「梨本徳彦」の版間の差分
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[[1966年]]︵昭和41年︶に、夫婦揃って[[梨本宮守正王]]妃であった[[梨本伊都子]]の依頼で、同家の養子となって祭祀を継承する<ref name="shincho20181108">[[#週刊新潮 2018|週刊新潮 2018]] p.20-24</ref>{{efn|夫婦養子のため、子女は龍田姓のままである。}}。姪夫婦が梨本家の後継者となったことに、[[香淳皇后]]は大変喜んだという。しかし、妻の正子とは[[1980年]]︵昭和55年︶に[[離婚|調停離婚]]した。その後、同居していた[[愛人]]も病で倒れ、独り暮らしとなる。
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[[1966年]]︵昭和41年︶に、夫婦揃って[[梨本宮守正王]]妃であった[[梨本伊都子]]の依頼で、同家の養子となって祭祀を継承する<ref name="shincho20181108">[[#週刊新潮 2018|週刊新潮 2018]] p.20-24</ref>{{efn|夫婦養子のため、子女は龍田姓のままである。}}。姪夫婦が梨本家の後継者となったことに、[[香淳皇后]]は大変喜んだという。しかし、妻の正子とは[[1980年]]︵昭和55年︶に[[離婚|調停離婚]]した。その後、同居していた[[愛人]]も病で倒れ、独り暮らしとなる。
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晩年には自らのお印に由来する﹁鳳凰会﹂の[[総裁]]となったが、金銭管理に関わる[[トラブル]]に巻き込まれていた。また、日本文化振興会という団体の名誉総裁を務めており、旧宮家の名前を用いたビジネスを行っていた。そのビジネスとは、ある人物を表彰するにあたって、その対象者から多額の礼金を募るものであった。礼金は50万円出会ったとの証言が臨済宗妙心寺派[[興禅寺]]の住職からなされている<ref>﹁週刊新潮﹂1985年8月15日・22日合併号︵新潮社︶</ref>。さらに[[2004年]]・[[2005年]]には、徳彦が名誉総裁となっていたNPO法人・やまびこ会が、元本保証と高配当を約束して焼却炉販売事業への出資を募り約1000人から10数億円を集めたものの、配当未払いを理由に詐欺や出資法違反容疑で警視庁に告訴されている。同NPO法人は他にも﹁霊芝﹂などのキノコ栽培により収入を得るというビジネスで出資金を集めるなどしていたことから、結果的に法人の代表理事ら4名が詐欺容疑で逮捕されるという事態にまで発展している<ref>﹁FRIDAY﹂2004年3月5日号︵講談社︶</ref>。[[2006年]]には、[[伊勢神宮]]の[[灯籠]]を建て替えると嘘の話を出し寄付を募った団体の名誉総裁としても徳彦の名前が見える<ref>﹁週刊新潮﹂2006年2月23日号︵新潮社︶</ref><ref>LITELA﹁大麻逮捕の竹田恒泰の従兄弟より悪質? 旧宮家の”権威”を利用したトンデモ事件簿! 竹田恒泰もマルチ商法関与[https://lite-ra.com/i/2015/09/post-1522-entry_3.html]﹂2015年9月14日</ref>。[[2002年]]︵[[平成]]14年︶[[梨本隆夫|神林隆夫]]を養子に迎えた |
晩年には自らのお印に由来する「鳳凰会」の[[総裁]]となったが、金銭管理に関わる[[トラブル]]に巻き込まれていた。また、日本文化振興会という団体の名誉総裁を務めており、旧宮家の名前を用いたビジネスを行っていた。そのビジネスとは、ある人物を表彰するにあたって、その対象者から多額の礼金を募るものであった。礼金は50万円出会ったとの証言が臨済宗妙心寺派[[興禅寺]]の住職からなされている<ref>「週刊新潮」1985年8月15日・22日合併号(新潮社)</ref>。さらに[[2004年]]・[[2005年]]には、徳彦が名誉総裁となっていたNPO法人・やまびこ会が、元本保証と高配当を約束して焼却炉販売事業への出資を募り約1000人から10数億円を集めたものの、配当未払いを理由に詐欺や出資法違反容疑で警視庁に告訴されている。同NPO法人は他にも「霊芝」などのキノコ栽培により収入を得るというビジネスで出資金を集めるなどしていたことから、結果的に法人の代表理事ら4名が詐欺容疑で逮捕されるという事態にまで発展している<ref>「FRIDAY」2004年3月5日号(講談社)</ref>。[[2006年]]には、[[伊勢神宮]]の[[灯籠]]を建て替えると嘘の話を出し寄付を募った団体の名誉総裁としても徳彦の名前が見える<ref>「週刊新潮」2006年2月23日号(新潮社)</ref><ref>LITELA「大麻逮捕の竹田恒泰の従兄弟より悪質? 旧宮家の”権威”を利用したトンデモ事件簿! 竹田恒泰もマルチ商法関与[https://lite-ra.com/i/2015/09/post-1522-entry_3.html]」2015年9月14日</ref>。[[2002年]]([[平成]]14年)[[梨本隆夫|神林隆夫]]を養子に迎えた |
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[[2007年]]︵平成19年︶[[2月7日]]、死去。{{没年齢|1922|11|19|2007|2|7}}。徳彦の血が途絶えたことで、旧宮家としての梨本家は断絶した<ref>川村一彦﹃戦後日本の回想・S22年﹄︵歴史研究会、2021年︶</ref>。
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== 栄典 == |
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* [[1940年]](昭和15年)[[8月15日]] - [[記念章#紀元二千六百年祝典記念章|紀元二千六百年祝典記念章]]<ref>『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。</ref> |
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* [[1943年]](昭和18年)[[4月2日]] - [[勲一等旭日桐花大綬章]]<ref name="kanpo4868"/> |
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== 血縁 == |
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* 父:[[多嘉王]] |
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* 母:[[多嘉王妃静子]] |
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* 養父母:([[梨本宮守正王]]) - [[梨本伊都子]] |
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* 兄弟:[[発子女王]] - [[珖子女王]] - [[賀彦王]] - [[二条恭仁子]] - [[宇治家彦|家彦王]] - '''徳彦王''' |
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* 妻:正子女王(離婚後は[[久邇正子]]) |
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* 子: |
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** 龍田徳久(2011年没)<ref name="女性皇族「お相手候補リスト」にある名前">{{Cite news|url=https://www.dailyshincho.jp/article/2018/11130800/?all=1&page=4|title=「圭くん」に代わる「眞子さま」のお相手も? 女性皇族「お相手候補リスト」にある名前|agency=[[週刊新潮]]|date=2018年11月8日号|author=|accessdate=2019年8月12日}}</ref> |
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*** 龍田吉光(1980年生、独身<ref name="女性皇族「お相手候補リスト」にある名前" />) |
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** 龍田豊子(西坂豊喜夫人) |
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** 龍田鑑代子(菊池健郎夫人) |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|2}} |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite journal |和書 |author = |title =特集 『小室圭くん』とさよならしたい 『紀子さま』の宮内庁『プリンス候補人名録』 |id={{国立国会図書館書誌ID|029298947}}|journal = [[週刊新潮]]|publisher = [[新潮社]]|volume=63|issue=42|date = 2018-11-8 |pages = 20-24 |ref=週刊新潮 2018}} |
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* {{Cite journal |和書 |author = |title =特集 いよいよ始まる『皇位継承』議論 急浮上する『旧皇族』! 『女性天皇』vs.『東久邇宮』という暗闘 |id={{国立国会図書館書誌ID|029965763}}|journal = [[週刊新潮]]|publisher = [[新潮社]]|volume=64|issue=37|date = 2019-10-3 |pages =20-23 |ref=週刊新潮 2019}} |
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{{Start box}} |
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{{S-reg|jp}} |
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{{Succession box |
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| title = 伯爵 |
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| years = [[龍田家]]初代<br />1943年 - 1947年 |
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| before = 叙爵 |
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| after = (華族制度廃止) |
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{{End box}} |
{{End box}} |
2024年4月19日 (金) 05:54時点における版
梨本 徳彦 | |
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龍田伯爵(1943年 - 1947年) | |
束帯姿の徳彦王 | |
続柄 | |
身位 | 王 → 伯爵(華族) → 制度廃止 |
敬称 | 殿下 → 閣下 → 制度廃止 |
お印 | 鳳凰 |
出生 |
1922年11月19日 京都府京都市 |
死去 |
2007年2月7日(84歳没) |
配偶者 | 久邇正子(正子女王、1945年 - 1980年離婚) |
子女 |
龍田徳久 龍田豊子 龍田鑑代子 |
父親 | 多嘉王 |
母親 | 多嘉王妃静子 |
役職 | 貴族院議員 |
生涯
皇族時代
降下後、(元)華族、民間人として
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