エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン
エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン Erwin von Witzleben | |
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ヴィッツレーベン(1940年) | |
生誕 |
1881年12月4日 ドイツ帝国 プロイセン王国 ブレスラウ |
死没 |
1944年8月8日(62歳没) ドイツ国 ベルリン・プレッツェンゼー |
所属組織 |
ドイツ帝国陸軍 ヴァイマル共和国陸軍 ドイツ陸軍 |
軍歴 | 1901年 - 1944年 |
最終階級 | 陸軍元帥 |
来歴[編集]
初期の軍歴[編集]
反ナチ運動[編集]
1934年の﹁長いナイフの夜﹂でシュライヒャー前首相やフォン・ブレドウといった軍人が不法に粛清されたとき、ヴィッツレーベンは国防軍首脳に対して特別調査委員会の設置を要求しており、以降ナチ党に対する反対者となっていた。1938年2月、ヒトラーの戦争を辞さない外交政策に反対した陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュに対する、ナチ党の失脚工作の不法も非難した。 同年のズデーテン危機の際は、ベック参謀総長、カナリス国防軍情報部長、ヘプナー中将、シュテュルプナーゲル参謀次長らといった将官と共にヒトラー打倒のクーデターを計画し、首都ベルリンの駐留部隊をおさえているヴィッツレーベンは大きな役割を担っていたが、ミュンヘン会談でヒトラーが成功を収めてしまったために中止となった。1938年11月、フランクフルト・アン・デア・オーダーの第2軍団司令官に左遷。翌1939年もハンマーシュタイン=エクヴォルト上級大将によるクーデター計画に加わり、演習を視察するヒトラーを逮捕する計画だったが、これも成功しなかった。 第二次世界大戦が始まると、ヴィッツレーベンは上級大将に昇進して西部戦線の第1軍司令官に任命された。1940年5月のフランス侵攻ではレープ上級大将のC軍集団隷下でドイツ第1軍を指揮した。6月14日にマジノ線を突破し、フランス軍部隊を降伏に追い込んだ。この戦功で騎士鉄十字章を受章。さらにフランス降伏後に多くの同僚と共に陸軍元帥に昇進した。1941年にはゲルト・フォン・ルントシュテットの後任として西方軍司令官に任命されたが、1941年6月に開始されたバルバロッサ作戦後に彼はヒトラーを再び非難し、病気を理由に更迭された。陰謀と処刑[編集]
「 | 君は我々を死刑執行人に引き渡す事が出来る。だが3カ月もすれば怒り苦しめられた民衆が君にツケを払わせ、君は生きたまま路上を引きずり回される事になるだろう | 」 |
8月8日の夕刻、ベルリンのプレッツェンゼー刑務所の処刑場。レールのような鉄の梁に肉を吊るす鉤とピアノ線のようなワイヤーロープが垂れ下がる。7月20日事件に関し、人民裁判所で死刑判決を受けた被告人のうち、ヴィッツレーベンは最初に絞首刑にされた。ヒトラーはあらかじめ「陰謀者たちの死の苦しみをできるだけ長くせよ。連中にはいかなる慰めを与えてはならない。連中を家畜の生肉の様に吊るせ。」と命令し、神父・牧師など宗教関係者の立会いを禁じた。目撃者の証言によると、部屋の隅のテーブルにはブランデーの瓶とコップが置いてある。さらに映像撮影用カメラと強烈なライトが用意されていた。執行は上半身裸にし、ピアノ線の輪に首を通し時間をかけて首を絞め、さらに執行人たちは苦しみもがく被処刑者のズボンを脱がすなど、徹底して人間としての尊厳を傷付ける、非常に残忍な方法で処刑したという。そのような残忍な方法で処刑されたにもかかわらず、ヴィッツレーベンは取り乱す事無く、ドイツ帝国軍人として、最高位の元帥として終始威厳を保ったという。続いてヘプナーら7人も順番に一人ずつ同様な方法で処刑された。
処刑の模様はヒトラーに見せるため撮影された。また見せしめのため陸軍士官学校で上映されたが、それは激しい反発を巻き起こした。処刑の映像を見てヒトラーは楽しんだという説と、嫌がったという説の両方がある。いずれにせよ、ドイツの敗戦間近にヒトラーはフィルムの廃棄を厳命し、戦後連合軍関係者が捜索したが、今日に至るまで発見されていない。
戦後のドイツではヴィッツレーベンは反ナチの闘士として顕彰されており、その名を冠した通りや学校が数多く存在する。ベルリン・プレッツェンゼーの処刑場跡は現在、反ナチ抵抗運動記念館となり、鉄の梁と鉤が保存されている。
参考文献[編集]
- Arnim Ramm, Kritische Analyse der Kaltenbrunner-Berichte über die Attentäter vom 20. Juli 1944. Ein Beitrag zur Geschichte des militärischen Widerstands. Tectum, Marburg 2003; ISBN 3-8288-8575-6.
- Klaus-Jürgen Müller, Witzleben - Stülpnagel - Speidel - Offiziere im Widerstand, Beiträge zum Widerstand, Berlin 1988, Heft 7.
- Arnim Ramm, Der 20. Juli vor dem Volksgerichtshof, Wissenschaftlicher Verlag Berlin, Berlin 2007, ISBN 978-3-86573-264-4
- Hans-Joachim Ramm, „...stets einem Höheren verantwortlich“. Christliche Grundüberzeugungen im innermilitärischen Widerstand gegen Hitler, Stuttgart 1996, ISBN 3-7751-2635-X
外部リンク[編集]
- ドイツ歴史博物館 - 経歴紹介・写真(ドイツ語)