見性院
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見性院(けんしょういん、1554年︵天文23年︶ - 1622年6月17日︵元和8年5月9日︶)は、安土桃山時代から江戸時代の女性。父は武田信玄で次女、母は三条夫人。穴山梅雪(信君)の正室。
甲斐国︵山梨県︶に生まれる。永禄年間に武田信玄(晴信)の姉の夫に当たる武田氏家臣の穴山信友の子、穴山梅雪(信君)の正室となる。1582年([[天正10年)に信君が土一揆で殺され、織田信長の侵攻による武田氏滅亡後は徳川家康に保護され、江戸城北の丸に邸を与えられる。江戸幕府の2代将軍の徳川秀忠が次女に生ませた子(幸松、保科正之)を養育する。
墓所は埼玉県さいたま市緑区の清泰寺。
関連項目
見性院(けんしょういん、1557年︵弘治3年︶ - 1617年12月31日︵元和3年12月4日︶)は、安土桃山時代から江戸時代の女性。土佐国高知藩主となる山内一豊の正室。出自は諸説あり、浅井氏家臣の若宮喜助友興の子とも、群上八幡城主の遠藤盛数の子とも言われる。名は千代、まつ。
内助の功で夫を支えたエピソードで知られる。
墓所は高知県高知市の山内家墓所。