川湯温泉 (北海道)
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![]() 無料足湯とそこから流れ出す湯の川 | |
温泉情報 | |
所在地 | 北海道弟子屈町 |
交通 | JR北海道釧網本線川湯温泉駅より阿寒バス「川湯営業所」下車 |
泉質 | 硫黄泉・酸性明礬泉など |
泉温(摂氏) | 35~65.5 |
液性の分類 | 強酸性 |
浸透圧の分類 | 低張性 |
外部リンク | 川湯温泉観光協会 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/Kawayu_hot_spring_river.jpg/200px-Kawayu_hot_spring_river.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d2/%E5%B7%9D%E6%B9%AF%E6%B8%A9%E6%B3%89%E9%A7%85%E8%B6%B3%E6%B9%AF.jpg/200px-%E5%B7%9D%E6%B9%AF%E6%B8%A9%E6%B3%89%E9%A7%85%E8%B6%B3%E6%B9%AF.jpg)
川湯温泉︵かわゆおんせん︶は、北海道川上郡弟子屈町にある温泉である。川湯の名は、アイヌ語の﹁セセキ︵熱い︶ペツ︵川︶﹂を意訳したものである。温泉街のなかを高温の温泉川が流れている。
アクセス
●鉄道 : 釧網本線川湯温泉駅より阿寒バスで約10分。泉質
●硫黄泉、酸性明礬泉など ●眼や傷にしみるほか、釘を溶かすなど、貴金属が腐食するため、腕時計をつけないなどの注意をする必要がある。 ●湯の花が湯船に沈殿する。温泉街
高温の湯が流れる温泉川の源流である湯元を中心に、20軒余りのホテル・旅館・土産物店・飲食店等が温泉街を形成している。町中に湯の川が流れ、湯けむりと硫黄の香りが漂う情緒深い温泉街である。[1]その他にも無料の足湯や、共同浴場︵有料︶もある。湯量が豊富であるが、強酸性泉で循環機器に不適なため、全ての施設が掛け流しである。さらに、その掛け流しを売りにしようと、﹁源泉かけ流し宣言﹂もされている。 温泉街周辺には、環境省の川湯エコミュージアムセンターや、この地で少年時代を過ごした元横綱の大鵬幸喜に関する資料館の弟子屈町川湯相撲記念館、温泉熱を利用した屋内プール、地元の信仰を集める川湯神社等がある。川湯駅前温泉
川湯温泉駅に無料の足湯が併設されている。駅から国道391号にかけて2軒の温泉ホテル・旅館と、1軒の共同浴場等がある。 こちらはの泉質は川湯温泉と違い、中性でナトリウム-炭化水素塩泉等となっている。 ガイド本や紹介サイトによっては、川湯温泉とひとくくりにされる事もある。歴史
前述の通り温泉川が流れていることから、湯治場としての川湯の起源は定かでない。宿泊施設としては、1886年︵明治19年︶に温泉宿が設立された記録があるが、硫黄山で働く人夫の賭博場と化してしまったため、すぐ閉鎖された。その後、1904年︵明治37年︶にロシア風建築の温泉宿が設立され、これが現在の川湯温泉のおこりとされる。 大正時代まではこの1軒のみが細々と営業を続けていたが、自動車が通行可能な道路の開通に続き、昭和に入って釧網本線が開通したためにアクセスが改善され、湯治客は激増した[2]。 第二次世界大戦中は観光需要が冷え込み、また終戦後すぐの1948年には大火災に見舞われる[3]などした。しかし、1953年に公開され大ヒットした映画﹃君の名は﹄で屈斜路湖周辺が撮影地となったことから、当地を訪れる観光客が再び激増し、温泉街は急速に発展した。 1970年代までは冬季の道路閉鎖が多かったが、その後除雪体制や道路整備が進み、年間を通して温泉客を呼び込む体制が整った。 なお、﹁川湯﹂の由来については、前述のアイヌ語﹁セセキベツ﹂を意訳する際、既に函館近郊の湯の川温泉︵こちらはアイヌ語﹁ユ︵湯︶ベツ︵川︶﹂の意訳︶が存在していたため、﹁川湯﹂と順序を変えたとされている[4]。外部リンク
脚注
- ^ 日本温泉協会
- ^ 川湯温泉ってどんなところ? 川湯観光ホテル
- ^ 年表で見る町のあゆみ 北海道弟子屈町[リンク切れ]
- ^ 川湯温泉の歴史 川湯ガイドセンター