平群神社
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平群神社 | |
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![]() 鳥居・拝殿 | |
所在地 | 奈良県生駒郡平群町西宮617 |
位置 | 北緯34度37分20.9秒 東経135度42分14.3秒 / 北緯34.622472度 東経135.703972度座標: 北緯34度37分20.9秒 東経135度42分14.3秒 / 北緯34.622472度 東経135.703972度 |
主祭神 | 大山祇神 |
社格等 |
式内社(大5座) 旧村社 |
創建 | 不詳 |
別名 | 西宮 |
例祭 | 10月15日 |
地図 |
祭神
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現在の祭神は次の1柱[1]。
●大山祇神
延長5年︵927年︶成立の﹃延喜式﹄神名帳での祭神の記載は5座。元々は古代氏族の平群氏の祖神を祀ったとされる[2]。5座の詳細は明らかでないが、元々の祭神は1座か2座で後世に他の祭神が加えられたとする説が挙げられている[3]。
なお、三重県桑名市にも式内社の平群神社︵旧郷社︶があり、平群氏祖の木菟宿禰を祀る。
本殿に向かって左側の摂社の祭神は天照大神である。
歴史
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創建は不詳。
延長5年︵927年︶成立の﹃延喜式﹄神名帳では、大和国平群郡に﹁平群神社五座 並大 月次新嘗﹂と記載され、5座が式内大社に列するとともに朝廷の月次祭・新嘗祭では幣帛に預かる旨が定められている[2]。当社を式内大社﹁平群神社﹂に比定する説は後掲の﹃興福寺官務牒疏﹄以降になるが、比定を確実とする資料は知られていない[3]。なお、平安時代中期の﹃和名抄﹄に見える地名のうちでは、当地は大和国平群郡平群郷の中心部に比定される[3]。
室町時代前期、嘉吉元年︵1441年︶の﹃興福寺官務牒疏﹄では﹁平群大明神﹂と記載が見え、平群氏祖神を祀る旨、神供僧・神人がいる旨が記されている[2]。
近世には﹁春日大明神﹂と称された[2]。また境内には神宮寺として竜花山西宮密寺があったが、神仏分離で廃絶して社務所となっている[2]。
明治維新後、近代社格制度では村社に列している[2]。
主な祭事
[編集]脚注
[編集]参考文献
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●境内説明板
●﹁平群神社﹂﹃日本歴史地名大系30奈良県の地名﹄平凡社、1981年。ISBN 4582490301。
●大矢良哲 著﹁平群神社﹂、谷川健一 編﹃日本の神々 -神社と聖地- 4 大和 <新装復刊版>﹄白水社、2000年。ISBN 978-4560025031。