「阪神大水害」の版間の差分
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[[File:1938 Great Hanshin Flood damage at Sannomiya.jpg|thumb|right|250px|[[三宮]]における阪神大水害の被害]] |
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[[File:1938 Great Hanshin Flood damage at Ashiya.jpg|thumb|250px|[[芦屋]]における阪神大水害の被害]] |
[[File:1938 Great Hanshin Flood damage at Ashiya.jpg|thumb|250px|[[芦屋市|芦屋]]における阪神大水害の被害]] |
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[[画像:Kobe city tramway damaged by Hanshin flood.jpg|thumb|right|250px|水害で被害を受ける[[神戸市]]加納町三丁目付近]] |
[[画像:Kobe city tramway damaged by Hanshin flood.jpg|thumb|right|250px|水害で被害を受ける[[神戸市]]加納町三丁目付近]] |
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[[File:Iwaya Station flood disaster.jpg|thumb|right|250px|阪神大水害で被害を受けた[[岩屋駅 (兵庫県)|岩屋駅]]]] |
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'''阪神大水害'''︵はんしんだいすいがい︶は、[[1938年]]︵昭和13年︶[[7月3日]]から[[7月5日]]にかけて、[[神戸市]]及び[[阪神間|阪神]]地区で発生した[[水害]]。水害当時、住吉村に暮らした[[谷崎潤一郎]]の小説﹁[[細雪]]﹂の中で、この洪水の様子が描かれ広く知られていることから﹁細雪水害﹂と呼ばれることもある。
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'''阪神大水害'''︵はんしんだいすいがい︶は、[[1938年]]︵昭和13年︶[[7月3日]]から[[7月5日]]にかけて、[[神戸市]]及び[[阪神間|阪神]]地区で発生した[[水害]]。水害当時、住吉村に暮らした[[谷崎潤一郎]]の小説﹁[[細雪]]﹂の中で、この洪水の様子が描かれ広く知られていることから﹁細雪水害﹂と呼ばれることもある。
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== 概説 == |
== 概説 == |
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6月末に太平洋岸に形成された顕著な梅雨前線が7月3日に瀬戸内海を通過、3日の夕方から降り始めた[[集中豪雨|激しい雨]]は4日夕刻に一時収まったが、5日午前1時から5日13時23分まで大豪雨となった<ref>六甲砂防六十年史p101</ref>。この3日間で[[降水量]]が最も多い時には60.8mm/h、総降水量は[[六甲山]]で616mm、市街地の神戸測候所︵後の[[ |
6月末に太平洋岸に形成された顕著な[[梅雨前線]]が7月3日に[[瀬戸内海]]を通過、3日の夕方から降り始めた[[集中豪雨|激しい雨]]は4日夕刻に一時収まったが、5日午前1時から5日13時23分まで大豪雨となった<ref>六甲砂防六十年史p101</ref>。この3日間で[[降水量]]が最も多い時には60.8mm/h、総降水量は[[六甲山]]で616mm、市街地の神戸[[測候所]]︵後の[[神戸海洋気象台]]・[[神戸地方気象台]]︶でも461.8mmに及び、阪神間の広い地域で400mmを超えた。[[六甲山]]南麓︵いわゆる甲南地域︶には[[芦屋川]]、[[住吉川 (兵庫県)|住吉川]]、[[石屋川]]など、急峻な山地から一気に海へと流れ下る川が多いため、各河川流域で決壊、浸水、更に[[土石流]]などの[[土砂災害]]が相次いだ。[[ライフライン|交通網・通信網]]も寸断され、都市機能は麻痺した。
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== 被害 == |
== 被害 == |
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濁流は家屋を破壊し、その材がさらに別の家屋を破壊して被害の規模を大きくした。 |
濁流は家屋を破壊し、その材がさらに別の家屋を破壊して被害の規模を大きくした。 |
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[[東海道本線]]も各所で道床の流出、埋没する被害が生じた。被害の大きかった[[住吉駅 (JR西日本・神戸新交通)|住吉駅]]構内は流れてきた住宅の残骸などで埋め尽くされ、立往生していた急行列車は傾斜したまま泥土に埋没。他の2列車も車輪が埋没した。
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[[東海道本線]]も各所で道床の流出、埋没する被害が生じた。被害の大きかった[[住吉駅 (JR西日本・神戸新交通)|住吉駅]]構内は流れてきた住宅の残骸などで埋め尽くされ、立往生していた急行列車は傾斜したまま泥土に埋没。他の2列車も車輪が埋没した。
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また、豪雨により[[神戸港]]を支えてきた引布水源地も決壊、直下の市街地に濁流が押し寄せた。決壊後20分後には[[三ノ宮駅]]は5尺︵約150cm︶、[[栄町通 (神戸市)|栄町]]では7尺︵約210cm︶の浸水があり、市民は避難する間もなく屋上へ這いあがった<ref>水源地が決壊、阪神沿線に濁流﹃東京朝日新聞﹄ |
また、豪雨により[[神戸港]]を支えてきた引布水源地も決壊、直下の市街地に濁流が押し寄せた。決壊後20分後には[[三ノ宮駅]]は5尺︵約150cm︶、[[栄町通 (神戸市)|栄町]]では7尺︵約210cm︶の浸水があり、市民は避難する間もなく屋上へ這いあがった<ref>水源地が決壊、阪神沿線に濁流﹃東京朝日新聞﹄昭和13年7月6日夕刊︵﹃昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年﹄本編p227-228 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年︶</ref>。
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青谷川一帯にあった︵庶民が暮らす︶[[文化住宅]]は跡をとどめぬほど倒壊する一方、住吉川流域にあった[[名士]]の邸宅も大きな被害に遭った。[[安宅弥吉]]、[[八代則彦]]、[[大原孫三郎]]の住宅は一瞬のうちに破壊された。[[住友吉左衛門]]の邸宅は倉庫と母屋を残して全半壊し、邸内には付近の住民の死体が流れ込む惨状となった。[[甲南小学校]]では階下が土砂で埋まり、避難が間に合わなかった児童6人が死亡・行方不明となった<ref>富豪の邸宅も壊滅﹃東京朝日新聞﹄ |
青谷川一帯にあった︵庶民が暮らす︶[[文化住宅]]は跡をとどめぬほど倒壊する一方、住吉川流域にあった[[名士]]の邸宅も大きな被害に遭った。[[安宅弥吉]]、[[八代則彦]]、[[大原孫三郎]]の住宅は一瞬のうちに破壊された。[[住友吉左衛門]]の邸宅は倉庫と母屋を残して全半壊し、邸内には付近の住民の死体が流れ込む惨状となった。[[甲南小学校]]では階下が土砂で埋まり、避難が間に合わなかった児童6人が死亡・行方不明となった<ref>富豪の邸宅も壊滅﹃東京朝日新聞﹄昭和13年7月6日︵﹃昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年﹄本編p228-229 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年︶</ref>。
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== 背景 == |
== 背景 == |
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六甲山の[[花崗岩]]は構造運動の影響を強く受け、岩盤は数cmから数十cm間隔の割れ目([[節理]])が顕著で脆く崩壊しやすい<ref>六甲砂防六十年史p38</ref>。また江戸時代から経済活動が活発だった地域のため六甲山の森林は建材や燃料として、徹底的に利用されて[[はげ山]]となっていた。明治以降六甲山に植林が行われるようになったが、大水害当時では不十分であった<ref>六甲砂防六十年史p40</ref>。
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六甲山の[[花崗岩]]は構造運動の影響を強く受け、岩盤は数cmから数十cm間隔の割れ目([[節理]])が顕著で脆く崩壊しやすい<ref>六甲砂防六十年史p38</ref>。また江戸時代から経済活動が活発だった地域のため六甲山の森林は建材や燃料として、徹底的に利用されて[[はげ山]]となっていた。明治以降六甲山に植林が行われるようになったが、大水害当時では不十分であった<ref>六甲砂防六十年史p40</ref>。
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災害後、大阪営林局局長は森林の状態について﹁不心得の登山家やハイカーによって、[[山火事]]はまるで名物となった上、住宅建設にために盲目的伐採が続けられている。これで水禍が起こらなかったら不思議である。樹木はおろか雑草など被覆物すらほとんどなく、赤肌を丸出しにしているのが六甲だ﹂とコメントを出している<ref>原因は六甲の伐採、大阪営林局が警告﹃東京日日新聞﹄ |
災害後、大阪営林局局長は森林の状態について﹁不心得の登山家やハイカーによって、[[山火事]]はまるで名物となった上、住宅建設にために盲目的伐採が続けられている。これで水禍が起こらなかったら不思議である。樹木はおろか雑草など被覆物すらほとんどなく、赤肌を丸出しにしているのが六甲だ﹂とコメントを出している<ref>原因は六甲の伐採、大阪営林局が警告﹃東京日日新聞﹄昭和13年7月7日︵﹃昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年﹄本編p229 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年︶</ref>。
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このため大雨により上流で土砂崩れが起こりこれが[[土石流]]と化し、巨岩や大木を交えて甲南地域に押し寄せ、河道を塞いだり、中下流の堤防を破壊するなどしたのである。また[[砂防]]政策の遅れも原因としてあった。この水害を機に、甲南地域の治水・砂防事業は[[兵庫県]]から国に移管されることになり、国は水害直後の[[9月]]に[[内務省 (日本)|内務省]]六甲砂防事業所︵現‥[[国土交通省]][[六甲砂防事務所]]︶を設置。以後、[[太平洋戦争]]による中断期間を除いて一貫して国による治水・砂防事業が実施されている。
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このため大雨により上流で土砂崩れが起こりこれが[[土石流]]と化し、巨岩や大木を交えて甲南地域に押し寄せ、河道を塞いだり、中下流の堤防を破壊するなどしたのである。また[[砂防]]政策の遅れも原因としてあった。この水害を機に、甲南地域の治水・砂防事業は[[兵庫県]]から国に移管されることになり、国は水害直後の[[9月]]に[[内務省 (日本)|内務省]]六甲砂防事業所︵現‥[[国土交通省]][[六甲砂防事務所]]︶を設置。以後、[[太平洋戦争]]による中断期間を除いて一貫して国による治水・砂防事業が実施されている。
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== その他の災害 == |
== その他の災害 == |
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1938年は、例年に比べて大雨や集中豪雨が多く、それによる水害が全国各地で起きた。阪神大水害と同じ頃、[[関東]]地域でも同様の集中豪雨に見舞われ[[那珂川]]<ref>[https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/naka-5-4.pdf 4. 水害と治水事業の沿革 - 国土交通省]</ref>・[[桜川]]<ref>[http://www.kasumigaura.pref.ibaraki.jp/04_kenkyu/introduction/documents/21.pdf 霞ヶ浦の洪水]</ref>・[[利根川]]・[[江戸川]]・[[印旛沼]]<ref>[https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/tone-5-4.pdf 4. 水害と治水事業の沿革 - 国土交通省]</ref>と関東各地で決壊・氾濫・水害が発生し甚大な被害を齎した。また大水害からほぼ1か月後の[[7月28日]]~[[8月1日]]には同様の集中豪雨が[[四国]]から[[東海]]地域にかけて起こり[[徳島県]]の[[那賀川]]が決壊<ref>[http://www.shikoku-saigai.com/archives/35601 四国水害アーカイブス - 昭和13年の水害]</ref>、8月末から9月頃には[[台風]]による水害被害も重なった。
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1938年は、例年に比べて大雨や集中豪雨が多く、それによる水害が全国各地で起きた。阪神大水害と同じ頃、[[関東]]地域でも同様の集中豪雨に見舞われ[[那珂川]]<ref>[https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/naka-5-4.pdf 4. 水害と治水事業の沿革 - 国土交通省]</ref>・[[桜川]]<ref>[http://www.kasumigaura.pref.ibaraki.jp/04_kenkyu/introduction/documents/21.pdf 霞ヶ浦の洪水]</ref>・[[利根川]]・[[江戸川]]・[[印旛沼]]<ref>[https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/tone-5-4.pdf 4. 水害と治水事業の沿革 - 国土交通省]</ref>と関東各地で決壊・氾濫・水害が発生し甚大な被害を齎した。また大水害からほぼ1か月後の[[7月28日]]~[[8月1日]]には同様の集中豪雨が[[四国]]から[[東海]]地域にかけて起こり[[徳島県]]の[[那賀川]]が決壊<ref>[http://www.shikoku-saigai.com/archives/35601 四国水害アーカイブス - 昭和13年の水害]</ref>、8月末から9月頃には[[台風]]による水害被害も重なった。10月には、九州で﹁[[肝属地方風水害]]﹂も発生している。
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また、大水害を受け |
また、大水害を受けて治水・砂防事業が行われたにも拘わらず、同地域は[[1961年]]の豪雨([[昭和36年梅雨前線豪雨]])で兵庫県内の死者41名<ref>六甲砂防六十年史p109 神戸市内の死者は29名</ref>、[[1967年]]の豪雨([[昭和42年7月豪雨]])で同死者100人を出しす大規模な水害<ref>六甲砂防六十年史p111 神戸市内の死者は72名</ref>に見舞われている。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2024年3月8日 (金) 13:15時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2b/1938_Great_Hanshin_Flood_damage_at_Sannomiya.jpg/250px-1938_Great_Hanshin_Flood_damage_at_Sannomiya.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/44/1938_Great_Hanshin_Flood_damage_at_Ashiya.jpg/250px-1938_Great_Hanshin_Flood_damage_at_Ashiya.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e5/Kobe_city_tramway_damaged_by_Hanshin_flood.jpg/250px-Kobe_city_tramway_damaged_by_Hanshin_flood.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/06/Iwaya_Station_flood_disaster.jpg/250px-Iwaya_Station_flood_disaster.jpg)
概説
6月末に太平洋岸に形成された顕著な梅雨前線が7月3日に瀬戸内海を通過、3日の夕方から降り始めた激しい雨は4日夕刻に一時収まったが、5日午前1時から5日13時23分まで大豪雨となった[1]。この3日間で降水量が最も多い時には60.8mm/h、総降水量は六甲山で616mm、市街地の神戸測候所︵後の神戸海洋気象台・神戸地方気象台︶でも461.8mmに及び、阪神間の広い地域で400mmを超えた。六甲山南麓︵いわゆる甲南地域︶には芦屋川、住吉川、石屋川など、急峻な山地から一気に海へと流れ下る川が多いため、各河川流域で決壊、浸水、更に土石流などの土砂災害が相次いだ。交通網・通信網も寸断され、都市機能は麻痺した。被害
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6a/Arimaroad2021.jpg/200px-Arimaroad2021.jpg)
地域名 | 死者・行方不明者 | 家屋の流失・倒壊・埋没 | 家屋の半壊 | 浸水家屋 | 橋梁喪失 |
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神戸市 | 616人 | 5,054戸 | 6,776戸 | 79,625戸 | 52カ所 |
西宮市、精道村(現芦屋市)、良元村(現宝塚市) | 38人 | 253戸 | 932戸 | 22,124戸 | 23カ所 |
武庫郡(現神戸市東灘区) | 48人 | 352戸 | 888戸 | 7,343戸 | 8カ所 |
有野村、山田村(現神戸市北区) | 13人 | 73戸 | 34戸 | 251戸 | 47カ所 |
合計 | 715人 | 5,732戸 | 8,630戸 | 109,370戸 | 130カ所 |
背景
その他の災害
1938年は、例年に比べて大雨や集中豪雨が多く、それによる水害が全国各地で起きた。阪神大水害と同じ頃、関東地域でも同様の集中豪雨に見舞われ那珂川[10]・桜川[11]・利根川・江戸川・印旛沼[12]と関東各地で決壊・氾濫・水害が発生し甚大な被害を齎した。また大水害からほぼ1か月後の7月28日~8月1日には同様の集中豪雨が四国から東海地域にかけて起こり徳島県の那賀川が決壊[13]、8月末から9月頃には台風による水害被害も重なった。10月には、九州で﹁肝属地方風水害﹂も発生している。 また、大水害を受けて治水・砂防事業が行われたにも拘わらず、同地域は1961年の豪雨︵昭和36年梅雨前線豪雨︶で兵庫県内の死者41名[14]、1967年の豪雨︵昭和42年7月豪雨︶で同死者100人を出しす大規模な水害[15]に見舞われている。脚注
阪神大水害について触れた作品
参考文献
- 『阪神大水害調査報告』 昭和13年7月5日 災害科學研究所編 災害科學研究所 1938
- 『阪神大水害写真』 岡田豊一 1938
- 『神戸新聞社での生活四十年』 篠原菊治 1958
- 『六甲砂防六十年史』 六甲砂防工事事務所 2001年
関連項目
外部リンク
- 神戸の水害(神戸 災害と戦災 資料館)
- 甲南高等学校校友会 編『昭和十三年七月五日の阪神水害記念帳』甲南高等学校、1938年。NDLJP:1876548。
- 【アーカイブ】600人超す命奪った大水害 80年前の阪神大水害の映像 - YouTube(朝日新聞社提供、2018年7月7日公開)