「国鉄C63形蒸気機関車」の版間の差分
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2015年9月16日 (水) 12:42時点における版
国鉄C63形蒸気機関車︵こくてつC63がたじょうききかんしゃ︶は、日本国有鉄道︵国鉄︶が計画・設計したテンダー式蒸気機関車の一形式である。国鉄最後の制式蒸気機関車として計画されながら、1956年︵昭和31年︶に設計図が完成したのみで、実際には製造が行われなかった。このため幻の︵蒸気︶機関車とも呼ばれている。
梅小路蒸気機関車館に展示されているC63 1のナンバープレート
こうして1956年には設計図が完成し、まず試作車が製造されることになり、製造命令が下されるはずであった。ところが製造正式決定を前に、無煙化の進捗状況と機関車の需給が再検討され、現段階では蒸気機関車の製造が絶対必要とはいえないとの結論に達し、当分の間は製造を見送り、情勢を見守ることになった。そしてその後すぐ、交流電化及びディーゼル機関車・気動車の技術が確立し、急速に電化・ディーゼル化が進むこととなった。
さらに、国鉄は1959年︵昭和34年︶に﹁動力近代化計画﹂として、1960年︵昭和35年︶の会計年度より蒸気機関車を15年で全廃する計画を立て、実行に踏み切った︵完了は予定通り1975年度の年度末となる1976年3月︶。これにより、蒸気機関車が不足する懸念は全くなくなったばかりでなく、国鉄が蒸気機関車廃止の方針に転換したため、ついにC63形の製造決定が下されることはなかった。
このC63形については、同じく製造中止となったEH50形電気機関車と同様に、製造中止後も数々の情報や資料が紹介されており、日の目を見ることのなかった悲運の形式として、鉄道ファンには広く知られている。
もっとも、基本となったC58形には、各動軸が短軸距で台枠中央に集中して配されていて前後端のオーバーハングが大きく、高速走行時に著しいピッチングとヨーイングが発生する傾向があったことが知られていた。このため、ボイラーの燃焼効率改善を目的として火床面積の拡大を図った本形式の場合、C58形よりもオーバーハングが重く大きくなることからこの症状がさらに悪化し、実際に製造しても当初目標とされたC51形並の走行性能が得られなかった可能性が一部で指摘されている。
なお、その後郡山工場︵現・郡山総合車両センター︶では、若手職員への蒸気機関車関連技術の継承を主な目的に、設計図を元に1/5スケールのライブスチームが製作され、動態のミニSLとしてイベント時などに使用されている。なお、郡山駅1階には模型が展示されている他、梅小路蒸気機関車館の展示室においても模型が展示されている。
このほか、朱色に塗られたC63 1のナンバープレートが梅小路蒸気機関車館に存在している。