西ベルリン

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西ベルリン
West-Berlin
連合軍軍政期 (ドイツ) 1948年 - 1991年 ベルリン
西ベルリンの国旗 西ベルリンの国章
(市旗) (市章)
西ベルリンの位置
首都 なし
西ベルリン市長
1948年12月7日 - 1953年9月29日 エルンスト・ロイタードイツ語版(初代)
1989年3月16日 - 1991年1月24日ヴァルター・モンパー(最後)
面積
479.9km²
人口
1987年2,013,000[1]
変遷
ベルリン封鎖 1948年6月
東ベルリン市の発足1948年11月30日[1]
ベルリンの壁建設1961年8月13日
ベルリンの壁崩壊1989年11月9日
東西ドイツの統一1990年10月3日
東西ベルリン市の廃止・統合1991年1月24日
通貨ドイツマルク
現在ベルリンの旗 ベルリン
ベルリンの占領区分

西: West-Berlin, : West Berlin, : Berlin-Ouest19491990西

西

[]


西西西西西西西西西

西西

西西西西

西西西西

西西

西41[ 1][ 2]調1990912

[]

1963

1948624 - 西西

19481130 - 西

1949512 - 

1961813 - 西

1963626 - Ich bin ein BerlinerI am a Berliner, [ 3]

1971 - 44

1972 - 西西西324西西西西

1974 - 1974 FIFA西西西西西
614 - 西

618 - 西

1987612 - !

1989119 - 

1990912 - 調西西

1990103 - 西西

1991124 - 西西

[]

西

西西


 (Neukölln)

 (Kreuzberg)

 (Schöneberg)

 (Steglitz)

 (Tempelhof)

 (Zehlendorf)


 (Charlottenburg)

 (Tiergarten)

 (Wilmersdorf)

 (Spandau)


 (Reinickendorf)

 (Wedding)

[]


 (SPD), 1948  1953)

 (CDU), 1953  1955)

SPD, 1955 - 1957

SPD, 1957 - 1966 - 

SPD, 1966 - 1967

SPD, 1967 - 1977

SPD, 1977 - 1981

SPD, 1981

CDU, 1981 - 1984) - 

CDU, 1984 - 1989

SPD, 1989 - 1990 1991

西[]

1985



西西[2]

西[]

西1972

西西使

4

4

1

303西西

西[]

西1985


西西[3]



西西24[ 4]2425西1:1[4]

西NATOC "Charlie" C[5]

西1990622

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東西ベルリンの国境チェックポイント・チャーリー、西ベルリン側から(1985年8月)
東西ベルリンの国境チェックポイント・チャーリー、西ベルリン側から(1985年8月)
  • 東西ベルリンの国境チェックポイント・チャーリーを望む、西ベルリン側から(1985年8月)
    東西ベルリンの国境チェックポイント・チャーリーを望む、西ベルリン側から(1985年8月)
  • カイザー・ヴィルヘルム記念教会とオイローパセンター(ヨーロッパセンター)(1985年8月)
    カイザー・ヴィルヘルム記念教会とオイローパセンター(ヨーロッパセンター)(1985年8月)
  • 旧駐ドイツ大日本帝国大使館(1985年8月)、現在の駐独日本国大使館
    旧駐ドイツ大日本帝国大使館(1985年8月)、現在の駐独日本国大使館
  • 西ベルリンのユースホステル(1985年8月)
    西ベルリンのユースホステル(1985年8月)
  • 記念切手「ニュー・ベルリン」シリーズ「オイローパセンター(ヨーロッパセンター)」(2008年12月)
    記念切手「ニュー・ベルリン」シリーズ「オイローパセンター(ヨーロッパセンター)」(2008年12月)
  • 世界文化の家(Haus der Kulturen der Welt, 略称:HKW)、旧名称:ベルリン・コングレス・ハレ、建築デザイン:ヒュー・スタビンス(2009年9月)
    世界文化の家(Haus der Kulturen der Welt, 略称:HKW)、旧名称:ベルリン・コングレス・ハレ、建築デザイン:ヒュー・スタビンス(2009年9月)
  • クーダム通り(2003年)
    クーダム通り(2003年)
  • カフェ・クランツラー(2009年11月27日)
    カフェ・クランツラー(2009年11月27日)
  • ベルリン動物園駅(2009年1月4日)
    ベルリン動物園駅(2009年1月4日)
  • 戦勝記念塔(2005年3月30日)
    戦勝記念塔(2005年3月30日)
  • ベルリン・ラジオ塔(2007年8月)
    ベルリン・ラジオ塔(2007年8月)
  • ドイツ技術博物館(2003年2月9日)
    ドイツ技術博物館(2003年2月9日)
  • ベルリン自由大学付属植物園(ベルリン=ダーレム植物園)(2005年5月28日)
    ベルリン自由大学付属植物園(ベルリン=ダーレム植物園)(2005年5月28日)
  • シャルロッテンブルク宮殿(2007年9月9日)
  • 西ベルリンから見たベルリンの壁崩壊(1989年11月10日)
    西ベルリンから見たベルリンの壁崩壊(1989年11月10日)
  • 脚注[編集]

    注釈[編集]

    1. ^ 1987年に最後の収監者であったルドルフ・ヘスが死去したことに伴い同年に運用を終了した。
    2. ^ 大戦中ベルリンに一番乗りを果たした赤軍T-34戦車が敷地内に展示されている。2014年のロシアのクリミア侵攻を機にドイツではこの戦車の撤去を求める運動が起こったが、ソ連による管轄権の廃止と同時に調印されたドイツ最終規定条約の趣旨を尊重するとして原状維持されている。
    3. ^ ドイツ語では不定冠詞をつけない “Ich bin Berliner” が通常の表現であるが、不定冠詞の ein を付け加えることで「私だってベルリン市民の一人なのです」という強調表現になっており、「私はベルリーナーである」という意味ではない。
    4. ^ ただし、使いきれなかった東ドイツマルクは出国のタイミングで実質的に没収されていた。再び東ドイツを訪問した際に引き出す制度は存在したが、手続きが煩雑であった。

    出典[編集]

    1. ^ a b Berlin”. Worldstatemen.org. 2022年9月4日閲覧。
    2. ^ ベルリン・レポート(6)世界の街角からMM
    3. ^ Former border crossing at Friedrichstrasse (Checkpoint Charlie) Border crossings, belrin.de
    4. ^ 東ベルリン・東ドイツ共産主義時代を旅して-1985年夏
    5. ^ ベルリン・レポート(2)世界の街角からMM

    外部リンク[編集]