アールズ・コート駅
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アールズ・コート駅 Earl's Court station | |
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![]() 駅舎、アールズ・コート・ロード側 | |
セントラル・ロンドンの地図上でのアールズ・コート駅の位置 | |
所在地 |
ケンジントン&チェルシー SW5 9QA 北緯51度29分29秒 西経0度11分41秒 / 北緯51.49139度 西経0.19472度 |
行政区 | ケンジントン&チェルシー王立区 |
運営 | ロンドン地下鉄 |
路線 |
ディストリクト線 ピカデリー線 |
駅構造 | 掘割駅・地下駅 |
ホーム数 | 4面6線(2面4線・2面2線) |
バリアフリー | 対応 [1] |
ゾーン | 1 及び2 |
地下鉄年間乗降員数 | |
2005 | 19.307百万人 |
2007 | 20.861百万人[2] |
歴史 | |
1869年 | 鉄道路線開業(MDR) |
1871年 | 最初の駅開業(MDR) |
1872年 | オリンピア駅まで延伸開業(MDR) |
1872年 | アウター・サークル(NLR)開業 |
1872年 | ミドル・サークル開業(H&CR/MDR) |
1874年 | ハマースミス駅開業(MDR) |
1878年 | 駅移転(MDR) |
1878年 | スーパー・アウター・サークル開業(ミッドランド) |
1880年 | スーパー・アウター・サークル廃止 |
1905年 | ミドル・サークル廃止 |
1906年 | 開業(GNP&BR) |
1940年 | ウェルズデン-アールズ・コート間廃止 |
1946年 | ケンジントン(オリンピア)へ再開業 |
WGS84 | 北緯51度29分29秒 西経0度11分41秒 / 北緯51.4913度 西経0.1947度座標: 北緯51度29分29秒 西経0度11分41秒 / 北緯51.4913度 西経0.1947度 |
アールズ・コート駅︵アールズ・コートえき、英語: Earl's Court station︶は、ロンドン・ケンジントン&チェルシー区にある、ロンドン地下鉄の駅である。
ディストリクト線とピカデリー線の2路線が乗り入れている。このうち、ディストリクト線は当駅から東方向に2方面に分岐し、西方向に3方面に分岐する、路線のハブ︵交通結節点︶として重要な位置を占める駅である。
この駅はトラベルカードゾーン1とゾーン2の境界にあり、両方のゾーンに含まれる。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f8/Earl%27s_Court_District_Line_platforms.jpg/250px-Earl%27s_Court_District_Line_platforms.jpg)
ディストリクト線ホームを俯瞰
1869年4月12日、メトロポリタン・ディストリクト鉄道がウェスト・ロンドン・エクステンション・ジョイント鉄道︵現在のウェストロンドン線︶と接続するために、グロスター・ロード駅からウェスト・ブロンプトン駅まで南西延伸線を開業させたが、この時にはアールズ・コート駅はまだ開業していなかった。
1871年7月3日、ウェスト・ブロンプトン支線から北方向へ、インナー・サークル︵現在のサークル線︶ハイ・ストリート・ケンジントン駅まで至る分岐線︵現在のエッジウェア・ロード支線︶が開業する。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5f/London_Train_Station.jpg/250px-London_Train_Station.jpg)
駅構内、ディストリクト線のホーム
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/97/Earl%27s_Court_-_platforms_2%2B3.jpg/250px-Earl%27s_Court_-_platforms_2%2B3.jpg)
ディストリクト線のホーム
![The next train indicators on the District line platforms](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a5/EarlsCourtTube_TrainIndicators.jpg/250px-EarlsCourtTube_TrainIndicators.jpg)
写真中央上はディストリクト線のホームにある到着列車の行先案内板。 写真右側にはピカデリー線への乗り換え階段がある。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/49/Eastbound_Piccadilly_Line_platform_at_Earl%27s_Court_tube_staiton_01.jpg/250px-Eastbound_Piccadilly_Line_platform_at_Earl%27s_Court_tube_staiton_01.jpg)
ピカデリー線東方面のホーム
1871年10月30日、初代の駅が開業した。初代の駅は現在より少し東の、アールズ・コート・ロードの東側に建設された。
1872年2月1日、メトロポリタン・ディストリクト鉄道は駅の西側からアディション・ロード駅︵現在のケンジントン︵オリンピア︶駅︶までの北行きの支線︵現在のケンジントン︵オリンピア︶支線︶を開業させた。同時に、メトロポリタン・ディストリクト鉄道の路線を越えてアウター・サークル系統の運転が始められている。同年8月1日には、ミドル・サークル系統の運行も始められた。ミドル・サークルはハマースミス&シティー鉄道とメトロポリタン・ディストリクト鉄道により運行されていた。
1874年9月9日、メトロポリタン・ディストリクト鉄道はアールズ・コート駅から西方向に、ウェスト・ケンジントン駅を経由しハマースミス駅に至る別の延伸線︵現在のイーリング支線︶を開業させた。
これにより、アールズ・コート駅からは5つの異なる方面へと列車を運行できるようになった。駅を効果的に運用することが、メトロポリタン・ディストリクト鉄道の成功の鍵となった。しかし、初代の駅は東側のジャンクションに近すぎたため、初代の駅は錯綜した。
1875年11月30日の火事で駅が損壊したため、新たに駅が建設されることになった。
駅構造[編集]
駅は南北に走るアールズ・コート・ロードとワーウィック・ロード︵ともに国道A3220号線)という2本の道路の間で東西に伸びており、それぞれの道路に面して2つの駅舎がある。 ディストリクト線の駅は、島式ホーム2面4線の駅で、東行き・西行きが各1面ずつ使用。東行き・西行きの各方面の列車は相互に同じホームで乗換えが可能になっている。駅は掘割内にあり、大きな屋根がかけられている。 ピカデリー線の駅は地下深い場所にある2面2線のホームである。歴史[編集]
開業以前[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f8/Earl%27s_Court_District_Line_platforms.jpg/250px-Earl%27s_Court_District_Line_platforms.jpg)
初代駅の開業[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5f/London_Train_Station.jpg/250px-London_Train_Station.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/97/Earl%27s_Court_-_platforms_2%2B3.jpg/250px-Earl%27s_Court_-_platforms_2%2B3.jpg)
![The next train indicators on the District line platforms](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a5/EarlsCourtTube_TrainIndicators.jpg/250px-EarlsCourtTube_TrainIndicators.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/49/Eastbound_Piccadilly_Line_platform_at_Earl%27s_Court_tube_staiton_01.jpg/250px-Eastbound_Piccadilly_Line_platform_at_Earl%27s_Court_tube_staiton_01.jpg)