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﹃連合艦隊﹄︵れんごうかんたい︶は、1981年︵昭和56年︶8月8日に公開された、東宝製作の特撮戦争映画。真珠湾攻撃前夜の日独伊三国軍事同盟の締結から戦艦大和の最期までの太平洋戦争における日本海軍連合艦隊の興亡を、2つの家族のドラマを中心にして描いた作品である。
劇場公開時の配給収入は約19億円︵興行収入に換算すると28.5億円︶で、1981年に公開された日本映画︵同年12月に1982年の正月映画として公開された、薬師丸ひろ子主演の角川映画﹃セーラー服と機関銃﹄を除く︶の中では、配給収入︵興行収入︶・興行動員数ともに最高︵第1位︶を記録した。
この映画の特撮シーンの撮影で使われた戦艦大和の模型は、石川島播磨重工業の子会社︵IHIクラフト︶において9000万円の制作費を費やして作られた。縮尺は1/20で、2005年に広島県呉市の大和ミュージアムに於いて1/10の模型が公開されるまでは、製作された模型としては最大のものであった︵ちなみに、2005年12月17日に公開された東映映画﹃男たちの大和/YAMATO﹄の特撮シーンの撮影に使用された1/35の大和の模型は、この大和ミュージアムに展示されている1/10の模型をベースにして作られている︶。既存の組立模型の拡大コピーで考証や模型の精度には難があったが、小型漁船用の水冷ディーゼルエンジンを動力とし、内部に人が入って自走操船航行できたほか、火薬を用いて46cm主砲の発射シーンを再現することができた︵なお、沖縄水上特攻作戦の戦闘シーンのうち、ロングシヨットで全景が映るシーンや、ラストの爆沈シーンの撮影に使用された大和の模型は、縮尺1/40の模型である︶。
この模型は映画の公開終了後、東宝から東武動物公園に寄贈され、その後、船の科学館に譲渡されて玄関脇の屋外に展示されていた。しかし、2004年末に激しい暴風によって上部構造が大破し、修理不能と判断され廃棄された。
また、同じく小型漁船用のディーゼルエンジンを動力とし、内部に人が入って自走操船航行できる空母瑞鶴の模型も作られた。
なお、瑞鶴については、艦橋や飛行甲板、対空機銃などが神奈川県茅ヶ崎市の柳島海岸に実物大セットで再現された他、大和についても、艦橋下部周りや、高角砲、シールド付の25㎜3連装対空機銃が並ぶ船体中央部の最上甲板付近、また、1番副砲、さらに、艦橋最上部︵防空指揮所、15m測距儀、21号電探︶などが、東宝撮影所内に実物大セットで再現された。
現在は、東宝からビデオソフトやDVDソフトが発売されている︵DVDソフトは2003年12月に発売︶。ただし、ビデオソフトやDVDソフトでは、真珠湾攻撃のシーンなどは、諸般の事情により、劇場公開時、ならびに、テレビ放映時の日米合作映画﹃トラ・トラ・トラ!﹄のフィルムを流用したバージョンではなく、﹃ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐﹄の真珠湾攻撃の特撮シーンのフィルムを流用している。正確に言えば、劇場公開版とテレビ放映版では、真珠湾攻撃のシーンは、﹃トラ・トラ・トラ!﹄のフィルムと、﹃ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐﹄の真珠湾攻撃の特撮シーンのフィルムの両方を流用し、それらのフィルムをシーンに応じて使い分けているが、ビデオソフト版やDVDソフト版では、真珠湾攻撃のシーンは、劇場公開版やテレビ放映版の、﹃トラ・トラ・トラ!﹄のフィルムを流用したシーンの部分も含めて、全て﹃ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐﹄の特撮シーンのフィルムに差し替えられている。
︵*スカイパーフェクTV!の﹁日本映画専門チャンネル﹂では、過去の放送において、劇場公開版とDVDバージョンの両方がノーカットで放送されている。︶
配給
東宝株式会社
製作
株式会社・東宝映画
製作協力
東宝映像株式会社︵現‥東宝映像美術︶
スタッフ
製作‥田中友幸
製作補‥高井英幸
企画協力‥児島襄、豊田穣
監督‥松林宗恵
特技監督‥中野昭慶
脚本‥須崎勝弥
音楽‥服部克久、谷村新司
演奏‥新日本フィルハーモニー交響楽団
主題歌‥谷村新司 ﹁群青﹂
●本編スタッフ
撮影‥加藤雄大
美術‥阿久根厳
照明‥小島真二
録音‥矢野口文雄
編集‥黒岩義民
スチール‥橋山直己
監督助手‥今村一平
製作担当者‥森知貴秀
効果‥東宝効果集団
整音‥東宝録音センター
現像‥東宝現像所
資料提供‥NHK、東京12チャンネル︵現‥テレビ東京︶
協力‥極東コンチネンタル株式会社︵現‥コンチネンタルファーイースト株式会社︶ ︵森幹生︶
●特殊技術︵特撮︶スタッフ
撮影‥鶴見孝夫
光学撮影‥宮西武史
美術‥井上泰幸
照明‥森本正邦
操演‥松本光司
特殊効果‥渡辺忠昭
スチール‥中尾孝
作画‥塚田猛昭、石井義雄
監督助手‥浅田英一
製作担当者‥柳沼延之
キャスト
●︻ハワイ・ミッドウェイ作戦︼
山本五十六︵連合艦隊司令長官︶ 小林桂樹
宇垣纏︵連合艦隊参謀長︶ 高橋幸治
南雲忠一︵第一航空艦隊長官︶ 金子信雄
草鹿龍之介︵第一航空艦隊参謀長︶ 三橋達也
永野修身︵軍令部総長︶ 小沢栄太郎
及川古志郎︵海軍大臣︶ 藤田進
福留繁︵軍令部部長︶ 藤岡琢也
富岡定俊︵軍令部課長︶ 橋本功
●︻レイテ作戦︼
小沢治三郎︵第一機動艦隊司令長官︶ 丹波哲郎
貝塚武男︵空母瑞鶴艦長︶ 神山繁
下田久夫︵空母瑞鶴飛行長︶ 平田昭彦
工藤飛曹長︵瑞鶴飛行隊・艦上爆撃機搭乗員︶ 佐藤允
森整長︵瑞鶴乗組員︶ なべおさみ
武田上整曹︵瑞鶴乗組員︶ 長門裕之
栗田健男︵第二艦隊司令長官︶ 安部徹
小柳富次︵第二艦隊参謀長︶ 近藤宏
豊田副武︵連合艦隊司令長官︶ 田崎潤
神重徳︵連合艦隊先任参謀︶ 佐藤慶
●︻沖縄作戦︼
伊藤整一︵第二艦隊司令長官︶ 鶴田浩二
有賀幸作︵戦艦大和艦長︶ 中谷一郎
●︻激動の時代を生きた人々︼
本郷直樹︵奈良博物館館長︶ 森繁久彌
本郷歌子︵英一・真二の母親︶ 奈良岡朋子
本郷英一︵瑞鶴飛行隊・艦上爆撃機搭乗員︶ 永島敏行
本郷真二︵瑞鶴・大和の航海士︶ 金田賢一
早瀬陽子︵英一の婚約者︶ 古手川祐子
芸者・鈴川 松尾嘉代
茂木大尉︵英一の戦友。瑞鶴飛行隊・戦闘機搭乗員︶ 丹波義隆
小田切武市︵大和工作科分隊士︶ 財津一郎
小田切照代︵正人の姉︶ 友里千賀子
小田切美代︵正人の妹︶ 里美奈保
小田切正人︵特攻隊員︶ 中井貴一︵中井は、この作品がデビュー作であり、第5回日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞した︶
●︻その他の主な出演者︼
大江中尉 佐久田修
青木二飛曹 遠藤公一
大川一整曹 伊藤敏孝
野村飛曹 長谷川論
新聞記者 石田茂樹
町内会長 浜田寅彦
黒島亀人先任参謀 南道郎
渡辺戦務参謀 北浦昭義
大石先任参謀 六本木真
源田実航空参謀 斎藤真
大林参謀長 織本順吉
大前先任参謀 加地健太郎
山本先任参謀 富田浩太郎
大谷作戦参謀 伊吹徹
瑞鶴艦長・野元大佐 長谷川弘
新谷大佐 高並功
駆逐隊司令 中山昭二 他
ナレーター
●平光淳之助
あらすじ
1940年︵昭和15年︶、連合艦隊司令長官・山本五十六大将らの反対にも関わらず、時の海軍大臣・及川古志郎大将の﹁やむを得ない﹂の一言により、日独伊三国軍事同盟が締結された。
その頃、船大工の小田切武市は、息子の正人が海軍兵学校に合格したので、一家全員で有頂天になっていた。18年間の海軍勤務でも下士官止まりであった武市は、﹁正人の将来の出世は約束された﹂と信じて疑わなかった。
翌1941年︵昭和16年︶の春、海軍中尉に昇進した本郷英一は、弟の真二が三高︵第三高等学校=旧制高校︶に合格し、学問の道を志すことを、奈良博物館の館長である父親の直樹や婚約者である早瀬陽子とともに喜んでいた。
やがて、ナチス・ドイツのソビエトに対する宣戦布告をはじめとして、世界情勢は日毎に緊迫の色を強め、アメリカとの戦争の予感は現実のものになろうとしていた。日米和平維持派である山本は、もしも、日米開戦となった場合に備えて、早期和平を実現させる目的から、アメリカ海軍太平洋艦隊の本拠基地であるハワイ・オアフ島の真珠湾を空母機動部隊により奇襲攻撃するという作戦計画を立てた。軍令部首脳と連合艦隊司令部との間では、対米戦争計画について意見が対立することもあったが、最終的には、山本以下の連合艦隊司令部による真珠湾攻撃の作戦計画が採用されることになった。
やがて、日米交渉が決裂し、1941年12月8日、空母機動部隊による真珠湾攻撃が決行され、太平洋戦争に突入した。英一は、空母瑞鶴飛行隊の九九式艦上爆撃機搭乗員の一員として真珠湾攻撃に参加した。日本海軍は真珠湾に停泊していたアメリカ海軍太平洋艦隊の主力戦艦の大部分を全滅させる大戦果を挙げた。次々と炎上する米海軍の戦艦群を、英一は興奮の面持ちで上空から見つめていたが、この時、真珠湾には、米海軍の空母群は停泊していなかった。
真珠湾攻撃と同じ頃︵同年12月16日︶、5年の歳月と造船技術の粋を集めて、極秘のうちに建造されていた巨大戦艦大和が竣工し、翌1942年︵昭和17年︶2月12日、大和は連合艦隊の旗艦となり、山本長官ら連合艦隊司令部要員が乗り組んだ。大和の乗組員の中には、召集令状により予備役下士官から現役下士官に復帰し、大和の工作科分隊士として海軍に復職した武市の姿もあった。
日本軍の連戦連勝の破竹の快進撃の最中、同年4月18日の米空母ホーネットから発進したB-25爆撃機16機の編隊による日本本土初空襲の衝撃を機に、軍令部は、早期和平のためにも、空母を含む米太平洋艦隊の残存部隊を完全に全滅させるという山本の提案によるミッドウェー攻略作戦を了承し、5月下旬、連合艦隊の主力部隊の大部分は、ミッドウェー島沖に向けて出撃した。しかし、6月5日・6日のミッドウェー海戦では、事前に日本軍側の作戦情報を入手していた米軍の待ち伏せにより、赤城以下4隻の主力空母を失ない、作戦は大失敗に終わり、戦局は泥沼の消耗戦へと突入していった。
やがて、同年8月、米軍は、ソロモン諸島のガダルカナル島に上陸し・・・・・。
本作品の特徴
この映画は、戦後の東宝の戦争特撮映画で、日独伊三国軍事同盟の締結から真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、ソロモン諸島攻防戦などを経て、レイテ沖海戦、そして、沖縄水上特攻作戦である菊水1号作戦における戦艦大和の最期に至るまでの日本海軍連合艦隊の興亡史を完全に描いた初めての作品であり、東宝の戦争特撮映画の集大成作として製作された。
また、この映画は、日本映画では初めてドルビー・ステレオ方式の音響が採用された作品でもある。
本作品の評価