生み出した。 第7代カリフ、マアムーンに仕えたフワーリズミーは、インドとギリシアの数学を総合して代数学を確立したことで知られ、アルゴリズムの語源となった人物である。 アルフラガヌスは第7代カリフ・マアムーンが組織した科学者チームの一員として、地球の直径の測定に参加した。また、水位計測器ナイロメーターの建設に関わった。 知恵の館の主任翻訳官を務めたフナイン・イブン・イスハークはプラトンの﹃国家論﹄やアリストテレスの﹃形而上学﹄、クラウディオス・プトレマイオスの﹃アルマゲスト﹄、ヒポクラテスやガレノスの医学書を翻訳した。 サービト・イブン=クッラはペルガのアポロニウス、アルキメデス、エウクレイデス、クラウディオス・プトレマイオスの著書を訳した。また、友愛数の発見者とされる。 シリアで活躍したバッターニーは球面幾何学、黄道傾斜角を発見した。月のクレーターなど多くの事物にバッターニーの名が残されている。 アル・ラーズィーは実用医学の基礎をつくった人物であり、エタノールを発見し、医療用のためにエタノールの精製も行った。コーヒーに関する最古の記録を残したことでも知られる。イスラム神学 [編集]
文学[編集]
イスラム文明とヨーロッパ[編集]
アッバース朝では多くの物や情報が行き交い、物産の交流と共に文明の交流が進んだ。諸地域の文化、文明を差別なく取り入れたムスリムはユーラシア・アフリカ両大陸にわたるこれまでに見ないほど広範囲な世界文明を作り出した。そうした世界文明の痕跡はアラビア語の広がりからうかがい知ることが出来る。イスラム文明の一部は貿易や戦争によってヨーロッパに輸入し、後の産業革命を間接的に花開かせた。[21]歴代カリフ[編集]
バグダード・アッバース朝[編集]
(一)サッファーフ︵750年 - 754年︶ (二)マンスール︵754年 - 775年︶- 首都バグダードを造営。 (三)マフディー︵775年 - 785年︶ (四)ハーディー︵785年 - 786年︶ (五)ハールーン・アッ=ラシード︵786年 - 809年︶ - 最盛期を達成。 (六)アミーン︵809年 - 813年︶ (七)マアムーン︵813年 - 833年︶ - 知恵の館を設立。 (八)ムウタスィム︵833年 - 842年︶ (九)ワースィク︵842年 - 847年︶ (十)ムタワッキル︵847年 - 861年︶ (11)ムンタスィル︵861年 - 862年︶ (12)ムスタイーン︵862年 - 866年︶ (13)ムウタッズ︵866年 - 869年︶ (14)ムフタディー︵869年 - 870年︶ (15)ムウタミド︵870年 - 892年︶ (16)ムウタディド︵892年 - 902年︶ (17)ムクタフィー︵902年 - 908年︶ (18)ムクタディル︵908年 - 932年︶ (19)カーヒル︵932年 - 934年︶ (20)ラーディー︵934年 - 940年︶ (21)ムッタキー︵940年 - 944年︶ (22)ムスタクフィー︵944年 - 946年︶ (23)ムティー︵946年 - 974年︶ (24)ターイー︵974年 - 991年︶ (25)カーディル︵991年 - 1031年︶ (26)カーイム︵1031年 - 1075年︶ (27)ムクタディー︵1075年 - 1094年︶ (28)ムスタズィール︵1094年 - 1118年︶ (29)ムスタルシド︵1118年 - 1135年︶ (30)ラーシド︵1135年 - 1136年︶ (31)ムクタフィー︵1136年 - 1160年︶ (32)ムスタンジド︵1160年 - 1170年︶ (33)ムスタディー︵1170年 - 1180年︶ (34)ナースィル︵1180年 - 1225年︶ (35)ザーヒル︵1225年 - 1226年︶ (36)ムスタンスィル︵1226年 - 1242年︶ (37)ムスタアスィム︵1242年 - 1258年︶カイロ・アッバース朝[編集]
(一)ムスタンスィル2世︵1261年 - 1262年︶ (二)ハーキム1世︵1262年 - 1302年︶ (三)ムスタクフィー1世︵1303年 - 1340年︶ (四)ワースィク1世︵1340年 - 1341年︶ (五)ハーキム2世︵1341年 - 1352年︶ (六)ムゥタディド1世︵1352年 - 1362年︶ (七)ムタワッキル1世︵第1期‥1362年 - 1377年︶ (八)ムウタスィム(第1期‥1377年︶ (九)ムタワッキル1世︵第2期‥1377年 - 1383年︶ (十)ワースィク2世︵1383年 - 1386年︶ (11)ムウタスィム︵第2期‥1386年 - 1389年︶ (12)ムタワッキル1世︵第3期‥1389年 - 1406年︶ (13)ムスタイーン ︵1406年 - 1414年︶ (14)ムウタディド2世︵1414年 - 1441年︶ (15)ムスタクフィー2世︵1441年 - 1451年︶ (16)カーイム︵1451年 - 1455年︶ (17)ムスタンジド︵1455年 - 1479年︶ (18)ムタワッキル2世︵1479年 - 1497年︶ (19)ムスタムスィク︵第1期‥1497年 - 1508年︶ (20)ムタワッキル3世 ︵第1期‥1508年 - 1516年︶ (21)ムスタムスィク︵第2期‥1516年 - 1517年︶ (22)ムタワッキル3世︵第2期‥1517年︶系図[編集]
Cはカイロ・アッバース朝のカリフ
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| ハーシム家 |
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| アブド・アッラーフ |
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| アリー |
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| ムハンマド |
| アブドゥッラー |
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| イブラーヒーム |
| マンスール2 |
| サッファーフ1 |
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| ハーディー4 |
| ハールーン・アッ=ラシード5 |
| ズバイダ |
| アッバーサ |
| ジャアファル |
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| マアムーン7 |
| ムウタスィム8 |
| アミーン6 |
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| ムハンマド |
| ワースィク9 |
| ムタワッキル10 |
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| ムスタイーン12 |
| ムフタディー14 |
| ムンタスィル11 |
| ムウタッズ13 |
| ムウタミド15 |
| ムワッファク |
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| ラーディー20 |
| ムッタキー21 |
| ムティー23 |
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| ムスタンスィル2世C1 |
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| ワースィク2世C8 |
| ムウタスィムC9 |
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| ムタワッキル1世C7,C10 |
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| ムスタイーンC11 |
| ムウタディド2世C12 |
| ムスタクフィー2世C13 |
| カーイムC14 |
| ムスタンジドC15 |
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| ムタワッキル2世C16 |
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| ムスタムスィクC17 |
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| ムタワッキル3世C18 |
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出典[編集]
参考書籍[編集]
- イブン・ハルドゥーン『歴史序説』、森本公誠訳、岩波文庫(全4巻)、2001年。
- 木村康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説 世界史研究』、山川出版社、改訂版2008年。
- 宮崎正勝『イスラム・ネットワーク アッバース朝がつなげた世界』、講談社選書メチエ、1994年。
- 宮崎正勝『世界史の誕生とイスラーム』、原書房、2009年。
- ダニエル・ジャーカル『アラビア科学の歴史』、遠藤ゆかり訳、創元社「知の再発見」双書、2006年。
- 佐藤次高・鈴木薫編『都市の文明イスラーム イスラームの世界史①』講談社現代新書、1993年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- Abbasids (750-1517)
- Abbasids the 2nd dynasty of caliphs
- Abbasid Caliphs (In Our Time, Radio 4), in Streaming RealAudio
- An On-Going Detailed Account of the History of the Abbasids from an Islamic perspective. Most of the narrations have been sifted through to avoid "biased" theories regardless if the historians as mentioned are Shiite or Sunni.
- Abbasid Caliphate entry in Encyclopaedia Iranica
- 『アッバース朝』 - コトバンク