「女子学院中学校・高等学校」の版間の差分
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|校名 = 女子学院中学校・高等学校 |
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高等学校においては生徒を募集しない[[日本の中高一貫校#完全中高一貫校|完全中高一貫校]]<ref>[https://chukou.passnavi.com/chugaku/60720 女子学院中学校の学校情報 - 中学受験パスナビ]([[旺文社]])の冒頭に「※系列高校での募集はない。」と記されている。</ref>。 |
高等学校においては生徒を募集しない[[日本の中高一貫校#完全中高一貫校|完全中高一貫校]]<ref>[https://chukou.passnavi.com/chugaku/60720 女子学院中学校の学校情報 - 中学受験パスナビ]([[旺文社]])の冒頭に「※系列高校での募集はない。」と記されている。</ref>。 |
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[[キリスト教]][[プロテスタント]][[カルヴァン主義|カルヴァン派]][[長老派教会]]の[[キリスト教主義学校|ミッションスクール]]。[[明治]]初期に[[宣教師]]や日本人[[キリスト教徒]]によって建てられた女子中等教育校の一つで<ref name="ota">[https://president.jp/articles/-/14869 日本で「名門女子校」が生まれた理由 |
[[キリスト教]][[プロテスタント]][[カルヴァン主義|カルヴァン派]][[長老派教会]]の[[キリスト教主義学校|ミッションスクール]]。[[明治]]初期に[[宣教師]]や日本人[[キリスト教徒]]によって建てられた女子中等教育校の一つで<ref name="ota">[https://president.jp/articles/-/14869 日本で「名門女子校」が生まれた理由 | プレジデントオンライン] 2015.4.19</ref>、[[1870年]]([[明治]]3年)設立の最古の学校である。 |
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== 概要 == |
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また、同年、現在地に校舎を新築移転し、私立の[[高等女学校]]としてでなく、国による制約を受けない[[各種学校]]として発足した<ref name="ota" />。各種学校では[[高等教育]]機関への入学資格が得られないため、女子学院は、5年間の「本科」の上に「[[高等科]]」を設置し、独自に高等教育を行った<ref name="ota" />。なお、その高等科が母体となって、[[東京女子大学]]が設立された経緯がある。初代院長は[[矢嶋楫子]]。 |
また、同年、現在地に校舎を新築移転し、私立の[[高等女学校]]としてでなく、国による制約を受けない[[各種学校]]として発足した<ref name="ota" />。各種学校では[[高等教育]]機関への入学資格が得られないため、女子学院は、5年間の「本科」の上に「[[高等科]]」を設置し、独自に高等教育を行った<ref name="ota" />。なお、その高等科が母体となって、[[東京女子大学]]が設立された経緯がある。初代院長は[[矢嶋楫子]]。 |
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校名の一部に「女子学院」を冠する学校は多くあるが、校名が |
校名の一部に「女子学院」を冠する学校は多くあるが、校名が単体である唯一の学校である。 |
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制服の着用義務はなく、自由な校風とされる。創立以来の朝の礼拝を特色にもつ。 |
制服の着用義務はなく、自由な校風とされる。創立以来の朝の礼拝を特色にもつ。 |
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=== 略歴 === |
=== 略歴 === |
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*1870年(明治3年) - A六番女学校設立。 |
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*1874年(明治7年) - B六番女学校設立。 |
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*1876年(明治9年) - A六番女学校、B六番女学校がそれぞれ原女学校、新栄女学校に改称。櫻井女学校設立。 |
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*1878年(明治11年) - 原女学校と新栄女学校が合併(校名は新栄女学校)。 |
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*1890年(明治23年) - 櫻井女学校と合併し「女子学院」に改称。現在地に移転。 |
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*1920年([[大正]]9年) - 高等科(現在の大学教育に相当)を[[東京女子大学]]に統合。以後、中高一貫校として今日に至る。 |
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== 校歌 == |
== 校歌 == |
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*作詞:[[別所梅之助]]、作曲:[[岡野貞一]] |
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:歌詞は5番まで存在する。作詞者の別所梅之助は明治末から大正期にかけて女子学院で国語を教えていた<ref>[https://www.joshigakuin.ed.jp/school/song/ 校歌 | 女子学院 中学校・高等学校 公式サイト]</ref>。 |
:歌詞は5番まで存在する。作詞者の別所梅之助は明治末から大正期にかけて女子学院で国語を教えていた<ref>[https://www.joshigakuin.ed.jp/school/song/ 校歌 | 女子学院 中学校・高等学校 公式サイト]</ref>。 |
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=== 政治・経済 === |
=== 政治・経済 === |
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*[[金子みつ]] - 元[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]、元[[日本社会党]]副委員長、元[[東京大学大学院医学系研究科・医学部|東京大学医学部]]助教授、[[キリスト教功労者]] |
*[[金子みつ]] - 元[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]、元[[日本社会党]]副委員長、元[[東京大学大学院医学系研究科・医学部|東京大学医学部]]助教授、[[キリスト教功労者]] |
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*[[桑原幸子 (国際公務員)|桑原幸子]] - 元[[国際連合環境計画|国連環境計画]][[バーゼル条約]]事務局長、元[[国際連合法務局]]首席[[法務官]] |
*[[桑原幸子 (国際公務員)|桑原幸子]] - 元[[国際連合環境計画|国連環境計画]][[バーゼル条約]]事務局長、元[[国際連合法務局]]首席[[法務官]] |
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*[[水鳥真美]] - 日本人女性初の[[国際連合事務総長特別代表|国連事務総長特別代表]] / [[バラク・クシュナー]]ケンブリッジ大学教授の妻 |
*[[水鳥真美]] - 日本人女性初の[[国際連合事務総長特別代表|国連事務総長特別代表]] / [[バラク・クシュナー]]ケンブリッジ大学教授の妻 |
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*[[久布白落実]] - 女性運動家・牧師(キリスト教婦人運動家)、[[褒章#藍綬褒章|藍綬褒章]] / ジャーナリスト[[徳富蘇峰]]の姪 |
*[[久布白落実]] - 女性運動家・牧師(キリスト教婦人運動家)、[[褒章#藍綬褒章|藍綬褒章]] / ジャーナリスト[[徳富蘇峰]]の姪 |
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*[[葛城奈海]] - [[政治活動家]]、[[予備自衛官]]、[[予備役ブルーリボンの会]]幹事長 |
*[[葛城奈海]] - [[政治活動家]]、[[予備自衛官]]、[[予備役ブルーリボンの会]]幹事長 |
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*[[鳩山薫]] - [[教育者]]、[[学校法人共立女子学園|共立女子学園]]創立者・元[[理事長]]、元[[共立女子大学]]学長 / [[鳩山一郎]]の妻 |
*[[鳩山薫]] - [[教育者]]、[[学校法人共立女子学園|共立女子学園]]創立者・元[[理事長]]、元[[共立女子大学]]学長 / [[鳩山一郎]]の妻 |
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*[[渡辺道子]] - 戦後初の女性[[弁護士]]、元[[日本女性法律家協会]]会長、元日本YWCA理事長 |
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*[[芦沢央]] - 小説家 |
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*[[和田夏十]] - [[脚本家]] / [[市川崑]]の妻 |
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*[[岸本佐知子]] - [[翻訳 |
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*[[稲垣美晴]] - 翻訳家 |
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*[[秦早穂子]] - 映画評論家、随筆家 |
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*[[池田蕉園]] - 画家 |
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*[[辛酸なめ子]] - [[漫画家]]、[[タレント]] |
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=== 芸能 === |
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*[[志賀暁子]] - |
*[[志賀暁子]] - 俳優 |
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*[[吉行和子]] - |
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*[[斉藤美和]] - 女優 |
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*[[荒木道子]] - |
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*[[宮崎恭子]] - |
*[[宮崎恭子]] - 俳優、脚本家 / [[仲代達矢]]の妻、[[無名塾]]創設者 |
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*[[宮園純子]] - |
*[[宮園純子]] - 俳優 / 中途退学。 |
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*[[古川美有]] - [[モデル (職業)|モデル]] |
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*[[黒木香]] - 元[[AV女優]] |
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*[[木村美紀]] - [[タレント]]、薬学博士 |
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*[[大原ますみ]] - |
*[[大原ますみ]] - 俳優、[[宝塚歌劇団卒業生]] |
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*[[宮田麻里乃]] - 元タレント、元キャスター / 女子学院中学2年時に中途退学([[成城学園中学校高等学校|成城学園高]]に転校)。2年時に[[ミス日本]]。 |
*[[宮田麻里乃]] - 元タレント、元キャスター / 女子学院中学2年時に中途退学([[成城学園中学校高等学校|成城学園高]]に転校)。2年時に[[ミス日本]]。 |
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*{{要出典|[[池田瑛紗]] - [[アイドル]]([[乃木坂46]])|date=2022年10月}} |
*{{要出典|[[乃木坂46#メンバー|池田瑛紗]] - [[アイドル]]([[乃木坂46]])|date=2022年10月}} |
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*塩塚モエカ - アーティスト([[羊文学]]) |
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*和真あさ乃 - 俳優、宝塚歌劇団月組所属 |
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=== マスメディア === |
=== マスメディア === |
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*[[須磨佳津江]] - 元[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー]]、フリーアナウンサー |
*[[須磨佳津江]] - 元[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー]]、フリーアナウンサー |
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*[[原麻里子]]<!--[http://www.haramariko.com/profile.html 原麻里子 プロフィール] --> - 元[[テレビ朝日]]アナウンサー、フリーアナウンサー、社会人類学者 |
*[[原麻里子]]<!--[http://www.haramariko.com/profile.html 原麻里子 プロフィール] --> - 元[[テレビ朝日]]アナウンサー、フリーアナウンサー、社会人類学者 |
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*[[島津有理子]] - 元NHKアナウンサー、フリーアナウンサー |
*[[島津有理子]] - 元NHKアナウンサー、フリーアナウンサー、医師 |
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*[[膳場貴子]] - 元NHKアナウンサー、フリーアナウンサー |
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*[[馬場典子]] - 元[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]アナウンサー、フリーアナウンサー |
*[[馬場典子]] - 元[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]アナウンサー、フリーアナウンサー |
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*[[松田実生]] - 女性初の[[航空整備士]] |
*[[松田実生]] - 女性初の[[航空整備士]] |
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*[[石塚由紀]] - [[三越伊勢丹]]執行役員、[[伊勢丹]]立川店店長(2015年4月から、三越伊勢丹として女性初の店長) https://mrs.living.jp/tama/a_feature/article/1951128 --><!-- 独立記事未作成 --> |
*[[石塚由紀]] - [[三越伊勢丹]]執行役員、[[伊勢丹]]立川店店長(2015年4月から、三越伊勢丹として女性初の店長) https://mrs.living.jp/tama/a_feature/article/1951128 --><!-- 独立記事未作成 --> |
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*[[有元葉子]] - [[料理研究家]] |
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== 参考文献 == |
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*{{Cite journal|和書 |
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|author = 猪熊建夫 |
|author = [[猪熊建夫]] |
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|title = 名門高校の校風と人脈(26) 女子学院高校(私立・東京都千代田区) |
|title = 名門高校の校風と人脈(26) 女子学院高校(私立・東京都千代田区) |
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|journal = エコノミスト |
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*『女子学院の歴史』 |
*『女子学院の歴史』女子学院史編集委員会編集、学校法人女子学院発行、1985年10月24日 |
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*[https://cir.nii.ac.jp/crid/1390290699553798784 明治日本における女子教育とキリスト教 教育の試みの一例](山田美穂子) |
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== 関連人物 == |
== 関連人物 == |
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*[[メアリー・トゥルー]](Maria T. True [[1840年]]-[[1896年]]) |
*[[メアリー・トゥルー]](Maria T. True [[1840年]]-[[1896年]])- 女性宣教師。[[1874年]](明治7年)来日。初め横浜で伝道に従事し[[横浜共立学園中学校・高等学校|共立女学校]]に勤務、のち東京に移り原女学校、新栄女学校、[[桜井女学校]]に勤めた。 |
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*[[矢嶋楫子]] - ツルーとの出会いをきっかけに新栄女学校の教師となる。その後、櫻井女学校の校主代理となり、「女子学院」の発足に伴い初代院長となった。 |
*[[矢嶋楫子]] - ツルーとの出会いをきっかけに新栄女学校の教師となる。その後、櫻井女学校の校主代理となり、「女子学院」の発足に伴い初代院長となった。 |
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*[[櫻井ちか]] - [[桜井女学校]]の創設者 |
*[[櫻井ちか]] - [[桜井女学校]]の創設者 |
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[[Category:日本のプロテスタント系高等学校]] |
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[[Category:1870年設立の教育機関]] |
2024年6月15日 (土) 01:33時点における最新版
女子学院中学校・高等学校 | |
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北緯35度41分16.4秒 東経139度44分18.2秒 / 北緯35.687889度 東経139.738389度座標: 北緯35度41分16.4秒 東経139度44分18.2秒 / 北緯35.687889度 東経139.738389度 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人女子学院 |
設立年月日 | 1870年 |
創立者 | ジュリア・カロザース |
共学・別学 | 女子校 |
中高一貫教育 | 完全一貫制 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード |
C113310100082 中学校) D113310100151 (高等学校) | (
高校コード | 13508K |
所在地 | 〒102-0082 |
外部リンク | 女子学院 中学校・高等学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要[編集]
女子学院はいくつかの学校から統合してできた学校である。1870年設立のA六番女学校、1874年設立のB六番女学校、1876年設立の櫻井女学校が改称、統合し、1890年に﹁女子学院﹂として発足した。 また、同年、現在地に校舎を新築移転し、私立の高等女学校としてでなく、国による制約を受けない各種学校として発足した[2]。各種学校では高等教育機関への入学資格が得られないため、女子学院は、5年間の﹁本科﹂の上に﹁高等科﹂を設置し、独自に高等教育を行った[2]。なお、その高等科が母体となって、東京女子大学が設立された経緯がある。初代院長は矢嶋楫子。 校名の一部に﹁女子学院﹂を冠する学校は多くあるが、校名が単体である唯一の学校である。 制服の着用義務はなく、自由な校風とされる。創立以来の朝の礼拝を特色にもつ。 プロテスタントのミッションスクールであり、週5日制を踏襲している。そのため、2月1日が日曜日である年では、首都圏で中学受験の受験者が大きく増減する︵サンデーショック︶要因の代表的な学校の一つである。 卒業生の4割ほどは東京大学をはじめとする難関国立大学に進学する。進路は多岐に渡っている。沿革[編集]
1870年︵明治3年︶、ジュリア・カロザース︵C・カロザースの妻︶により、築地居留地六番にA六番女学校が設立された。その後、原胤昭に引き継がれて原女学校となった。 1874年︵明治7年︶、ミス・ヤングマンとミス・パークが同じ築地居留地六番地にB六番女学校を設立。その後、居留地四十二番に移転して新栄女学校となった。 1876年︵明治9年︶、櫻井ちかが麹町に櫻井女学校を設立。櫻井が夫の函館赴任に伴い北海道に去ると、メアリー・トゥルーが経営を引き受け、矢嶋楫子が校主︵現在の校長と理事長を兼ねた職︶代理となり同校を支えた。 1878年︵明治11年︶に原女学校と新栄女学校が合併。さらに1890年︵明治23年︶に櫻井女学校と合併して校名を﹁女子学院﹂に改め、現在地に校舎を新築移転、矢嶋楫子が初代院長となった。略歴[編集]
- 1870年(明治3年) - A六番女学校設立。
- 1874年(明治7年) - B六番女学校設立。
- 1876年(明治9年) - A六番女学校、B六番女学校がそれぞれ原女学校、新栄女学校に改称。櫻井女学校設立。
- 1878年(明治11年) - 原女学校と新栄女学校が合併(校名は新栄女学校)。
- 1890年(明治23年) - 櫻井女学校と合併し「女子学院」に改称。現在地に移転。
- 1920年(大正9年) - 高等科(現在の大学教育に相当)を東京女子大学に統合。以後、中高一貫校として今日に至る。
この節の加筆が望まれています。 |
校歌[編集]
- 歌詞は5番まで存在する。作詞者の別所梅之助は明治末から大正期にかけて女子学院で国語を教えていた[3]。
制服[編集]
著名な出身者[編集]
政治・経済[編集]
●金子みつ - 元衆議院議員、元日本社会党副委員長、元東京大学医学部助教授、キリスト教功労者 ●新藤加菜 - 港区議会議員、動画配信者、ネットアイドル ●桑原幸子 - 元国連環境計画バーゼル条約事務局長、元国際連合法務局首席法務官 ●水鳥真美 - 日本人女性初の国連事務総長特別代表 / バラク・クシュナーケンブリッジ大学教授の妻 ●大塚玲奈 - 国連開発計画環境専門官、ダボス会議グローバル・シェーパーズ・コミュニティ選出 ●白石和子 - 外務省参与、女性・人権人道担当兼北極担当大使、駐リトアニア大使 ●小野日子 - 外務報道官、内閣広報官、外務省経済局長 / 小野啓一外務審議官の妻 ●日向寺裕芽子 - 財務省国際局地域協力調整室長 ●植村環 - 女性運動家・牧師、日本キリスト教会・柏木教会設立者、元日本YWCA会長 / 植村正久牧師の子 ●久布白落実 - 女性運動家・牧師︵キリスト教婦人運動家︶、藍綬褒章 / ジャーナリスト徳富蘇峰の姪 ●葛城奈海 - 政治活動家、予備自衛官、予備役ブルーリボンの会幹事長 ●鳩山薫 - 教育者、共立女子学園創立者・元理事長、元共立女子大学学長 / 鳩山一郎の妻 ●渡辺道子 - 戦後初の女性弁護士、元日本女性法律家協会会長、元日本YWCA理事長学者・知識人[編集]
●白田佳子 - 会計学、東京国際大学特命教授、法務省法制審議会委員、東京国税局土地評価審議会会長、元筑波大学教授、元日本学術会議会員経営学委員長、元アジア学術会議事務局長、 ●池田弘子 - ソプラノ歌手、名古屋芸術大学名誉教授 ●野口貴公美 - 行政法、一橋大学副学長 / 野口悠紀雄一橋大学名誉教授の子 ●青山千春 - 水産学、東京海洋大学准教授 / 青山繁晴の妻 ●江川雅子 - 経営学、一橋大学教授、成蹊学園学園長 ●玉蟲敏子 - 美術史、武蔵野美術大学教授 ●山脇百合子 - 英文学、実践女子大学名誉教授、元日本ギャスケル協会会長 / 童話作家横山美智子の子 ●吉澤夏子 - 社会学、立教大学教授 / 大澤真幸京都大学教授の元妻 ●櫻井敬子 - 行政法、学習院大学教授 ●板坂則子 - 日本文学、専修大学教授 / 池田和臣中央大学教授の妻 ●高松瑞代 - 情報学、中央大学教授文芸・芸術[編集]
●福田英子 - 小説家 ●吉行理恵 - 小説家 / 芥川賞 ●幸田文 - 小説家 ●芦沢央 - 小説家 ●和田夏十 - 脚本家 / 市川崑の妻 ●岸本佐知子 - 翻訳家 ●稲垣美晴 - 翻訳家 ●秦早穂子 - 映画評論家、随筆家 ●池田蕉園 - 画家 ●辛酸なめ子 - 漫画家、タレント ●須田さぎり - 漫画家 ●今日マチ子 - イラストレーター、ライター ●一ノ瀬トニカ - 作曲家芸能[編集]
●志賀暁子 - 俳優 ●吉行和子 - 俳優 ●斉藤美和 - 女優 ●荒木道子 - 俳優 ●宮崎恭子 - 俳優、脚本家 / 仲代達矢の妻、無名塾創設者 ●宮園純子 - 俳優 / 中途退学。 ●古川美有 - モデル ●黒木香 - 元AV女優 ●木村美紀 - タレント、薬学博士 ●大原ますみ - 俳優、宝塚歌劇団卒業生 ●宮田麻里乃 - 元タレント、元キャスター / 女子学院中学2年時に中途退学︵成城学園高に転校)。2年時にミス日本。 ●池田瑛紗 - アイドル︵乃木坂46︶[要出典] ●塩塚モエカ - アーティスト︵羊文学︶ ●和真あさ乃 - 俳優、宝塚歌劇団月組所属マスメディア[編集]
●須磨佳津江 - 元NHKアナウンサー、フリーアナウンサー ●原麻里子 - 元テレビ朝日アナウンサー、フリーアナウンサー、社会人類学者 ●島津有理子 - 元NHKアナウンサー、フリーアナウンサー、医師 ●膳場貴子 - 元NHKアナウンサー、フリーアナウンサー ●馬場典子 - 元日本テレビアナウンサー、フリーアナウンサー ●徳島えりか - 日本テレビアナウンサー ●合原明子 - NHKアナウンサー ●和久田麻由子 - NHKアナウンサー ●石橋亜紗 - NHKアナウンサー ●庭野めぐみ - 日本テレビ解説委員 ●高妻由美 - 元テレビ岩手アナウンサー ●國本未華 - 気象予報士 ●今泉みね子 - 環境ジャーナリスト ●竹中繁 - 新聞記者。東京朝日新聞社初の女性記者[4]。その他[編集]
●今井通子 - 医師、登山家、女性初のアルプス三大北壁登攀 ●菊地涼子 - 宇宙飛行士 ●有元葉子 - 料理研究家参考文献[編集]
●猪熊建夫﹁名門高校の校風と人脈(26) 女子学院高校︵私立・東京都千代田区︶﹂﹃エコノミスト﹄第91巻第1号、毎日新聞社、2013年1月8日、74-75頁。 ●﹃女子学院の歴史﹄女子学院史編集委員会編集、学校法人女子学院発行、1985年10月24日 ●明治日本における女子教育とキリスト教 教育の試みの一例︵山田美穂子︶関連人物[編集]
●メアリー・トゥルー︵Maria T. True 1840年-1896年︶- 女性宣教師。1874年︵明治7年︶来日。初め横浜で伝道に従事し共立女学校に勤務、のち東京に移り原女学校、新栄女学校、桜井女学校に勤めた。 ●矢嶋楫子 - ツルーとの出会いをきっかけに新栄女学校の教師となる。その後、櫻井女学校の校主代理となり、﹁女子学院﹂の発足に伴い初代院長となった。 ●櫻井ちか - 桜井女学校の創設者 ●井深花 - 数学・物理・化学担当教授︵1900 – 1930年︶。旧名、大島はな。井深梶之助の後妻。後に、神戸女学院・東京女子大学各理事。 ●オーガスト・カール・ライシャワー - 1920年-1927年院長、東京女子大学、日本聾話学校を創設、駐日アメリカ合衆国大使エドウィン・O・ライシャワーの父関連項目[編集]
●東京都中学校一覧 ●東京都高等学校一覧 ●高等女学校 - 高等女学校一覧 - 旧制中等教育学校の一覧 (東京都) ●日本の男女別学校一覧 ●御三家脚注[編集]
- ^ 女子学院中学校の学校情報 - 中学受験パスナビ(旺文社)の冒頭に「※系列高校での募集はない。」と記されている。
- ^ a b c 日本で「名門女子校」が生まれた理由 | プレジデントオンライン 2015.4.19
- ^ 校歌 | 女子学院 中学校・高等学校 公式サイト
- ^ 竹中 繁とは - コトバンク