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[[1872]]5[[]]<ref>[[]] p.199[[]] 2011.171</ref>[[]]9[[1838]][[]][[]] <ref>2011.171</ref>


== 人物・生涯 ==

幼名を'''辰大郎'''。名前は'''大郎'''、'''大郎左衛門'''、'''達蔵'''、'''称子麻呂'''、'''清原桜'''、'''作良'''(さくら)、'''さくら'''、'''まゝよ'''、'''銀次'''あるいは'''銀次郎'''などがある。また'''墨江岸国華'''、'''墨江桜'''、'''墨江岸桜'''、'''岸国華'''、'''岸吟香'''、'''岸大郎'''、'''岸桜'''、'''小林屋銀次'''、'''岸田銀治'''、'''岸田屋銀治'''、'''京屋銀治郎'''、'''桜井銀治郎'''などとも名乗った。号は'''吟香'''、'''東洋'''、'''桜草'''。筆名には'''吟道'''人がある。

幼名を'''辰大郎'''。名前は'''大郎'''、'''大郎左衛門'''、'''達蔵'''、'''称子麻呂'''、'''清原桜'''、'''作良'''(さくら)、'''さくら'''、'''まゝよ'''、'''銀次'''あるいは'''銀次郎'''などがある。また'''墨江岸国華'''、'''墨江桜'''、'''墨江岸桜'''、'''岸国華'''、'''岸吟香'''、'''岸大郎'''、'''岸桜'''、'''小林屋銀次'''、'''岸田銀治'''、'''岸田屋銀治'''、'''京屋銀治郎'''、'''桜井銀治郎'''などとも名乗った。号は'''吟香'''、'''東洋'''、'''桜草'''。筆名には'''吟道'''人がある。




[[1833]]6154428[[]][[]][[]]1852[[]]519[[]][[]][[]][[]][[]]1856[[]]323[[]][[]][[]] [[西]][[]]<ref>[https://www.kansai-u.ac.jp/hakuen/about/people_archive/1833-1905.html  1833-1905]西 西 2020617</ref>[[|]]1858525[[|]] 

== 人物・生涯 ==


[[1833]]6154428[[]][[]][[]]1852[[]]519[[]][[]][[]][[]][[]]1856[[]]323[[]][[]][[]][[|]]1858525 



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1877年に東京日日新聞発行所である日報社を退社して銀座に[[楽善堂]]を開き売薬業に専念する。1880年、中国に上海に渡り楽善堂支店を開くと販路を各地に拡げる成功を収めた。

1877年8月18日に東京日日新聞発行所である日報社を退社して9月銀座に[[楽善堂]]を開き売薬業に専念する。1880年、中国に上海に渡り楽善堂支店を開くと販路を各地に拡げる成功を収めた。




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* 安政3年([[1855年]])23歳、[[藤沢東畡]]に入門。

* 安政3年([[1855年]])23歳、[[藤沢東畡]]に入門。

* 安政4年([[1856年]])24歳、[[藤森天山]]に入門。

* 安政4年([[1856年]])24歳、[[藤森天山]]に入門。


* 6[[1859]]26[[]][[]][[]]1

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* 4[[1864]]31[[]]

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* 慶応元年([[1865年]])32歳、横浜に移り、ヘボンの手伝いを本格的に行い始める。

* 慶応元年([[1865年]])32歳、横浜に移り、ヘボンの手伝いを本格的に行い始める。

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== 新聞と吟香 ==

== 新聞と吟香 ==

=== 横浜新報もしほ草 ===

=== 横浜新報もしほ草 ===

吟香は1868年にヴァン・リードと「横浜新報もしほ草」(以下「もしほ草」)を創刊する。ただし本紙には吟香の名前は掲載されず、リードは吟香が筆禍を免れる為の隠れ蓑というべき存在だった(当時リードが住んでいた横浜居留地は治外法権に設定されていたため、幕府も手出しできなかった)。実際、記事のほとんどは吟香の手によるものである。

吟香は1868年6月1日(閏4月3日)にヴァン・リードと「横浜新報もしほ草」(以下「もしほ草」)を創刊する。ただし本紙には吟香の名前は掲載されず、リードは吟香が筆禍を免れる為の隠れ蓑というべき存在だった(当時リードが住んでいた横浜居留地は治外法権に設定されていたため、幕府も手出しできなかった)。実際、記事のほとんどは吟香の手によるものである。



「もしほ草」は木版刷り、半紙四つ折、四六判、一行20字詰め、一面10行、唐紙片面刷りの袋表紙、萌黄色の絹糸二箇所綴じであった。記事は[[仮名混じり]]の平易な文で書かれ、また広告記事が一切無かった。

「もしほ草」は木版刷り、半紙四つ折、四六判、一行20字詰め、一面10行、唐紙片面刷りの袋表紙、萌黄色の絹糸二箇所綴じであった。記事は[[仮名混じり]]の平易な文で書かれ、また広告記事が一切無かった。

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吟香は創刊号で「…余が此度の新聞紙は日本全国内の時々のとりさたは勿論、アメリカ、フランス、イギリス、支那の上海、香港より来る新報は即日に翻訳して出すべし。且月の内に十度の余も出板すべし。それゆゑ諸色の相場をはじめ、世間の奇事珍談、ふるくさき事をかきのせることなし。また確実なる説を探りもとめて、決して浮説をのせず。…」と編輯方針を記している。吟香はこの方針に則って自由に記事を執筆した(ヘボンが手掛けた日本初の[[義足]]手術を報じたり、レオン・ド・ロニーがパリで刊行した邦字新聞『よのうはさ』を紹介したりしている)が、同時に「たゞ耳から耳へ聞き伝へたまゝを書き、或は毎度西国方が勝った事ばかりでは、江戸の人気は投ぜぬ」と感じており、佐幕派が多かった江戸の庶民にも配慮して「官軍が負けた」などという記事も載せていた。

吟香は創刊号で「…余が此度の新聞紙は日本全国内の時々のとりさたは勿論、アメリカ、フランス、イギリス、支那の上海、香港より来る新報は即日に翻訳して出すべし。且月の内に十度の余も出板すべし。それゆゑ諸色の相場をはじめ、世間の奇事珍談、ふるくさき事をかきのせることなし。また確実なる説を探りもとめて、決して浮説をのせず。…」と編輯方針を記している。吟香はこの方針に則って自由に記事を執筆した(ヘボンが手掛けた日本初の[[義足]]手術を報じたり、レオン・ド・ロニーがパリで刊行した邦字新聞『よのうはさ』を紹介したりしている)が、同時に「たゞ耳から耳へ聞き伝へたまゝを書き、或は毎度西国方が勝った事ばかりでは、江戸の人気は投ぜぬ」と感じており、佐幕派が多かった江戸の庶民にも配慮して「官軍が負けた」などという記事も載せていた。



「もしほ草」は[[柳河春三]]が創刊した「中外新聞」と発行数を争う人気新聞となったが、後続に次第に振るわなくなり、42号で廃刊となった。吟香自身は1870年頃に「もしほ草」を離れたらしい。

「もしほ草」は[[柳河春三]]が創刊した「中外新聞」と発行数を争う人気新聞となったが、後続に次第に振るわなくなり、42号で廃刊となった(明治3年3月13日まで)。吟香自身は1870年頃に「もしほ草」を離れたらしい。



=== 東京日日新聞 ===

=== 東京日日新聞 ===

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== 実業家としての顔 ==

== 実業家としての顔 ==


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[[ファイル:Rakuzendō san yaku (Rakuzendo's three drugs) (5036896136).jpg|thumb|200px|right|[[小林永濯]]筆「岸田吟香製楽善堂三薬引札」]]



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== 清と吟香 ==

== 清と吟香 ==

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==その他==


[[1872]]5[[]][[]]<ref>[[]] p.199[[]] 2011.171</ref>[[|]][[]][[]]9[[1838]][[]] <ref>2011.171</ref>


== 脚注 ==

== 脚注 ==

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* [[岸田麗子]](孫)

* [[岸田麗子]](孫)

* [[岸田夏子]](岸田麗子の子)

* [[岸田夏子]](岸田麗子の子)

* [[岸田尚]](曾孫)

* [[日本の書道史]]

* [[日本の書道史]]

* [[持安吟治]]

* [[持安吟治]]



== 外部リンク ==

== 外部リンク ==

* [http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/258.html 近代日本人の肖像 岸田吟香] – [[国立国会図書館]]

* [https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/258/ 近代日本人の肖像 岸田吟香] – [[国立国会図書館]]

* [http://www.town.misaki.okayama.jp/asahi/bunka/kisi.html 旭文化会館ホームページ岸田吟香記念館]

* {{WAP|pid=10193129|url=www.town.misaki.okayama.jp/asahi/bunka/kisi.html|title=岸田吟香記念館(旭文化会館ホームページ)|date=2016-09-07}}

* [http://www.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/kishidaginko/ginko_short.htm 岸田吟香(おかやま人物往来)] - [[岡山県立図書館]]

* [https://digioka.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/kishidaginko/ginko_short.htm 岸田吟香(おかやま人物往来)] - [[岡山県立図書館]]



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[[Category:19世紀日本の特殊教育専門家]]

[[Category:20世紀日本の特殊教育専門家]]

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[[Category:20世紀日本のジャーナリスト]]

[[Category:19世紀日本の翻訳家]]

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[[Category:19世紀日本の編集者]]

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[[Category:盲教育者]]

[[Category:幕末挙母藩の人物]]

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[[Category:大陸浪人]]

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[[Category:美作国の人物]]

[[Category:美作国の人物]]

[[Category:岡山県出身の人物]]

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[[Category:関西大学出身の人物]]

[[Category:1833年生]]

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[[Category:1905年没]]

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[[Category:谷中霊園に埋葬されている人物]]


2023年12月28日 (木) 13:04時点における最新版

岸田吟香
岸田吟香

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清と吟香[編集]

その他[編集]


18725[3]91838 [4]

脚注[編集]



(一)^  1833-1905西 西 2020617

(二)^  20109

(三)^  p.199 2011.171

(四)^ 2011.171

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 193671031936418

  1982530

  19967ISBN 4-7629-5019-X

  2002ISBN 4-7727-0367-5

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