国鉄8550形蒸気機関車
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/24/JGR-8500II-SteamLocomotive.jpg/220px-JGR-8500II-SteamLocomotive.jpg)
8550形は、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道省等に所属したテンダー式蒸気機関車である。もとは、九州鉄道︵初代︶がアメリカのスケネクタディ︵後のアメリカン・ロコモティブ︶社から輸入したもので、1906年︵明治39年︶に制定された鉄道国有法により国に買収され、国有鉄道籍を得たものである。
九州鉄道は、使い勝手がよく安価な機関車として、1899年︵明治32年︶から1906年にかけ、数次にわたって61両を購入しており、これは明治時代に単一の私設鉄道に導入された機関車としては、日本鉄道がベイヤー・ピーコック社から60両を導入した4-4-0(2B)形機関車︵後の鉄道院5500形︶を押さえて最多両数である。九州鉄道が保有した機関車256両に対して4分の1弱を占める大所帯振りを誇った。
同形機は、台湾総督府鉄道向けに2両、樺太庁鉄道向けに5両が製造されており、樺太庁鉄道向けのものは1943年︵昭和18年︶の南樺太の内地化にともなって国有鉄道籍に編入されている。
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形式図
●全長 : 14,630mm
●全高 : 3,775mm
●軌間 : 1,067mm
●車軸配置 : 2-6-0(1C)
●動輪直径 : 1,372mm
●弁装置 : スティーブンソン式アメリカ形
●シリンダー︵直径×行程︶ : 432mm×610mm
●ボイラー圧力 : 12.7kg/cm2
●火格子面積 : 1.56m2
●全伝熱面積 : 105.6m2︵8587 - 8610は108.8m2︶
●煙管蒸発伝熱面積 : 98.2m2︵8587 - 8610は101.4m2︶
●火室蒸発伝熱面積 : 7.4m2
●ボイラー水容量 : 4.8m3
●小煙管︵直径×長サ×数︶ : 51mm×3,343mm×180本︵8587~8610は190本︶
●機関車運転整備重量 : 42.38t
●機関車空車重量 : 37.75t
●機関車動輪上重量︵運転整備時︶ : 36.91t
●機関車動輪軸重︵第2動輪上︶ : 12.29t
●炭水車運転整備重量 : 26.46t
●炭水車空車重量 : 11.88t
●水タンク容量 : 11.05m3
●燃料積載量 : 3.33t
●機関車性能
●シリンダ引張力 ︵0.85P︶: 8,960kg
●ブレーキ方式 : 手ブレーキ、蒸気ブレーキ→真空ブレーキ→空気ブレーキ
概要[編集]
九州鉄道が、客貨両用の万能機関車として導入した車軸配置2-6-0(1C)の単式2気筒、飽和式テンダ機関車で、先に登場していた旅客用4-4-0(2B)形機関車︵後の鉄道院5700形︶、貨物用2-8-0(1D)形機関車︵後の鉄道院9500形︶の長所を取り入れた機関車として計画された。後の鉄道省C58形と同様の設計思想である。九州鉄道では、初号機の番号をとって154形と呼ばれた。 本形式の番号および製造の状況は次のとおりである。 ●1899年︵12両︶ : 154 - 165︵製造番号5261 - 5272︶ ●1902年︵12両︶ : 191 - 202︵製造番号6153 - 6164︶ ●1903年︵6両︶ : 203 - 208︵製造番号27803 - 27808[1]︶ ●1904年︵6両︶ : 209 - 214︵製造番号27809 - 27814︶ ●1904年︵1両︶ : 215︵製造番号29852[2]︶ ●1905年︵12両︶ : 216 - 227︵製造番号30500 - 30511︶ ●1906年︵12両︶ : 252 - 263︵製造番号41314 - 41325︶ 国有化後の1909年︵明治42年︶に制定された鉄道院の車両形式称号規程では、8550形︵8550 - 8610︶に改称された。 当初の配置は九州鉄道全域にわたり、国有化後は旧官設鉄道線の鹿児島線にも進出していたが、主な配置は鳥栖、熊本であった。大正中期には、前掲の他に大里︵門司︶、鹿児島、大分、浦上などであった。この機関車の特徴的な点は、使い勝手が良かったことから、後年九州から本州に渡り、山陽線沿線や東北地区にまで進出したことで、国有鉄道制式でない機関車としては異例な経過をたどっている。 さらに1921年︵大正10年︶度には、小倉工場で12両が蒸気過熱器を取り付けて、飽和式から過熱式に改造されている。それにともない、弁室部はスライド弁方式からピストン弁方式となった。当初計画では全機に及ぶ予定であったようだが、この12両のみで中止され、改造機は1923年︵大正12年︶3月に8500形︵2代。8500 - 8511︶に改称された。その詳細は次のとおりである。 ●8550 - 8553, 8579, 8581 - 8586, 8589 → 8500 - 8511 8500形分離後の8550形の配置は、43両が門司鉄道局に、6両が大阪鉄道局であったが、1935年︵昭和10年︶には九州島内には23両であったのに対し、広島・大阪両鉄道局に合わせて26両の配置で、ほとんどが入換用であった。さらに太平洋戦争後の1947年︵昭和22年︶にも若干の休車や据え付けボイラー代用車があったものの48両が健在で、四国鉄道局︵4両・8558, 8562, 8571, 8577︶や仙台鉄道局︵4両・8555, 8557, 8570, 8578︶、東京鉄道局︵1両・8567︶にも配置が広がっていた。神戸港で8562,8566,8575,8595の4両が入れ替え用に使用された。廃車は、1945年︵昭和20年︶から始まり、同年5月に1両、1947年に10両、1948年︵昭和23年︶に11両、1949年︵昭和24年︶に18両、1950年︵昭和25年︶に残りの9両が除籍され、形式消滅となった。 一方、過熱器取付改造を受けた8500形については、九州にとどまり、鳥栖や西唐津に配置されて支線用として使用されていたが、太平洋戦争末期から入換用として門司に集められ、1948年1月に5両、1949年に3両、1950年に4両が除籍され、形式消滅となっている。8550形主要諸元[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/JGR-8550SL.jpg/300px-JGR-8550SL.jpg)