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| 役職 = [[芙蓉会]]名誉会長

| 役職 = [[芙蓉会]]名誉会長


2019年11月27日 (水) 12:27時点における版

李王妃 方子女王

1937年

続柄 梨本宮守正王第一王女子

称号 王妃
身位 女王・李王妃 → 身位喪失
敬称 殿下 → 身位喪失
出生 1901年11月4日
日本の旗 日本東京府豊多摩郡渋谷町(現:東京都渋谷区渋谷
死去 (1989-04-30) 1989年4月30日(87歳没)
大韓民国の旗 韓国ソウル特別市鍾路区
配偶者 昌徳宮 李王 垠
子女 李晋
李玖
父親 梨本宮守正王
母親 梨本宮妃伊都子
役職 芙蓉会名誉会長
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李方子
各種表記
ハングル 이방자
漢字 李方子
発音: イ・バンジャ
日本語読み: り まさこ、り ほうし
ローマ字 I Bang-ja(2000年式
I Pang-cha(MR式
英語表記: Yi Bangja
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方子。婚約時代

  : ︿ 1901︿34114 - 1989430

生涯

皇族時代


190134114

[1]1916583

1918719198125[2]

19209428

1921101922114[3][2][4][5]19316

戦後、韓国人として


19452019472253195227428

196035退1963381121[6]197045

""""[7][7]198156



1989430[8]87槿

身位

  • 方子女王:1901年(明治34年)- 1920年(大正9年)
  • 李王世子妃 方子女王:1920年(大正9年)- 1926年(大正15年/昭和元年)
  • 李王妃 方子女王:1926年(大正15年/昭和元年)- 1947年(昭和22年)
  • 李方子:1947年(昭和22年)- 1989年(昭和64年/平成元年)

女王の地位は皇族との結婚の場合、保持される(親王妃等を参照)。王公族は皇族に準ずる扱いであった。

栄典

著書

  • 『動乱の中の王妃』講談社、1968年
  • 『流れのままに』 啓佑社、1984年
  • 『歳月よ王朝よ 最後の朝鮮王妃自伝』 三省堂、1987年

登場作品

脚注



(一)^ 

(二)^ ab1984630 3  

(三)^ 

(四)^ 

(五)^ 1925530  殿

(六)^ 198473 5  

(七)^ ab1982717 

(八)^ 2009427 便 

(九)^ 1926817

(十)^ 4300151222

(11)^ 443819411023

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、李方子に関するカテゴリがあります。

ウィキソースには、故李方子女史(英親王妃)に由来する服飾等の譲渡に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定の原文があります。

外部リンク