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日比谷映画劇場

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日比谷映画劇場
Hibiya Theater
戦前の日比谷映画劇場
情報
通称 日比谷映画、日比谷映劇
正式名称 日比谷映画劇場
完成 1934年
開館 1934年2月1日
開館公演 南の哀愁/ウィンナ・ワルツ
閉館 1984年11月11日
最終公演 風林火山
客席数 1,375
設備 ドルビーステレオ
用途 映画上映
運営 東宝株式会社
所在地 100
東京都千代田区有楽町1-2-2
最寄駅 営団地下鉄日比谷駅(A5出口)から徒歩約3分
国鉄有楽町駅(日比谷口)から徒歩約4分
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座席数 音響設備
1,740席(1934年[1])→1,375席(1984年) とルビーステレオ

特徴

アクション、サスペンスの洋画を中心に上映、70mmシネラマの映写設備が存在した時期もあった。東宝洋画系公開のチェーンのチェーンマスター。閉館後はそのまま東宝会館内へと引き継がれていった。

主な上映作品

日比谷映画劇場時代の1954年4月27日に封切られた『ローマの休日』(監督ウィリアム・ワイラー、1953年)。主演のオードリー・ヘプバーン(写真左)とグレゴリー・ペック
1958年公開のアルフレッド・ヒッチコック監督作『めまい』のキム・ノヴァク(写真左)とジェームズ・ステュアート
ヒッチコック作品『北北西に進路を取れ』(1959年)のケーリー・グラント(写真左)とエヴァ・マリー・セイント

注釈

出典



(一)^ abc17712018215240-2412019215 

(二)^  1934-1954 (PDF)