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[[庄屋]]・村長・県会議員、[[折原逸太郎]]の長男として[[群馬県]][[邑楽郡]]に生まれる。[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]を経て、[[1896年]]に[[東京大学|帝国大学]][[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|法科大学]]を卒業。[[内務省 (日本)|内務省]]に入り[[警保局]]属に任官し戸籍課に配属。同年12月、[[高等文官試験|文官高等試験行政科試験]]に合格。
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[[1897年]]、[[愛媛県庁|愛媛県]][[参事官]]となり、以後、[[静岡県庁|静岡県]]・[[和歌山県庁|和歌山県]]の各参事官、[[大阪府庁|大阪府]]第三部長、[[滋賀県庁|滋賀県]]事務官・第一部長兼第三部長<ref>﹃官報﹄第6925号、明治39年7月30日。</ref>、[[福岡県庁|福岡県]]・[[兵庫県庁|兵庫県]]の各内務部長などを歴任。
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[[1897年]]、[[愛媛県庁|愛媛県]][[参事官]]となり、以後、[[静岡県庁|静岡県]]・[[和歌山県庁|和歌山県]]の各参事官、[[大阪府庁|大阪府]]第三部長、[[滋賀県庁|滋賀県]]事務官・第一部長兼第三部長<ref>﹃官報﹄第6925号、明治39年7月30日。</ref>、[[福岡県庁|福岡県]]・[[兵庫県庁|兵庫県]]の各内務部長などを歴任。
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2016年2月9日 (火) 14:38時点における版
折原 巳一郎︵おりはら みいちろう、明治2年8月︵1869年︶ - 1933年11月13日︶は、日本の内務官僚、政治家。政友会系官選県知事、衆議院議員。
略歴
庄屋・村長・県会議員、折原逸太郎の長男として群馬県邑楽郡に生まれる。第一高等学校を経て、1896年に帝国大学法科大学を卒業。内務省に入り警保局属に任官し戸籍課に配属。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。 1897年、愛媛県参事官となり、以後、静岡県・和歌山県の各参事官、大阪府第三部長、滋賀県事務官・第一部長兼第三部長[1]、福岡県・兵庫県の各内務部長などを歴任。 1913年6月、奈良県知事に就任。以後、島根県知事、千葉県知事、兵庫県知事を歴任した。1923年10月に退官。1924年5月、第15回衆議院議員総選挙に兵庫県第一区で政友本党から出馬し当選。一期在任した。脚注
- ^ 『官報』第6925号、明治39年7月30日。