オットー・ヨーン
オットー・ヨーン︵Otto John‥1909年3月19日 - 1997年3月26日︶は、ドイツの反ナチス・レジスタンス、ドイツの防諜機関である連邦憲法擁護庁︵BfV︶初代長官、ソ連国家保安委員会︵KGB︶のスパイ。
左からヴィルヘルム・ギルヌス、ヘルマン・ヘンセルマン、 ヨーン
1954年7月20日、BfV長官オットー・ヨーンとヴォルフガング・ボルゲムート医師が西ベルリンから失踪した。当初、ヨーンは誘拐されたものと考えられていたが、7月23日、東ドイツのラジオから予期せぬニュースが流れた。BfVにおけるナチス分子の専横のため東ドイツに亡命したとするヨーンの表明が放送されたのである。その後、ソ連に長期滞在したが、ヨーンは、ソ連当局に信任されていないことを理解した。1955年12月、デンマークのジャーナリスト、ボンド=ヘンリクセンの助けで西ドイツに帰国。
連邦裁判所は、国家反逆に対してヨーンに禁固4年を言い渡したが、1年半後、恩赦された。その後ヨーンは、同行したボルゲムート医師が眠った彼を国外に連れ出したのだと主張し、名誉回復を訴えたが、却下された。
1997年、インスブルックにて死去。