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'''池田 菊苗'''︵いけだ きくなえ、[[1864年]][[10月8日]]︵[[元治]]元年[[9月8日 (旧暦)|9月8日]]︶ - [[1936年]]︵[[昭和]]11年︶[[5月3日]]︶は、[[日本]]の[[化学者]]。[[学位]]は、[[理学博士]]︵1902年︶。[[東京大学大学院理学系研究科・理学部|東京帝国大学理学部]][[化学科]]教授。﹁'''[[日本の十大発明家|日本の十大発明]]'''﹂の一つといわれる[[うま味]]成分、L-[[グルタミン酸ナトリウム]]の発見者として知られる<ref name="tokyodaigaku">[http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/treasure/02.html 東京大学大学院 理学系研究科・理学部公式サイト﹁うま味の発見と池田菊苗教授﹂大越慎一化学専攻教授]</ref>。
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== 概要 == |
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== 来歴・人物 == |
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*[[1864年]]、[[薩摩藩]] |
*[[1864年]]、[[薩摩藩]]の[[京都藩邸]]の[[留守居役]]池田春苗の次男として[[山城国]][[京都市|京都]]で出生する<ref>上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、﹃コンサイス日本人名辞典 第5版﹄、株式会社三省堂、2009年 83頁。</ref>。[[京都府立洛北高等学校・附属中学校|京都府中学]]、[[第一高等学校 (旧制) |大学予備門]]を経て、[[1880年]]から大阪衛生試験所で化学を学ぶ。1881年、家出して東京へ。
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*[[1889年]]、 |
*[[1889年]]、帝国大学理科大学化学科(現・[[東京大学大学院理学系研究科・理学部|東京大学理学部]][[化学科]])卒業、大学院へ進学する。 |
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*[[1891年]]、[[師範学校|高等師範学校]]教授となる。 |
*[[1891年]]、[[師範学校|高等師範学校]]教授となる。 |
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*[[1896年]]、東京帝国大学理科大学化学科の助教授となる。 |
*[[1896年]]、東京帝国大学理科大学化学科の助教授となる。 |
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*[[1936年]]、死去。墓所は[[雑司ヶ谷霊園]]。 |
*[[1936年]]、死去。墓所は[[雑司ヶ谷霊園]]。 |
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高弟に[[鰹節]]のうま味成分である[[イノシン酸]]を発見した[[小玉新太郎]]がいる。 |
高弟に[[鰹節]]のうま味成分である[[イノシン酸]]を発見した[[小玉新太郎]]がいる。 |
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== 家族 == |
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* 父・池田春苗 - [[薩摩藩]]士 |
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* 妻・貞 - [[金沢藩]]家老・岡田棣三女。貞の姉の夫に[[櫻井錠二]] |
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* 長男・醇一(1893-1974) - 中国研究家、味の素嘱託、日中友好協会会員<ref>[https://lit.kosho.or.jp/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E9%86%87%E4%B8%80 池田醇一]近代文献人名辞典</ref>。妻の英は鉄道技術者・本間英一郎(1854-1927)の庶子<ref>[https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who8-20025 本間英麿]『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]}</ref><ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%9C%AC%E9%96%93%20%E8%8B%B1%E4%B8%80%E9%83%8E-1654735 本間英一郎こトバンク]</ref>。 |
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* 長女・ふき(1895-没年不詳) - 物理化学者・鮫島実三郎(1890-1973)の妻。実三郎は菊苗の弟子で、東京帝大理学部名誉教授。<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%AE%AB%E5%B3%B6%20%E5%AE%9F%E4%B8%89%E9%83%8E-1646210 鮫島 実三郎(読み)サメジマ ジツサブロウ]コトバンク</ref> |
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== 栄典 == |
== 栄典 == |
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== その他 == |
== その他 == |
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*1907年︵1908年<ref name=":0" />︶に約38kg︵約12kg<ref name=":0" />︶の煮汁を取り出した際に、昆布を煮詰めるために用いられた英国製の大蒸発皿は、当時の貴重な資料として、その後も池田教授から鮫島教授、赤松教授、黒田教授、太田教授へと受け継がれ、現在も東京大学大学院理学系研究科研究室にある<ref name="tokyodaigaku"></ref>。
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*1907年︵1908年<ref name=":0" />︶に約38kg︵約12kg<ref name=":0" />︶の煮汁を取り出した際に、昆布を煮詰めるために用いられた英国製の大蒸発皿は、当時の貴重な資料として、その後も池田教授から鮫島教授、赤松教授、黒田教授、太田教授へと受け継がれ、現在も東京大学大学院理学系研究科研究室にある<ref name="tokyodaigaku"></ref>。
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*住居兼研究室は[[1925年]]([[大正]]14年)に建てられた鉄筋コンクリート造の建物で、戦後に[[学校法人三浦学園]]の所有となり[[品川学藝高等学校]]の1号館として使用されている<ref>[https://shinagawa.ed.jp/guidance/#rekishi 品川学藝高等学校 学校紹介 1号館の歴史] 2023年10月14日閲覧</ref>。 |
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== 脚注 == |
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* [https://www.jpo.go.jp/introduction/rekishi/10hatsumeika.html 十大発明家](特許庁) |
* [https://www.jpo.go.jp/introduction/rekishi/10hatsumeika.html 十大発明家](特許庁) |
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*『[[「うま味」を発見した男]]—小説・池田菊苗』[http://president.jp/articles/-/24 上山明博 著者インタビュー](PRESIGENT Online) |
*『[[「うま味」を発見した男]]—小説・池田菊苗』[http://president.jp/articles/-/24 上山明博 著者インタビュー](PRESIGENT Online) |
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[[Category:山城国の人物]] |
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2024年1月8日 (月) 03:06時点における最新版
いけだ きくなえ 池田 菊苗 | |
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生誕 |
1864年10月8日![]() |
死没 |
1936年5月3日(71歳没)![]() |
居住 |
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国籍 |
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研究分野 | 化学 |
研究機関 |
帝国大学理科大学化学科 ライプツィヒ大学オストワルド研究室 |
出身校 | 帝国大学理科大学化学科卒業[1] |
主な業績 | うま味成分、L-グルタミン酸ナトリウムの発見[1] |
主な受賞歴 |
勲三等瑞宝章(1912年) 日本の十大発明家(1985年、没後顕彰) |
プロジェクト:人物伝 |
概要[編集]
現在、世界中で広く普及しているうま味調味料の発見者で、その成分はL-グルタミン酸ナトリウムであることを解明した。幼少期より昆布のだしに関心を持ち、湯豆腐のだし汁昆布の研究に着手。妻である貞を夜、昆布を乾物屋に買いに走らせ1907年︵1908年[2]︶に約38 kgの昆布︵約12kgの乾燥昆布[2]︶から煮汁をとり︵菊苗は昆布を茹でるだけで昆布を刻んでいたのは妻の貞であった[3]︶、うま味の素であるL-グルタミン酸ナトリウム約30 gを得ることに成功。 1908年︵明治41年︶4月24日には﹁グルタミン酸を主要成分とする調味料製造法﹂に関する特許を出願し、3か月後の7月25日に特許登録された。池田から事業経営を任された鈴木三郎助︵当時鈴木製薬所代表︶により、﹁味の素﹂という商品名で製造販売した。その後、味の素株式会社へと発展した[1]。 甘味、酸味、塩味、苦味に次ぐ第五の味とされる﹁うま味﹂の存在に関しては、長く学界で議論されてきたが、その後、舌の味蕾に存在する感覚細胞にグルタミン酸受容体が発見されたことから、味覚の一つとして認められるようになり、日本語のUMAMIのまま世界に通じる様になった。その後さらに、消化器官にも受容体があることが明らかにされ、胃にうま味が入ると、消化を促進する効果があるとする生理学的学説が示されている[1]。来歴・人物[編集]
●1864年、薩摩藩の京都藩邸の留守居役池田春苗の次男として山城国京都で出生する[4]。京都府中学、大学予備門を経て、1880年から大阪衛生試験所で化学を学ぶ。1881年、家出して東京へ。 ●1889年、帝国大学理科大学化学科︵現・東京大学理学部化学科︶卒業、大学院へ進学する。 ●1891年、高等師範学校教授となる。 ●1896年、東京帝国大学理科大学化学科の助教授となる。 ●1899年より、物理化学研究のためにドイツ・ライプツィヒ大学オストワルド研究室に1年半留学する。 ●1901年5月から10月までロンドンに滞在。夏目漱石と同じ下宿に住み、以降親交を持つ。帰国後、東京帝国大学教授に昇進。 ●1902年、理学博士の学位を取得。 ●1907年、甘味、酸味、塩味、苦味の4基本味以外の味成分を﹁うま味﹂と名づけ、単離研究に着手。 ●1908年、昆布の旨み成分がグルタミン酸ナトリウムであることを発見。グルタミン酸ナトリウムを主成分とする調味料の製造方法を発明し特許を取得[2]。 ●1909年5月、うまみ調味料﹁味の素﹂が鈴木製薬所︵現味の素株式会社︶から発売された。本人はグルタミン酸を、﹁具留多味酸﹂と表記した。 ●1913年、日本化学会会長。 ●1917年、理化学研究所の創立に参加︵同化学部長︶。 ●1919年、帝国学士院会員に任命される。 ●1923年、東京帝国大学を退職。 ●1936年、死去。墓所は雑司ヶ谷霊園。 高弟に鰹節のうま味成分であるイノシン酸を発見した小玉新太郎がいる。家族[編集]
●父・池田春苗 - 薩摩藩士 ●妻・貞 - 金沢藩家老・岡田棣三女。貞の姉の夫に櫻井錠二 ●長男・醇一︵1893-1974︶ - 中国研究家、味の素嘱託、日中友好協会会員[5]。妻の英は鉄道技術者・本間英一郎︵1854-1927︶の庶子[6][7]。 ●長女・ふき︵1895-没年不詳︶ - 物理化学者・鮫島実三郎︵1890-1973︶の妻。実三郎は菊苗の弟子で、東京帝大理学部名誉教授。[8]栄典[編集]
位階 ●1891年︵明治24年︶12月21日 - 従七位[9] ●1904年︵明治37年︶2月10日 - 従五位[10] ●1923年︵大正12年︶4月30日 - 正三位[11] 勲章 ●1903年︵明治36年︶12月26日 - 勲六等瑞宝章[12] ●1912年︵大正元年︶12月18日 - 勲三等瑞宝章[13]その他[編集]
●1907年︵1908年[2]︶に約38kg︵約12kg[2]︶の煮汁を取り出した際に、昆布を煮詰めるために用いられた英国製の大蒸発皿は、当時の貴重な資料として、その後も池田教授から鮫島教授、赤松教授、黒田教授、太田教授へと受け継がれ、現在も東京大学大学院理学系研究科研究室にある[1]。 ●住居兼研究室は1925年︵大正14年︶に建てられた鉄筋コンクリート造の建物で、戦後に学校法人三浦学園の所有となり品川学藝高等学校の1号館として使用されている[14]。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『「うま味」を発見した男―小説・池田菊苗』上山明博、Kindle版、2014年
- 『化学 /Kagaku.』辰巳敬 ほか著、2013年 ISBN 978-4-4-410-81137-1
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 東京大学大学院 理学系研究科・理学部公式サイト「うま味の発見と池田菊苗教授」
- 池田菊苗:作家別作品リスト - 青空文庫
- 十大発明家(特許庁)
- 『「うま味」を発見した男—小説・池田菊苗』上山明博 著者インタビュー(PRESIGENT Online)
- 『池田菊苗』 - コトバンク