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{{Redirect|今剣|架空の日本刀|日本刀一覧#架空}} |
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{{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}} |
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なお、「源義経(みなもとのよしつね)」の読みは[[訓読み]]で「よしつね」であるが、本書では[[音読み]]で「ぎけいき」と読む。[[森銑三]]は中世・近世期には個人に対する敬意を表す意味で人名を音読みする習慣があったことを指摘し、同様の事例には[[織田信長]]の半生を記した『[[信長公記|信長記]](信長公記、しんちょうき)』の例を挙げている。 |
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== 概説 == |
== 概説 == |
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国文学者の[[岡見正雄]]は、本作が軍記物として﹃[[平家物語]]﹄に基づいた上で生い立ちと没落の書き加えられた、[[室町時代]]の要素が色濃い義経が描かれていると述べている<ref name=okami_p5>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 5.</ref>。
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義経及びその主従などの登場人物たちがよく感情を表し、生き生きと書かれている。しかしながら彼らの死後二百年以上経ってからの成立であるため、﹃義経記﹄の作者は当事者たちの人柄を、直接的にも間接的にも知っていたとは考えられない。また、軍記物語の下地となりうる軍注記を利用したとも考えられていない。その上、作中の行動のあちこちに[[矛盾]]が生じており、当時の伝説と作者の創作によって成立したと考えられている。よって﹁[[史料]]﹂としての価値は低く、今日ではあくまで﹁史伝[[物語]]﹂として扱われている。
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[[民俗学者]]の[[柳田國男]]は、一部の描写の細かさや義経一行の不自然な回り道から、本作が各部分が別の地域の異なる作者たちによって記されたことや、[[長楽寺 (太田市)|長楽寺]]など[[鎌倉]]、[[中仙道]]、[[奥州街道]]付近[[時宗]]の寺院の関係者が物語の普及に関与した可能性を指摘している<ref>{{Citation|和書|last=柳田|first=国男|title=義経記|journal=柳田國男全集|publisher=筑摩書房|volume=33|edition=初|date=2005-03-25|page=345|isbn=4-480-75093-2|ncid=BA32787015}}</ref>。
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分類は軍記物語ではあるが、『[[平家物語]]』のように華々しい合戦の時期に重点が置かれているのではなく、義経の幼少期・出世・没落の時期に重点が置かれている。(実際、平家は合戦がはじまって数ページ程度で滅んでしまう)。言い換えれば、実在の合戦を話の軸として周りの人間模様を描いているというより、源義経という人物が話の軸となっている。まさにタイトル通り『義経記』である。全体的に中世前期の他の軍記物語とは大きく趣が異なり、軍記物語というより[[伝奇]]物語とも言える。 |
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== あらすじ == |
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{{Wikisource}} |
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{{節スタブ|1=書かれていない節について|date=2019年10月}} |
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=== 第一巻 === |
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;義朝都落の事 |
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:義経の父[[源義朝|義朝]]は[[平治]]元年︵[[1160年]]︶[[12月27日]]に[[平治の乱]]にて[[藤原信頼]]側に属すも、[[京都|京]]での戦に敗北し、先祖代々仕えてきた家来たちを失い、残り20数騎で成人していた三人の子供を連れて東国へ落ち延びる<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 36.</ref>。長男の[[源義平|義平]]は[[越前]]にて北国の加勢を得ようとするも失敗し、[[近江国|近江]]の[[石山寺]]に籠城するも[[平家]]の追手を差し向けられ、京都の[[六条河原]]にて斬り殺される<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、pp. 36-37.</ref>。次男の[[源朝長|朝長]]も山賊の矢で膝を射られ、[[美濃国|美濃]]の[[青墓宿]]にて没する<ref name=okami_p37>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 37.</ref>。義朝はそれ以外にも多くの子供を設けていて、熱田大宮司の娘[[由良御前]]との間に[[源頼朝|頼朝]]が、[[九条家|九條院]]の[[常盤御前]]は7歳の[[阿野全成|今若]]、5歳の[[義円|乙若]]、その年に生まれたばかりの[[源義経|牛若]]がいた<ref name=okami_p37/>。
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;常盤都落の事 |
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=== 第八巻 === |
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;判官御自害の事 |
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[[十郎権頭兼房]]に促され、義経はいまの劔という刃長6[[寸]]5[[分]]の[[短刀]]を用いて左胸下部を刺し貫き、内臓を抉りだした後に衣服の袖で拭う<ref name=okami_p383>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 383.</ref>。[[郷御前|北の方]]も敵の近づく中嘆きながらも自害し<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、pp. 384-385.</ref>、5歳の亀鶴御前と生後7日の姫君を兼房は切り殺す<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、pp. 385-386.</ref>。義経は北の方の亡骸の手を取り、兼房に宿所を火にかけるよう命じると絶命する<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 386.</ref>。
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== 関連画像 == |
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ファイル:YoshikazuTengu.jpg|鞍馬山での修行 |
ファイル:YoshikazuTengu.jpg|義経鞍馬山之図。鞍馬山での天狗との修行([[月岡芳年]]画) |
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ファイル:Gojo Bridge.jpg|五条の大橋 |
ファイル:Gojo Bridge.jpg|義経記五条橋之図。五条の大橋で戦う義経と弁慶(月岡芳年画) |
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ファイル:Taira ghost.jpg| |
ファイル:Taira ghost.jpg|[[大物浦]]平家之亡霊。平家の亡霊に追われる義経一行([[歌川国芳]]画) |
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== 関連 |
== 関連作品 == |
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* 能音楽劇 義経記 |
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: 義経記を題材とし、三味線、朗読、歌、能舞で構成された舞台。2013年から年に数回開催されている<ref>[http://agatsuma.tv/info/gikeiki_archives/ 能音楽劇 義経記 公演実績]</ref>。
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**新装版 『日本古典文学大系 歴史文学シリーズ 義経記』 岩波書店 1992年。 |
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:* 音楽・演奏:[[上妻宏光]] |
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:* 朗読・歌・脚本監修:[[デーモン閣下]] |
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:* 能舞:[[山井綱雄]]<ref>[https://ameblo.jp/yamaitsunao/ 能楽師 山井綱雄]</ref>([[金春流]]能楽師) |
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*[[佐藤謙三]]訳 『義経記』(全2巻) [[平凡社東洋文庫]]、初版1979年 のちワイド版。 |
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:* [[地謡]]:[[髙橋忍]]<ref>[https://arsk.jp/news/3782/ 能舞音楽劇「義経記」出演者の方からコメントをいただきました。(その2)] アルスくらしき</ref>(金春流能楽師) |
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== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
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<!-- 実際に参考にした文献一覧︵本文中の追加した情報の後に脚注を導入し文献参照ページを示して、実際に参考にした出典︿書籍、論文、資料やウェブページなど﹀のみを列挙して下さい。さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献は、﹁関連文献﹂などとセクション名を分けて区別して下さい。︶ -->
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*{{Citation|和書|author=岡見正雄(校注)|title=義経記|publisher=岩波書店|edition=新装|date=1992-10|series=日本古典文学大系 歴史文学シリーズ|isbn=4000045008|ncid=BN08465262|ref=岡見 1992}} |
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== 関連文献 == |
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<!-- 実際には参考にしていないが、さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献︵書籍、論文、資料、ウェブページなど︶一覧︵実際に参考にしているのではないので過多にならないように、多すぎたら除去。宣伝はご遠慮下さい、宣伝は除去。実際に参考にした文献は脚注を導入し﹁参考文献﹂節へ追加して下さい。︶ -->
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* [[佐藤謙三]]・小林弘邦 訳 『義経記』 [[東洋文庫 (平凡社)|平凡社東洋文庫]](全2巻)、1979年、ワイド版2003年。[[平凡社ライブラリー]](全1巻)、2024年 |
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* 藪本勝治 『義経記 権威と逸脱の力学』 和泉書院 2015年 |
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== 関連項目 == |
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<!-- 本文記事を理解する上での補足として役立つ、関連性のある項目へのウィキ間リンク、ウィキリンク。可能なら本文内に埋め込んで下さい。 --> |
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*[[十郎権頭兼房]] |
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*[[源平盛衰記]] |
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* [[十郎権頭兼房]] |
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* [[平家物語]] |
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* [[勧進帳]] |
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* [[義経千本桜]] |
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* [[橋弁慶]] - 義経と弁慶を題材にした[[能]]の作品 |
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== 外部リンク == |
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* [http://www.kikuchi2.com/sheet/kgikei.html 義経記(国民文庫)全巻 - 菊池真一研究室] |
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* [https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ri05/ri05_00482/index.html 義経記. 巻第1-8 - 早稲田大学図書館] |
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2024年5月5日 (日) 14:15時点における最新版
概説[編集]
国文学者の岡見正雄は、本作が軍記物として﹃平家物語﹄に基づいた上で生い立ちと没落の書き加えられた、室町時代の要素が色濃い義経が描かれていると述べている[1]。 民俗学者の柳田國男は、一部の描写の細かさや義経一行の不自然な回り道から、本作が各部分が別の地域の異なる作者たちによって記されたことや、長楽寺など鎌倉、中仙道、奥州街道付近時宗の寺院の関係者が物語の普及に関与した可能性を指摘している[2]。あらすじ[編集]
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第一巻[編集]
義朝都落の事 義経の父義朝は平治元年︵1160年︶12月27日に平治の乱にて藤原信頼側に属すも、京での戦に敗北し、先祖代々仕えてきた家来たちを失い、残り20数騎で成人していた三人の子供を連れて東国へ落ち延びる[3]。長男の義平は越前にて北国の加勢を得ようとするも失敗し、近江の石山寺に籠城するも平家の追手を差し向けられ、京都の六条河原にて斬り殺される[4]。次男の朝長も山賊の矢で膝を射られ、美濃の青墓宿にて没する[5]。義朝はそれ以外にも多くの子供を設けていて、熱田大宮司の娘由良御前との間に頼朝が、九條院の常盤御前は7歳の今若、5歳の乙若、その年に生まれたばかりの牛若がいた[5]。 常盤都落の事第八巻[編集]
判官御自害の事関連画像[編集]
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義経鞍馬山之図。鞍馬山での天狗との修行(月岡芳年画)
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義経記五条橋之図。五条の大橋で戦う義経と弁慶(月岡芳年画)
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関連作品[編集]
●能音楽劇 義経記 義経記を題材とし、三味線、朗読、歌、能舞で構成された舞台。2013年から年に数回開催されている[10]。 ●音楽・演奏‥上妻宏光 ●朗読・歌・脚本監修‥デーモン閣下 ●能舞‥山井綱雄[11](金春流能楽師︶ ●地謡‥髙橋忍[12](金春流能楽師︶脚注[編集]
(一)^ ab岡見 1992、p. 5. (二)^ 柳田国男﹁義経記﹂﹃柳田國男全集﹄第33巻、筑摩書房、345頁、2005年3月25日。ISBN 4-480-75093-2。 NCID BA32787015。 (三)^ 岡見 1992、p. 36. (四)^ 岡見 1992、pp. 36-37. (五)^ ab岡見 1992、p. 37. (六)^ 岡見 1992、p. 383. (七)^ 岡見 1992、pp. 384-385. (八)^ 岡見 1992、pp. 385-386. (九)^ 岡見 1992、p. 386. (十)^ 能音楽劇 義経記 公演実績 (11)^ 能楽師 山井綱雄 (12)^ 能舞音楽劇﹁義経記﹂出演者の方からコメントをいただきました。︵その2︶ アルスくらしき参考文献[編集]
●岡見正雄︵校注︶﹃義経記﹄︵新装︶岩波書店︿日本古典文学大系 歴史文学シリーズ﹀、1992年10月。ISBN 4000045008。 NCID BN08465262。関連文献[編集]
●岡見正雄校注﹃日本古典文学大系37 義経記﹄ 岩波書店、初版1959年 ●梶原正昭校注・訳﹃日本古典文学全集31 義経記﹄ 小学館、初版1971年 ●﹃新編 日本古典文学全集62 義経記﹄小学館、2000年 ●佐藤謙三・小林弘邦 訳 ﹃義経記﹄ 平凡社東洋文庫︵全2巻︶、1979年、ワイド版2003年。平凡社ライブラリー︵全1巻︶、2024年 ●高木卓訳 ﹃現代語訳 義経記﹄ 河出文庫 2004年 ●元版﹃古典日本文学全集17 義経記 曽我物語﹄ 筑摩書房 1966年 ●角川源義、高田実 ﹃源義経﹄ 角川新書 1966年、講談社学術文庫 2005年 ●高橋富雄 ﹃義経伝説 歴史の虚実﹄ 中公新書、1966年 ●五味文彦 ﹃源義経﹄ 岩波新書、2004年 ●五味文彦 ﹃物語の舞台を歩く 義経記﹄ 山川出版社 2005年 ●菱沼一憲 ﹃源義経の合戦と戦略 その伝説と実像﹄ 角川学芸出版﹇角川選書﹈ 2005年 ●大塚ひかり﹃大塚ひかりの義経物語﹄ 角川ソフィア文庫 2004年 ●西津弘美訳、西沢正史監修 ﹃義経記 現代語で読む歴史文学﹄ 勉誠出版 2004年 ●近藤好和 ﹃源義経 後代の佳名を貽す者か﹄ ミネルヴァ書房︿ミネルヴァ日本評伝選﹀ 2005年 ●藪本勝治 ﹃義経記 権威と逸脱の力学﹄ 和泉書院 2015年関連項目[編集]
外部リンク[編集]