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本庄氏

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本庄氏ほんじょうし)は、日本の氏族の一つ。

児玉党系本庄氏


12136

児玉庄氏(本庄氏)と備中庄氏の分岐

児玉党の本宗家4代目である庄太夫家弘児玉氏から庄氏(荘氏)を名乗り、現在の本庄市栗崎の地に館を築いたと考えられ、その嫡男で、5代目を継いだ庄太郎家長一ノ谷の戦いで武功をあげ、恩賞として備中国草壁荘の地頭職を与えられる。そして庄氏は武蔵から備中の領土へ移り、備中庄氏として西日本で活動することとなる。そのまま武蔵国の本拠地に残った庄氏、つまり庄氏分家が「本庄氏」を名乗ることとなる。本庄氏は児玉庄氏の本宗家を継ぎ、児玉党の本宗家となった。氏の意味は「本宗家の庄氏」と言う意味ではなく、「本拠地(本=元=地元)に残った庄氏」と言う意味で、本庄を名乗ったものと考えられる。

以降の流れ


141515宿

その他















系図

斜体は養子

児玉惟行児玉弘行児玉家行庄家広庄家長庄頼家一ノ谷の戦いで戦死。家督を継ぐべき直系が絶えた事で、庄家次が養子に迎えられ、家督を継ぐ)
本庄時家(結果的に家次の弟、時家が児玉党本宗家を継ぐ形となる)
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本庄国房(時家の曾孫とされる)
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 ?
山内上杉家家臣、実忠の代から後北条家家臣)
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本庄信明(宮内少輔)
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本庄為明本庄将明本庄実明本庄実忠(宮内少輔)
 ┃
本庄近朝(隼人正)
 
(高富本庄家、松平本庄家)
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本庄宗正(宗利?)
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道芳  宗資  桂昌院
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道高 松平資俊(松平本庄家)  牧野康重
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道章  資訓  宗長  宗胡
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道矩  資昌
 ┃   ┃
道倫  資尹
 ┃   ┃
道堅  資承
 ┃   ┣━━━┳━━━┓
道信  宗允  宗発 安藤直馨
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道揚  宗秀
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道利  宗武 牧野忠訓道昌
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道貫 松平輝充道美

系譜未分類

  • 本庄長英:本庄時家の最も末裔とされる為、時家系本庄氏に当たる。系図によっては、信明の代わりに長英の名が載っている。
  • 本庄藤三郎:本庄実忠の一門とされるが、時家系かは不明。
  • 学術的な考察からすれば、本庄宗正の一族も、本来は系譜が未分類の一族である。宗正の一族は、あくまで自称頼家の子孫である。

秩父党系本庄氏



一族

系図

(太線は実子、細線は養子)

秩父将恒(将常とも)秩父武基
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高麗武家 秩父武綱秩父重長秩父惟長秩父光長秩父季長
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小泉行長 色部為長本庄定長
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(数代略)
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本庄長教 小川長俊持長
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(数代略)
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憲長顕長(大和守)
 ┃
長員
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房長  英長時長
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房長  盛長  長資繁長
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顕長  充長  長房  久長  重長
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祐長  重長