「川湯温泉 (北海道)」の版間の差分
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|コメント = 無料の足湯とそこから流れ出す湯の川 |
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|所在地 = [[北海道]][[弟子屈町]] |
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| 緯度度 = 43 | 緯度分 = 38 | 緯度秒 = 16 | N(北緯)及びS(南緯) = N |
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| 経度度 = 144| 経度分 = 26 | 経度秒 = 14 | E(東経)及びW(西経) = E |
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|交通アクセス = [[北海道旅客鉄道|JR北海道]][[釧網本線]][[川湯温泉駅]]より[[阿寒バス]]「川湯営業所」下車 |
|交通アクセス = [[北海道旅客鉄道|JR北海道]][[釧網本線]][[川湯温泉駅]]より[[阿寒バス]]「川湯営業所」下車 |
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|泉質 = [[硫黄泉]]・酸性明礬泉など |
|泉質 = [[硫黄泉]]・酸性明礬泉など |
2016年6月26日 (日) 02:02時点における版
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![]() 無料の足湯とそこから流れ出す湯の川 | |
温泉情報 | |
所在地 | 北海道弟子屈町 |
座標 | 北緯43度38分16秒 東経144度26分14秒 / 北緯43.63778度 東経144.43722度座標: 北緯43度38分16秒 東経144度26分14秒 / 北緯43.63778度 東経144.43722度 |
交通 | JR北海道釧網本線川湯温泉駅より阿寒バス「川湯営業所」下車 |
泉質 | 硫黄泉・酸性明礬泉など |
泉温(摂氏) | 35~65.5 |
液性の分類 | 強酸性 |
浸透圧の分類 | 低張性 |
外部リンク | 弟子屈なび 川湯温泉 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/Kawayu_hot_spring_river.jpg/200px-Kawayu_hot_spring_river.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d2/%E5%B7%9D%E6%B9%AF%E6%B8%A9%E6%B3%89%E9%A7%85%E8%B6%B3%E6%B9%AF.jpg/200px-%E5%B7%9D%E6%B9%AF%E6%B8%A9%E6%B3%89%E9%A7%85%E8%B6%B3%E6%B9%AF.jpg)
川湯温泉︵かわゆおんせん︶は、北海道川上郡弟子屈町にある温泉である。川湯の名は、アイヌ語の﹁セセキ︵熱い︶ペツ︵川︶﹂を意訳したものである。温泉街のなかを高温の温泉川が流れている。
アクセス
●鉄道 : 釧網本線川湯温泉駅より阿寒バスで約10分。 ●自家用車 : 道東自動車道足寄インターチェンジより国道241号線・国道391号線経由。泉質
●硫黄泉、酸性明礬泉など ●眼や傷にしみるほか、釘を溶かすなど、貴金属が腐食するため、腕時計をつけないなどの注意をする必要がある。 ●湯の花が湯船に沈殿する。温泉街
高温の湯が流れる温泉川の源流である湯元を中心に、20軒余りのホテル・旅館・土産物店・飲食店等が温泉街を形成している。町中に湯の川が流れ、湯けむりと硫黄の香りが漂う情緒深い温泉街である。[1]その他にも無料の足湯や、共同浴場︵有料︶もある。湯量が豊富であるが、強酸性泉で循環機器に不適なため、全ての施設が掛け流しである。さらに、その掛け流しを売りにしようと、﹁源泉かけ流し宣言﹂もされている。 温泉街周辺には、環境省の川湯エコミュージアムセンターや、この地で少年時代を過ごした第48代横綱‥大鵬幸喜の功績を讃える資料館の大鵬相撲記念館、温泉熱を利用した屋内プール、地元の信仰を集める川湯神社等がある。川湯駅前温泉
川湯温泉駅に無料の足湯が併設されている。駅から国道391号にかけて2軒の温泉ホテル・旅館等がある。 こちらの泉質は川湯温泉と違い、中性でナトリウム-炭酸水素塩泉等となっている。 ガイド本や紹介サイトによっては、川湯温泉とひとくくりにされる事もある。歴史
前述の通り温泉川が流れており、温泉の存在は古くから知られていたが、湯治場としての川湯の起源は定かでない。宿泊施設としては、1886年︵明治19年︶に温泉宿が設立された記録があるが、硫黄山で働く人夫の賭博場と化してしまったため、すぐ閉鎖された。その後、1904年︵明治37年︶にロシア風建築の温泉宿が設立され、これが現在の川湯温泉のおこりとされる。 大正時代まではこの1軒のみが細々と営業を続けていたが、昭和に入ってからは自動車道路の開通に続き、1930年︵昭和5年︶に釧網本線が開通、1934年︵昭和9年︶には阿寒国立公園が設立され、湯治客は激増した[2]。 第二次世界大戦中は観光需要が冷え込み、また終戦後すぐの1948年には大火災に見舞われる[3]などした。しかし、1953年に公開され大ヒットした映画﹃君の名は﹄で屈斜路湖周辺が撮影地となったことから、当地を訪れる観光客が再び激増し、温泉街は急速に発展した。 1970年代までは冬季の道路閉鎖が多かったが、その後除雪体制や道路整備が進み、年間を通して温泉客を呼び込む態勢が整った。 なお、﹁川湯﹂の由来については、前述のアイヌ語﹁セセキベツ﹂を意訳する際、既に函館近郊の湯の川温泉︵こちらはアイヌ語﹁ユ︵湯︶ベツ︵川︶﹂の意訳︶が存在していたため、﹁川湯﹂と順序を変えたとされている[4]。外部リンク
脚注
- ^ 日本温泉協会
- ^ 川湯温泉ってどんなところ? 川湯観光ホテル
- ^ 年表で見る町のあゆみ 北海道弟子屈町 WayBackによるアーカイブ2012年11月26日閲覧
- ^ 川湯温泉の歴史 川湯ガイドセンター