ジョルジュ・クートン
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ジョルジュ・クートン Georges Auguste Couthon | |
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ジョルジュ・オーギュスト・クートンの肖像 | |
生年月日 | 1755年12月22日 |
出生地 | フランス王国、ピュイ=ド=ドーム県オルセット |
没年月日 | 1794年7月28日 |
死没地 | フランス共和国、パリ |
前職 | 弁護士 |
所属政党 | ジャコバン派 |
国民公会 | |
選挙区 | オーヴェルニュ |
ジョルジュ・オーギュスト・クートン︵Georges Auguste Couthon, 1755年12月22日 - 1794年7月28日︶は、フランス革命期における政治家・弁護士。ジャコバン派︵山岳派︶の指導者として知られ、﹁ロベスピエールの第二の魂﹂と称された。
テルミドールのクーデタ
12月21日、国民公会の議長に選出されてパリへと帰還し、ジャコバン左派のエベールとその一派の追放に一役を買った。さらに右派のダントンを失脚させた後、プレリアール22日法︵通称﹁恐怖政治法﹂︶の制定に寄与した。これは、革命裁判の手続きを短くするため、証言さえあれば逮捕に踏み切れるとするものであった。この法律により、ジャコバン過激派=山岳派による恐怖政治はさらに加速する。
恐怖政治の過激化に伴って、明確な態度に示さないにせよ、多くの議員が反ロベスピエール感情を抱くようになってきた。そんな中、山岳派独裁打倒を目指すテルミドールのクーデターが勃発する。事前にこの動きを予感していたクートンは、南仏へ行くはずだった予定をキャンセルしてパリに留まった。案の定、彼はロベスピエール、サン・ジュストと共に恐怖政治の3巨頭として多くの非難を浴び、逮捕されてしまう。一度はパリ市役所に逃れるも、再度襲撃された際に自殺に失敗して、階段から転落して再び逮捕され、最終的にギロチンにかけられてその生涯を終えた。