あきた十文字映画祭
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あきた十文字映画祭 Jumonji Cinema Festival | |
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十文字文化センター(2021年まで) | |
イベントの種類 | 映画祭 |
開催時期 | 毎年2月 |
初回開催 | 1991年 |
会場 | 十文字コミュニティセンター |
主催 | 十文字映画祭実行委員会 |
最寄駅 | JR東日本奥羽本線十文字駅 |
公式サイト |
あきた十文字映画祭︵あきたじゅうもんじえいがさい︶は、秋田県横手市十文字地域︵旧平鹿郡十文字町︶で毎年2月上旬から中旬にかけての時期に開催される映画祭。1991年に始まった[1]。
概要[編集]
1991年、自主上映サークル﹁夜間飛行﹂のメンバーを中心に、スクリーンで映画を観る場が少なくなってきていた秋田県南部地区で﹁映画のある町づくり﹂を目指して企画された[1]。第1回は1991年12月31日から1992年1月5日まで行われた。12月31日は﹃波の数だけ抱きしめて﹄﹃稲村ジェーン﹄をドライビングシアターで、1月1日から5日までは﹃ウホッホ探険隊﹄﹃サード﹄﹃砂の器﹄﹃遠雷﹄﹃ビルマの竪琴﹄﹃ダイ・ハード2﹄﹃男はつらいよ/ぼくの伯父さん﹄﹃ちびまる子ちゃん/ドラえもん﹄を上演した[1]。4日には根岸吉太郎︵監督︶、永島敏行︵俳優︶、荒井晴彦︵脚本家︶、東海林良︵作詞家︶、白鳥あかね︵スクリプター︶、大高真寿美︵NHKFM パーソナリティ︶をゲストにまねき、シネマフォーラムがひらかれた[2][注釈 1]。 第2回以降は、開催月を2月に変更した。第2回は、1993年2月11日から2月14日までの4日間開催された。日本映画では﹃寝盗られ宗助﹄﹃阿賀に生きる﹄﹃天空の城ラピュタ﹄﹃喜びも悲しみも幾歳月﹄﹃ファンシイダンス﹄﹃無能の人﹄﹃空がこんなに青いわけがない﹄﹃シコふんじゃった﹄、外国映画では、﹃ヒンドとカミリアの夢﹄︵1988年、インド、ムハマド・カーン監督︶、﹃ざくろと笛﹄︵1989年、イラン、サイード・エブラヒミファル監督︶、﹃ジャッカルの夜﹄︵1989年、シリア、アブドラルラティフ・アブドルハミド監督︶、﹃ビレッジボーイ﹄︵1990年、マレーシア、アザド・カーン監督︶、﹃スワミー﹄︵1987年、インド、シャンカール・ナグ監督︶などを上演している[3]。シネマフォーラムは、周防正行︵監督︶、柄本明︵監督・俳優︶、永島敏行︵俳優︶、清水美砂︵女優︶、白鳥あかね、荒井晴彦、寺脇研︵映画評論家︶がゲストとして参加した[3][注釈 2]。 以後、現在まで最新の邦画、新人監督、アジア圏映画の3つが映画祭の柱となっている[1]。ゲスト俳優一覧[編集]
男性[編集]
- 奥田瑛二、永島敏行、豊川悦司、柄本明、塩屋俊、大杉漣、阿部寛、佐藤浩市、北村一輝、高岡蒼佑、役所広司、國村隼、松重豊、山本浩司、柳葉敏郎、若林豪、袴田吉彦、チョウ・バンホウ、大和武士、岡田義徳、草野慶太、柄本佑、奥村公延、島田達樹、木下ほうか、伊藤淳史、新井浩文、三浦誠己、久野雅弘、斎藤歩、浅利陽介、細川茂樹、関裕也、山下徹大、山田キヌヲ、川瀬陽太、綾田俊樹、田口トモロヲ、桐山漣、西島秀俊、伊勢谷友介、品川徹、田中洋之助、柄本時生
女性[編集]
- 清水美砂、江口のりこ、余貴美子、山口智子、松坂慶子、服部妙子、吉行和子、安部聡子、渡辺美佐子、大竹一重、藤本喜久子、大路恵美、佐藤仁美、佐藤康恵、岡元夕紀子、粟田麗、三輪明日美、小沢まゆ、須之内美帆子、ひふみかおり、西田尚美、唯野未歩子、黒川芽以、齋藤桂子、村松恭子、松本夢子、重村真智子、安藤さくら、宮田早苗、藤真美穂、山崎ハコ、菜葉菜、森下くるみ、白都真理、志田未来
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b c d あきた十文字映画祭公式サイト - ウェイバックマシン(2004年2月4日アーカイブ分)
- ^ 第1回 あきた十文字映画祭 ヒストリー - ウェイバックマシン(2004年2月14日アーカイブ分)
- ^ a b 第2回 あきた十文字映画祭 ヒストリー - ウェイバックマシン(2004年2月14日アーカイブ分)
外部リンク[編集]
- あきた十文字映画祭公式サイト - ウェイバックマシン(2004年2月4日アーカイブ分)(日本語)
- 公式Facebook