アルド・ファン・アイク
アルド・ファン・アイク | |
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1970年撮影 | |
生誕 |
1918年3月16日 オランダ・プルメレント |
死没 |
1999年1月14日(80歳没) オランダ・ヴァッセナール |
国籍 | オランダ |
出身校 | スイス連邦工科大学チューリッヒ校 |
職業 | 建築家 |
受賞 |
RIBAゴールドメダル(1990年) ウルフ賞芸術部門(1996年/1997年) |
建築物 |
子供の家 ハーグのカトリック教会 クレラー・ミュラー美術館彫刻パビリオン |
アルド・ファン・アイク︵Aldo Van Eyck、1918年3月16日 - 1999年1月14日︶はオランダ人建築家。都市計画家。建築思想家。詩人ロベルト・ファン・アイクは兄。ズーテルメールに自身の名がついたアルド・ファン・アイク公園がある。
第9回近代建築国際会議CIAM︵1953︶において結成された、アリソン&ピーター・スミッソン夫妻を中心とした若い世代の建築家グループ、チーム・Xの一員。雑誌﹁フォーラム﹂の編集員をつとめ、槙文彦との深い交流が知られている。オッテルロー・サークルやオランダ構造主義を提示した。建築や都市を要求される機能に従って機械的に構成した︵コルビュジェらによる︶CIAMを乗り越え、変化や成長のプロセスを許容しうるダイナミックな構造を模索、プエブロ・インディアンの集落などを範例に基本と成る構成単位を設定し、それを積み重ねることで複合的かつ秩序だった全体性をつくり出そうとした。