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*『レモンの花咲く丘へ』[[東京堂書店]] 1910年(戯曲集) |
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*『[[蔦葛木曽桟]]』聚芳閣 1926年(1922-26年『講談雑誌』に連載) |
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*『沙漠の古都』(1923年『新趣味』にイー・ドニ・ムニエ作、国枝史郎訳として発表) |
*『沙漠の古都』(1923年『新趣味』にイー・ドニ・ムニエ作、国枝史郎訳として発表) |
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*『[[八ヶ嶽の魔神]]』(1924-26年『文芸倶楽部』に連載) |
*『[[八ヶ嶽の魔神]]』(1924-26年『文芸倶楽部』に連載) |
2018年3月4日 (日) 06:07時点における版
国枝 史郎︵くにえだ しろう、1887年10月4日 - 1943年4月8日︶は日本の小説家。怪奇・幻想・耽美的な伝奇小説の書き手。他に探偵小説、戯曲なども執筆。
経歴
長野県諏訪郡宮川村︵現在の茅野市︶に、県庁・郡役所勤めの父の四男に生まれる。父の仕事の都合で小学校を点々とし、旧制長野中学に入学、剣道に熱中する。しかし蛮勇が元で放校処分を受け、海軍士官の兄により東京に引き取られ、郁文館中学校入学。 1908年︵明治41年︶中学卒業後、海軍兵学校を受験するが失敗し、早稲田大学英文科に入学。詩や演劇などの創作活動に熱中し、﹃文庫﹄﹃三田文学﹄﹃太陽﹄などに小説を寄稿、大学の先輩小川未明の主宰した青鳥会にも参加。1910年にフォン・ショルツ、ダヌンツィオ、ワイルド、メーテルリンクなどの影響を受けた戯曲集﹃レモンの花の咲く丘へ﹄を自費出版し、高い評価を受けた。1911年頃から演劇活動に打ち込み、東京俳優座や川村花菱の活動に参加、また﹃劇と詩﹄﹃早稲田文学﹄に詩や戯曲を執筆した。 1914年︵大正3年︶に大学を中退して大阪朝日新聞に入社し、新聞記者となる。1917年、松竹座に入社、同社専属の脚本家となる。この年、第二戯曲集﹃黒い外套の男﹄を自費出版。 1920年バセドウ病を患い、松竹座を退社。茅野の実家に戻る。1921年木曽福島町に移住、この頃から大衆文学の執筆を始め、﹃講談倶楽部﹄﹃講談雑誌﹄﹃少年倶楽部﹄などに執筆。1922年 岐阜県中津川に移住するが、すぐに徳島県相生町に移る。青い鳥会のメンバーだった生田蝶介の求めで9月から﹃講談雑誌﹄誌上で﹃蔦葛木曽桟﹄の連載を開始、一躍人気作家となる。1923年に市川すゑと結婚。同年﹃新趣味﹄に探偵小説﹁砂漠の古都﹄を、イー・ドム・ムニエ作の翻訳として発表。翌年﹃文芸倶楽部﹄に﹁八ヶ嶽の魔神﹂を連載。この頃、鎌倉彦郎、宮川茅野雄、西井菊次郎のペンネームも用いた。翌年には﹃苦楽﹄で﹁神州纐纈城﹂、﹃サンデー毎日﹄で﹁名人地獄﹂も連載開始し、4本の長編連載をかかえることになった。また白井喬二の﹁二十一日会﹂に参加、1926年創刊された﹃大衆文芸﹄にも執筆した。 1927年︵昭和2年︶小酒井不木らとともに合作組合﹁耽奇社﹂を結成、﹁飛機脾睨﹂﹁白頭の巨人﹂などに参加、﹃講談倶楽部﹄に﹁神秘昆虫館﹂、﹃文藝春秋﹄に﹁暁の鐘は西北より﹂執筆。 1929年愛知県知多市新舞子に転居。1935年頃から現代小説を書き始めるが成功せず、ダンス教習所や喫茶店などの経営に手を染め、執筆からは遠ざかる。1943年喉頭癌のため聖路加病院で死去。戒名は恭徳院文峰史乗居士[1]。茅野市の宗湖寺に葬られる。 1968年﹃神州纐纈城﹄復刊により再評価され、三島由紀夫にも﹁文藻のゆたかさと、部分的ながら幻想美の高さと、その文章のみごとさと、今読んでも少しも古くならぬ現代性に驚いた﹂︵﹁小説とは何か﹂1972年︶と評される。またこれに続く小栗虫太郎、江戸川乱歩、夢野久作、久生十蘭など怪奇幻想ものブームのさきがけとなった[2]。作品
﹃蔦葛木曽桟﹄﹃八ヶ嶽の魔神﹄﹃神州纐纈城﹄が三大傑作とされる。作品リスト
- 『レモンの花咲く丘へ』東京堂書店 1910年(戯曲集)
- 『蔦葛木曽桟』聚芳閣 1926年(1922-26年『講談雑誌』に連載)
- 『沙漠の古都』(1923年『新趣味』にイー・ドニ・ムニエ作、国枝史郎訳として発表)
- 『八ヶ嶽の魔神』(1924-26年『文芸倶楽部』に連載)
- 『神州纐纈城』(1925-26年『苦楽』に連載、未完)
- 『暁の鐘は西北より』(1927年『文藝春秋』に連載、未完)
- 『神秘昆虫館』1940年
- 『名人地獄』聚芳閣 1925年
- 『銀三十枚』
- 『建設者』平凡社 1929年
- 『南蛮秘話森右近丸』
- 『娘煙術師』(1928-29年『朝日新聞』に連載)
- 『生死卍巴』
- 『十二神貝十郎手柄話』
- 『血煙天明陣』(1933-34年『東京日日新聞』に連載)
- 『ダンサー』春陽堂 1933年(1932年『婦人公論』に連載した現代もの、出版直後に発禁)
- 『あさひの鎧』一誠社 1936年
- 『剣侠』
- 『血曼陀羅紙帳武士』
- 『哥老会事変』 三杏書院 1942年
- 『犯罪列車』未知谷 2013年
作品集・出版物
- 『国枝史郎伝奇文庫』講談社、1976年
- 『国枝史郎伝奇全集』未知谷、1992年
- 講談社大衆文学館『神州纐纈城』1995年、『八ヶ嶽の魔神』1996年、『蔦葛木曽桟』1996年
- 『国枝史郎ベスト・セレクション 伝奇ノ匣1』学習研究社、2001年
- 『国枝史郎探偵小説全集』作品社、2005年
- 『国枝史郎歴史小説傑作選』作品社、2006年
- 『国枝史郎伝奇短篇小説集成』作品社、2007年
- 『神州纐纈城』河出書房新社(河出文庫) 2008年
原作作品
- 石川賢『神州纐纈城』講談社 2004-05年