「大御食神社」の版間の差分
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大御食神社に関連する作品(上伊那郡史より) |
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== 大御食神社に関連する作品 == |
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﹃上伊那郡史﹄{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=970 }}による。かっこ内は作者。
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* 昔時をあふぎし見れば瑞籬の御蔭の杉の高くもあるかな(西三條季和) |
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* 代々を経しほども知られてうつくしの森の神杉神さびにけり([[佐々木弘綱]]) |
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* あまつなるえみしことむけかへらしゝ美影を今も仰く神杉([[徳大寺実則]]) |
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* 東征旌旆仰雄風、此地王孫曾駐驄、猶是老杉摩碧落、千秋色与大動崇([[野村素介]]) |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2021年2月6日 (土) 12:20時点における版
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大御食神社 | |
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![]() 大御食神社正面 | |
所在地 | 長野県駒ヶ根市赤穂11475(市場割)[1][注 1] |
位置 | 北緯35度43分25秒 東経137度56分55秒 / 北緯35.72361度 東経137.94861度座標: 北緯35度43分25秒 東経137度56分55秒 / 北緯35.72361度 東経137.94861度 |
主祭神 | 日本武尊・五郎姫神・誉田別尊[3][4] |
社格等 | 郷社[3][4] |
創建 | 景行天皇41年頃[1](諸説あり) |
本殿の様式 | 三間社流造[3] |
別名 | 美女ヶ森[1][3] |
例祭 | #祭事参照 |
地図 |
大御食神社︵おおみけじんじゃ︶は、長野県駒ヶ根市赤穂にある神社である。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/47/%E7%8D%85%E5%AD%90%E7%B7%B4%E3%82%8A.JPG/220px-%E7%8D%85%E5%AD%90%E7%B7%B4%E3%82%8A.JPG)
獅子練り
9月21日の例祭︵平成17年から直近の休日︶は、氏子が獅子練りを行う。祭典の中心祭事とされ、毎年、年番耕地の若衆が取り組む。
お練りは、氏子がおかめ・ひょっとこなどと悪魔払いの獅子の機嫌を取りながら神社にお詣りをし、最後に獅子の頭を切り取り奉納する。
この行列に神主は同行せず、祭神三種の名を書いた幣束を捧げた少年三人︵現在は大人︶が裃を着用し、陣笠を頂いて加わっている。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%99%AF.jpg/220px-%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%99%AF.jpg)
大御食神社景
﹃上伊那郡史﹄[6]による。かっこ内は祭神。
●御渡社︵建御名方命・橘姫命︶ - 上古地主神、産土神と伝えられている。
●御続社︵伊弉諾命・伊弉冉・天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神︶ - 後ろの三神を﹁造化の三神﹂という。
●天神社︵菅原道真︶
●伊雑社︵天照大神︶
●稲荷社︵豊受姫神︶
●秋葉社︵迦具土神︶
●若宮社︵佐賀喜霊神・斎異神︶
●諏訪社︵建御名方命︶
●御食津彦社︵八意思兼尊・表春命・五道命・五道山祗命・五道津彦・五道別命・御食津彦︶
●植継社︵吾道赤須彦︶ - 植継大明神とも。
●二木社︵天之御中主神・六孫王経基︶ - 以下の境内社がある。
●社宮司社︵建御名方命︶
●神若衆社︵唯二宮の臣と伝わる︶
●甲子社︵大己貴命︶
●斎殿社︵事代主神︶
●清和荒神社︵王姫︶
●山神社︵大山祇命︶
●山の鼻社︵建御名方命︶ - 以下の境内社がある。
●金比羅社︵大己貴命、香具土神︶
●山神社︵大山祇命︶
●利生稲荷社︵豊受姫神︶
●富士社︵木花咲耶姫︶
●真澄神社︵大山祇神︶[要出典]
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f8/%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E5%A0%82.jpg/220px-%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E5%A0%82.jpg)
大御食神社本殿
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a2/%E8%A5%BF%E8%A1%8C%E6%B3%95%E5%B8%AB%E7%9C%9F%E7%AD%86%EF%BC%88%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%BC%9D%EF%BC%89.jpg)
社宝‥西行法師書
●駒ヶ根市指定有形文化財︵建造物︶
●大御食神社 本殿 - 2011年︵平成23年︶12月27日指定[7]。
●駒ヶ根市指定民俗文化財︵無形民俗文化財︶
●大御食神社 獅子練り - 2017年︵平成29年︶7月25日指定[7]。
●その他社宝など[要出典]
●石棒2本
●西行法師真筆1福
●猿田彦面1個
●日本武尊 木彫立像 ︵平安時代作︶
●日本武尊・八幡神・宮簀姫︵五郎姫︶木彫座像︵御神体︶ 寛延3年 飯田仏師 井出右兵衛運正作
●大陣太鼓 近藤織部祐︵旗本︶献納
●御手掛石 日本武尊ゆかり
●平瓮石 日本武尊ゆかり
●石狛犬 元禄11年 下平村堀内兵次八寄進
●石の鳥居 明治23年 石工北原久平
●灯籠 文久6年 慶応戊辰年
●石灯籠 享保4年
概要
祭神は日本武尊(やまとたけのみこと),五郎姫(いついらつひめ・宮簀媛命(みやすひめのみこと)),八幡神(やはたのみかみ)である。 また、建御名方命が愛(め)で、日本武尊が﹁奇び杉なりや﹂と誉めた古杉を御神木(御蔭の杉)としている。︵現在の木は三代目︶ 118年(景行天皇48年)(神社明細帳では景行天皇51年)創建とされ、2018年(平成30年)に創祀1900年を迎えた。 旧郷社で、現在の建物は小町谷筑後守の代、元治元年(1864)棟梁は立川和四郎冨昌の弟子 斉藤常吉、彫工は名匠立川流 立木音四郎により建替えられたものである。 大御食神社の創建は、社伝記﹁美女ヶ森昔時年代記﹂)によると、 大足彦忍代別天皇の御代四十八年(よそじまりやとせ)、御食彦御蔭の杉の木の下(もと)御安楽居(みやすらい)しその仮宮を神の御殿(みあらか)に見立て、日本武尊を祝い祀りて大御食ノ社(おおみけのやしろ)と御名を附け奉りき。 とある。 別名の﹁美しの杜﹂の名は、社伝記によると、﹁宮簀姫またの名は厳郎姫 を迎えまつりて、所の名を美しの杜と 御名負はせまつる﹂とある。 現在氏子らは﹁美女ヶ森(びじょがもり)﹂と親しみを込めて呼んでいる。祭神
●日本武尊 ●宮簀姫 ●八幡大神 相殿に祀られている。 元慶三年︵879︶石清水八幡ノ宮より迎えられた。その他
古記録
古代文字︵阿比留草文字︶で書かれた社伝記(美女ヶ森昔時年代記)は、景行天皇から村上天皇(天歴5年)までの およそ840年間のことが桐板に記されている。 天明年間に、当時十一棟あった邸宅が焼失、その時 ほとんどの文献は焼失したが、社伝記の写しは火災から免れた。 明治7年、松本博覧会に出品した。 ●代々宮司を務める社家の阿智祝部︵阿智氏︶は、八意思兼神に始まる神の系譜に繋がるとされる[5]。 ●大御食神社の周辺には現在﹁湯奉︵ゆぶ︶の沢﹂という地名︵小字︶が残っている。慶安二年︵1649年︶の御検地帳にもあり、日本武尊が湯浴みをしたと伝わる。 ●宮田村誌によると、﹁日本武尊が大田切川まで来たとき、大水で渡ることが出来なかったが、一頭の馬が馳せ来たのでその馬に乗って無事川を渡った。古老はその馬を、秋冬はこの原に住み、春夏は西山に住む神馬だと申し上げた。﹂という伝説がある。︵駒ヶ嶽御尋書-天保3年︵1832年︶︶ そのとき日本武尊が腰をかけ休んだという﹁御座石﹂が、宮田村駒ヶ原に文化財として残っている。 ●西行が社家に立ち寄り、書を残している。江戸時代後期の旅行家菅江真澄の随筆﹃すわの海﹄に この書についての記述がある。祭事
境内社
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%99%AF.jpg/220px-%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%99%AF.jpg)
文化財
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f8/%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E5%A0%82.jpg/220px-%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E5%A0%82.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a2/%E8%A5%BF%E8%A1%8C%E6%B3%95%E5%B8%AB%E7%9C%9F%E7%AD%86%EF%BC%88%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%BC%9D%EF%BC%89.jpg)
交通アクセス
公共交通機関 JR飯田線・小町屋駅が最寄り。直線距離で1,240メートル[8]。または駒ケ根駅からタクシーで10分間[1]。 自家用自動車 中央自動車道・駒ヶ根インターチェンジから自動車で20分間。普通車15台分の駐車場がある[1]。大御食神社に関連する作品
﹃上伊那郡史﹄[9]による。かっこ内は作者。- 昔時をあふぎし見れば瑞籬の御蔭の杉の高くもあるかな(西三條季和)
- 代々を経しほども知られてうつくしの森の神杉神さびにけり(佐々木弘綱)
- あまつなるえみしことむけかへらしゝ美影を今も仰く神杉(徳大寺実則)
- 東征旌旆仰雄風、此地王孫曾駐驄、猶是老杉摩碧落、千秋色与大動崇(野村素介)
脚注
注釈
出典
(一)^ abcde“大御食神社(美女ヶ森)”. 全国観光情報サイト 全国観るなび. 日本観光振興協会. 2021年2月6日閲覧。
(二)^ “神社紹介 上伊那支部”. 長野県神社庁. 2021年2月6日閲覧。
(三)^ abcd“大御食神社本殿”. 駒ヶ根市. 2021年2月6日閲覧。
(四)^ ab唐沢貞治郎 1921, p. 969.
(五)^ 宝賀寿男編著﹃古代氏族系譜集成﹄中巻、古代氏族研究会、1986年。
(六)^ 唐沢貞治郎 1921, pp. 970–972.
(七)^ ab“指定文化財一覧”. 駒ヶ根市. 2021年2月6日閲覧。
(八)^ “大御食神社”. Mapion 電話帳. ONE COMPATH. 2021年2月6日閲覧。
(九)^ 唐沢貞治郎 1921, p. 970.
参考文献
- 唐沢貞治郎『上伊那郡史』上伊那郡教育会、1921年 。
関連項目
外部リンク
- 『上伊那郡史(大御食神社のページ)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 『日本古代文字考 : 2巻. 上(大御食神社社伝記のページ)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 『美社神字解』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 大(おお)御食(みけ)神社 お練り行列 駒ヶ根市 大御食神社 - 科学映像館