「熱田台地」の版間の差分
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熱田台地の範囲は、おおよそ東西に堀川から[[池下 (名古屋市)|池下]]・[[今池 (名古屋市)|今池]]付近まで約5[[キロメートル]]、南北に名古屋城から熱田神宮約7キロメートル、西縁は[[堀川断層]]の[[断層崖]]に沿って開削された人工河川・[[堀川 (名古屋市)|堀川]]と並走し、北縁は[[名古屋鉄道|名鉄]][[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]の[[清水駅 (愛知県)|清水駅]] - [[森下駅 (愛知県)|森下駅]] - [[ナゴヤドーム]]付近にあり、沖積低地との境界が比高5 - 10 mの崖や坂を作っている。名古屋城は北西端の隅を利用して築城されている<ref>[https://maps.gsi.go.jp/#15/35.174124/136.907394/&base=std&ls=std%7Crelief%7Cafm%7Chillshademap%2C0.66&blend=100&disp=1011&lcd=afm&vs=c0j0l0u0t0z0r0f0 熱田台地西部の地形] - 地理院地図。</ref>。 |
熱田台地(広義)の範囲は、おおよそ東西に堀川から[[池下 (名古屋市)|池下]]・[[今池 (名古屋市)|今池]]付近まで約5[[キロメートル]]、南北に西側で名古屋城から熱田神宮約7キロメートル、東側では大曽根から笠寺まで約10キロメートルに広がっている。西縁は[[堀川断層]]の[[断層崖]]に沿って開削された人工河川・[[堀川 (名古屋市)|堀川]]と並走し、北縁は[[名古屋鉄道|名鉄]][[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]の[[清水駅 (愛知県)|清水駅]] - [[森下駅 (愛知県)|森下駅]] - [[ナゴヤドーム]]付近にあり、沖積低地との境界が比高5 - 10 mの崖や坂を作っている。名古屋城は北西端の隅を利用して築城されている<ref>[https://maps.gsi.go.jp/#15/35.174124/136.907394/&base=std&ls=std%7Crelief%7Cafm%7Chillshademap%2C0.66&blend=100&disp=1011&lcd=afm&vs=c0j0l0u0t0z0r0f0 熱田台地西部の地形] - 地理院地図。</ref>。 |
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台地面は形成された年代で熱田面と大曽根面に区分され、熱田面は大曽根面で東西に分断され、東はさらに[[山崎川]]で分断されているが、いずれも同期に形成された面である。 |
台地面は形成された年代で熱田面と大曽根面に区分され、熱田面は大曽根面で東西に分断され、東はさらに[[山崎川]]で分断されているが、いずれも同期に形成された面である。 |
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大曽根面は熱田面中央に1.5 kmほどの幅の浅い窪みとして南に伸び、その東西の境界は、東側は千種駅付近のJR中央線沿い、西側は[[白壁]] - [[東海テレビ放送]]本社 - [[松坂屋]]本店・名古屋[[パルコ]]付近にあり、熱田面との境界に比高2 - 3 mの坂がみられる。南末端は[[若宮大通]]付近で沖積低地に沈み込むが更に続いている。構成する大曽根層は主に砂礫堆積物、層厚約5 m。
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大曽根面は熱田面中央に1.5 kmほどの幅の浅い窪みとして南に伸び、その東西の境界は、東側は千種駅付近のJR中央線沿い、西側は[[白壁]] - [[東海テレビ放送]]本社 - [[松坂屋]]本店・名古屋[[パルコ]]付近にあり、熱田面との境界に比高2 - 3 mの坂がみられる。南末端は[[若宮大通]]付近で沖積低地に沈み込むが更に続いている。構成する大曽根層は主に砂礫堆積物、層厚約5 m。
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また熱田台地の熱田面を呼び分けて、西側では、那古野台地︵北部、城・中心街︶、狭義の熱田台地︵南部、旧熱田の象の鼻状部︶、東側では御器所台地︵北部︶、瑞穂台地︵南部︶、[[笠寺台地]]︵山崎川以南︶とする場合もある |
また熱田台地の熱田面を呼び分けて、西側では、那古野台地︵北部、城・中心街︶、狭義の熱田台地︵南部、旧熱田の象の鼻状部︶、東側では御器所台地︵北部︶、瑞穂台地︵南部︶、[[笠寺台地]]︵山崎川以南︶とする場合もある<ref> ﹁[https://www.city.nagoya.jp/bosaikikikanri/cmsfiles/contents/0000093/93310/78_yougosyu.pdf 用語集]﹂ - 名古屋市</ref>。
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概要[編集]
標高は概ね10メートルから15メートルで南北に長い。北端に名古屋城、南端に熱田神宮が所在する[1]。台地表面を熱田面と称し、これは熱田層の堆積面に相当する[1]。また、台地の中央部の大曽根から鶴舞にかけては、その東西に比べて2メートルほど低くなっている[1]。この部分は熱田台地の成立後、庄内川ないし矢田川の浸食により形成された谷であり、大曽根層から成る大曽根面で構成されている[1]。熱田層は主として軽石を含む砂により形成され、大曽根層は砂礫層である[2]。範囲[編集]
熱田台地︵広義︶の範囲は、おおよそ東西に堀川から池下・今池付近まで約5キロメートル、南北に西側で名古屋城から熱田神宮約7キロメートル、東側では大曽根から笠寺まで約10キロメートルに広がっている。西縁は堀川断層の断層崖に沿って開削された人工河川・堀川と並走し、北縁は名鉄瀬戸線の清水駅 - 森下駅 - ナゴヤドーム付近にあり、沖積低地との境界が比高5 - 10 mの崖や坂を作っている。名古屋城は北西端の隅を利用して築城されている[3]。 台地面は形成された年代で熱田面と大曽根面に区分され、熱田面は大曽根面で東西に分断され、東はさらに山崎川で分断されているが、いずれも同期に形成された面である。 熱田面を作る熱田層は主に砂質堆積物で層厚20 - 40 m。栄以西の下層には海産貝類の化石を含む。御岳火山などの軽石を含む層も見られる。 大曽根面は熱田面中央に1.5 kmほどの幅の浅い窪みとして南に伸び、その東西の境界は、東側は千種駅付近のJR中央線沿い、西側は白壁 - 東海テレビ放送本社 - 松坂屋本店・名古屋パルコ付近にあり、熱田面との境界に比高2 - 3 mの坂がみられる。南末端は若宮大通付近で沖積低地に沈み込むが更に続いている。構成する大曽根層は主に砂礫堆積物、層厚約5 m。 また熱田台地の熱田面を呼び分けて、西側では、那古野台地︵北部、城・中心街︶、狭義の熱田台地︵南部、旧熱田の象の鼻状部︶、東側では御器所台地︵北部︶、瑞穂台地︵南部︶、笠寺台地︵山崎川以南︶とする場合もある[4]。-
尼ヶ坂。濃尾平野(手前)と熱田面(背後)との段差を示す。
(名古屋市東区、2014年(平成26年)9月) -
徳川園の西側を南北に走る市道。濃尾平野(手前)と大曽根面(背後)との段差を示す。
(名古屋市東区徳川町、2014年(平成26年)9月) -
笠寺台地から舌状に突き出た笠寺公園。
(名古屋市南区、2014年(平成26年)9月) -
笠寺台地の南端に突出する星宮社。
(名古屋市南区本星崎町、2014年(平成26年)9月)
形成[編集]
熱田台地と中央本線[編集]
この台地の様子を地上から観察するのに格好の手段として、中央本線が知られている[10]。それは鉄道は高低差が著しく生じるのを嫌うために、盛土や切土により、同一レベルを保とうとするためである[10]。具体的には始発となる名古屋駅から金山駅は標高5メートルから6メートル、千種駅から大曽根駅では標高8メートルから10メートルを保つという[10]。金山駅は4メートルから5メートル程度の堀割の中にあるが、駅を出るとすぐに沖積面に出るために高架が続くことになる[11]。しかし、千種駅では再び熱田台地にあたるため[注釈 1]、堀割の中を進み、大曽根駅では再び沖積面を進行することになる[11]。-
高架の名古屋駅
(2010年(平成22年)2月) -
堀割の金山駅
(2017年(平成29年)3月) -
高架の鶴舞駅
(2017年(平成29年)3月) -
堀割の千種駅
(2017年(平成29年)3月) -
高架の大曽根駅
(2013年(平成25年)3月)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 実際千種駅の南側を東西に横切る広小路通(愛知県道60号名古屋長久手線)は千種駅の西側が短い勾配となっている。[要出典]
出典[編集]
- ^ a b c d 社団法人地質工学会中部支部 1988, p. 26.
- ^ 社団法人地質工学会中部支部 1988, p. 32.
- ^ 熱田台地西部の地形 - 地理院地図。
- ^ 「用語集」 - 名古屋市
- ^ 「名古屋市街地を縦断する活断層の変動地形学的検討」
- ^ 「地図情報 Vol.37 No.2 通巻142号 特集:名古屋を知る」
- ^ 「水の環復活 2050 なごや戦略 資料編」
- ^ 「自然が創り、人が造った なごや」
- ^ 熱田台地全域図および地形区分 - 地理院地図
- ^ a b c 新修名古屋市史編集委員会 1997, p. 6.
- ^ a b 新修名古屋市史編集委員会 1997, p. 7.
参考文献[編集]
- 社団法人地質工学会中部支部『最新名古屋地盤図』名古屋地盤図出版会、1988年1月14日。
- 新修名古屋市史編集委員会 編『新修名古屋市史第8巻』名古屋市、1997年3月31日。