ジャニーズJr.解散グループ (1990年以前)
ジャニーズJr.解散グループ︵ジャニーズジュニアかいさんグループ︶では、1990年以前に芸能事務所ジャニーズ事務所に所属するジャニーズJr.内に存在したグループを取り挙げる。他の年代についてはジャニーズJr.解散グループ (1990年以降)、ジャニーズJr.解散グループ (2000年以降)を参照。
なお、個人については﹁過去のジャニーズ所属者﹂、バックバンドグループは﹁ジャニーズ事務所 過去のバックバンド﹂、その他関連グループは﹁ジャニーズ関連企画ユニット﹂・﹁ジャニーズ関連OBユニット﹂の項目をそれぞれ参照。
グループ結成順。各グループへのメンバーの所属状況は現時点でのもの。
リトル・リーブス[編集]
1974年春結成。リトル・リーブスを参照。ジャニーズ・ジュニア・エース[編集]
1974年10月結成。ジャニーズ・ジュニア・エースを参照。ザ・ニュース[編集]
1974年に結成。 1975年3月28日 - 3月31日には﹁第53回ウエスタン・カーニバル﹂にも出演したが、同年に自然消滅。 なお、当時のあらゆる文献ではグループ名が﹁ザ・ニューズ﹂と紹介されている場合も多い。 メンバー ●事務所退社 ●小川浩 池田洋 宮崎勝 田淵英人白虎隊[編集]
1975年にジャニーズ事務所が、雑誌﹃平凡﹄とのコラボレーションでジャニーズJr.を募集した。その際の合格者は﹁ジャニーズ・ジュニア第4期生﹂と呼ばれ、その中から選ばれた3人によって結成されたバンドグループ。1976年8月15日に日本劇場で行われた﹁ロックン・ロール・カーニバル﹂にて、﹃バイバイベイビー﹄という曲を唄って初お披露目。その後、同年8月24日 - 28日の日本劇場﹁第56回ウエスタン・カーニバル﹂で改めて本格的にデビューした。 ﹁ギャングス﹂の前身グループ。 メンバー ●事務所退社 ●大野祥孝︵サイドギター︶ 長谷部徹︵ドラム︶ 岩崎富美雄︵ベース︶ギャングス[編集]
1976年結成。ギャングスを参照。キングコング[編集]
1976年から1977年にかけて活動。資生堂﹁バスボン﹂のイメージガール・松本ちえこのシングル﹃ハイ!授業中﹄でのバックダンサーや、テレビ東京﹃ヤンヤン歌うスタジオ﹄内のあのねのねによるコーナー﹁ねのねのなんでも修行中﹂などで活躍した。 メンバー ●事務所退社 ●原川吉臣︵リーダー︶ 大野祥孝 渡辺和晃 井上晴雄 脱退メンバー ●事務所退社 ●浅田敏行 山口裕章 サポートメンバー ●事務所退社 ●曽根崎しんじピラミッド[編集]
川崎麻世のバックコーラス&ダンスグループ。 1979年4月 - 8月まで、毎週日曜夜7時から30分間放送していた日本テレビのダンス番組﹃ミュージック・ボンボン﹄に、ジャPAニーズと共に出演していた。 メンバー ●事務所退社 ●長谷部徹 曽我泰久 田原俊彦ジャPAニーズ・ジュニア[編集]
ジャPAニーズが解散した後の、田原俊彦のバックダンスグループとして結成された。ジャニーズ事務所専属振付師で元ジャPAニーズのボビー吉野による指導の下、1982年 - 1985年に活動。ジャニーズJr.の中でも特にダンスの上手い精鋭たちで組まれていた。基本はジャPAニーズと同じで4人体制。後に何度か入れ替えがあり、延べ十数名が参加することとなった。﹁たのきん3球コンサート︵1983年版︶﹂、﹁'83 Toshiin宝塚﹂、また﹁近藤真彦・武道館コンサート﹂などでも彼らがバックを務めた。参加メンバーは全員、1983年公開の少年隊主演の映画﹃あいつとララバイ﹄にも出演している。 メンバー ●内海光司 ●事務所退社 ●鈴木則行 平本淳也 内海裕一︵内海光司の兄︶ 河村直人 牧村稔 中本雅俊 中村成幸 大沢樹生 宇治正高 前田直樹 他イーグルス[編集]
1982年結成。イーグルスを参照。桜隊予備軍[編集]
1986年、日本テレビ﹃アイドル花組おとこ組﹄内の一般男性による企画ユニット﹁桜隊﹂のサポートグループ。ジャニーズJr.6名。 メンバー ●事務所退社 ●阿部直人 山崎正人︵後にSHADOWのメンバーに︶ 桑名兼司 他3名踊り子[編集]
男闘呼組のバックダンサーグループ。実際にはバンドのバックなのであまり活動しなかった。 メンバー ●事務所退社 ●佐藤寛之 大沼雄一郎 川上康明 鹿内和博 桑名兼司 鈴木幸夫Mr.ミュージック[編集]
1986年10月、テレビ朝日﹃ミュージックステーション﹄がスタートすると同時に結成。同番組限定の専属バックダンサーグループ。 荻野目洋子の﹃六本木純情派﹄などのバックを務めた。 メンバー ●内海光司 ●事務所退社 ●大沢樹生 志賀泰伸 江端郁己 木野正人︵後にB・D 104、CHA-CHAにも所属︶ 他数名スケートボーイズ[編集]
1987年秋結成。スケートボーイズを参照。平家派[編集]
1988年9月、光GENJIのヒット曲﹃剣の舞﹄のバックダンサーグループとして、﹁スケートボーイズ﹂出身のメンバーを中心に結成。剣を持ってのバックダンスを務めた。さらに次の曲﹃地球をさがして﹄でもバックを担当し、小旗を振るダンスを務めた。雑誌用、テレビ用、コンサート用など、それぞれのメンバー編成があり、延べ30名以上が参加。1990年の初頭に消滅した。また、このグループでは﹁リーダー﹂のことを“隊長”と呼び、松元治郎がその役目を務めた。 なお、当初は﹁ホタル﹂というガールズグループも作り、光GENJI・平家派・ホタルの3グループ合同で何かをやろうという企画・構想もあったが、実現には至らなかった。
再結成︵2008年3月-︶
●2008年3月、元メンバーの国分太一がMCを務めるNHK﹁ザ少年倶楽部プレミアム﹂で、当時ジャニーズ事務所に所属していた6名︵城島・山口・国分・坂本・長野・井ノ原︶が出演。同窓会と銘打ったトーク、及び山口を除く5名で﹃剣の舞﹄のバックダンスを披露した︵光GENJI役は番組レギュラーのMAの3名︵屋良・米花・町田︶とM.A.D.︵福田・辰巳・越岡・松崎︶の4名が担当︶。
●2009年12月にはNHK﹁ザ少年倶楽部プレミアム クリスマススペシャル2009﹂で、﹃Graduation﹄を披露した。
●2010年12月の﹁FNS歌謡祭﹂に上記6名で平家派として出演し、﹃Graduation﹄を披露した。
●2010年12月はNHK﹁ザ少年倶楽部プレミアム クリスマススペシャル2010﹂で、﹃STAY WITH ME﹄を披露した。
●2011年12月はNHK﹁ザ少年倶楽部プレミアム クリスマススペシャル2011﹂で、東京の新大久保にあるグローブ座にてファーストコンサートを開催、﹃剣の舞﹄、﹃Graduation﹄、﹃ガラスの十代﹄、﹃地球をさがして﹄、﹃STAY WITH ME﹄を披露︵﹃剣の舞﹄はダンスのみ、﹃STAY WITH ME﹄はテレビ放送のみ︶トークのほか、練習風景も同番組内で放送された。
●2023年6月28日、TV TOKYO MUSIC FESTIVAL﹁テレ東音楽祭2023夏﹂にて、ついに本家・光GENJIの内海光司・佐藤アツヒロとの共演が実現。MCを務める国分と20th Century︵坂本・長野・井ノ原︶の4名が、﹃剣の舞﹄のバックダンサーとして、剣を持ったダンスや殺陣のパフォーマンスを披露した。
メンバー
●TOKIO
●城島茂 国分太一
●V6 / 20th Century
●坂本昌行[1] 長野博 井ノ原快彦︵﹃地球をさがして﹄のみ参加︶
●事務所退社
●朝倉健仁 石川徹 岩佐克次 岡田賢一郎 小山田英樹 萓嶋大輔 菅勇太 桑名兼司 酒井貴史 佐藤功 佐藤敬 関裕通 田中浩 鞆田紀世彦 野口隆史︵現・反町隆史︶ 長谷川文高 平岡功次 平野喜弘 古川栄司 松原一平 松元治郎 村田義治 山口達也 山本隆文 米山武志 米脇明彦 米脇伸彦 渡辺一久 他多数
脚注[編集]
- ^ “TOKIO城島茂、V6解散へ思い語る デビュー前にトニセン3人とユニット「平家派」”. Sponichi Annex. (2021年3月14日) 2021年10月7日閲覧。