バトラー
バトラー︵英語: butler︶とは、上位の家事使用人。執事とも訳される。
数あるイギリスの家事使用人の中でも最上級の職種の一つであり、フットマン︵従僕︶を勤め上げた者がバトラーに昇格した。上流階級か、下層の上流家庭より裕福な中流最上層の家庭にのみ見られた。
原義は酒瓶を扱う者の意味であって、その名の通り酒類・食器を管理し、主人の給仕をするという本来の職務に加え、主人の代わりに男性使用人全体を統括し、その雇用と解雇に関する責任と権限を持つ。多くの場合、ヴァレット︵従者︶を兼ね、主人の身の回りの世話をするとともに、私的な秘書として公私に渡り主人の補佐をした。
ホワイトハウスのバトラー、ロン・ガイ︵左の人物︶
家事使用人を雇用するという慣行は下火となったが、現在でも絶えたわけではない。バトラーの存在も同様で、現在でも生き続けている。現在のバトラーは使用人の管理者というよりも、秘書・運転手・側近の三者を兼ねた存在である。
使用人そのものの減少により、現在ではフットマンから叩き上げてバトラーになる事はもはや殆ど無いが、特定の機関でバトラーとなる為の専門教育を受ける事ができる。ロンドンの養成学校は週末だけの入門コースから5週間続くコースまであるという[4]。日本の養成学校は不定期で1週間から数週間続くコースがある。[5]
ホワイトハウスでは多数のバトラーを雇用している。人材育成は行っておらず一流ホテルやレストランで働く優秀な者をヘッドハンティングしている。
英国式の作法を身に着けたバトラーに対する需要が中国、ロシア、中東などの新興国を中心に高まっており執事の中には年間15万ポンド稼ぐ人もいる[4]。
執事という語について[編集]
一般に、バトラーの訳語として﹁執事﹂が充てられることが多い。 しかし、近代までの日本語において﹁執事﹂に上級使用人という語義はなく、多くの場合は執行官や執政官、家令の長官︵家宰︶を意味した[1]。その意味では、どちらかといえばスチュワードに近い。平安時代の執事は政務・事務を執行する下級官職だったが︵﹃侍中群要﹄︵1071年?︶︶[1]、やがて摂関家の家司︵家令︶の長官や院庁の長官を指すようになって[1]、特に院庁長官である院執事は南北朝時代以降は大臣級が占める高級官職だった[2]。武家でも、鎌倉幕府の執権の異称や室町幕府の管領の前身として、執政の最高職を指した[1]。明治時代に院政が廃止された後も、﹁執事﹂という語は1940年代までは手紙で貴人や目上の者に対する脇付として使用された[1]。 日本最大の国語辞典である﹃日本国語大辞典﹄第二版︵2000–2002年︶は、日本語の﹁執事﹂に上級使用人としての語義を掲載せず[1]、﹃大辞林﹄第三版︵2006年︶も同様である[3]。一方、﹃デジタル大辞泉﹄︵2019年8月版︶は、﹁貴族・富豪などの大家にあって、家事を監督する職。また、その人。﹂と、バトラーに近い語義を﹁執事﹂の第一義として掲載している[3]。地位[編集]
屋敷内でのバトラーはハウス・スチュワード︵家令︶に次ぐ地位にあり、グルーム・オヴ・ザ・チェンバーズ︵客室係︶、フットマンなどの下級の男性使用人全体を統括する立場にあった。 地下室や台所で雑魚寝の下級使用人とは異なり、バトラーは通常、個室を持つことが許されており、大きな屋敷のバトラーであれば身の回りの世話に専属の使用人が割り当てられた。またフットマンが華美な仕着せをあてがわれていたのとは対照的に、バトラーは私服︵unlivery︶の使用人であり、主人と同様に﹁ジェントルマン﹂の服装をすることが許されていたが、その際には故意に流行遅れのズボンを着用したり、ネクタイをふさわしくない色に変える事などで主人に仕える使用人としての立場を示していた。職務[編集]
本来の職務は主人への給仕と、︵従僕を従わせる手段としての︶酒類や食器類の管理である。それらに加え、他の男性使用人の監督、灯りの準備、戸締まり、火の始末など全体的な管理業務も行う。専任のヴァレットが置かれない場合は主人の身の回りの世話も行う。 スチュワードとは使用人のトップでバトラーよりも上の立場の者。敷地・領地を管理する﹁ランド﹂と屋敷を管理する﹁ハウス﹂の2人がいる場合があった。スチュワードとバトラーは本来は別の役名だが、兼任することもあった。日本では両方とも﹁執事﹂と訳している例もある。 ●屋敷、土地、領地の管理 ●財産管理は本来はスチュワードが行っていた。いない場合はバトラーが兼任することもあった。 ●使用人の管理 ●バトラーは男性使用人を統括していた︵ハウスキーパーは女性使用人を統括し、彼女は女主人に仕えていた︶。 ●主人の服の準備 ●本来は今で言うスタイリストやヘアメイクアーティストといった従者が行っていた。3人くらいで主人の身支度を行っていた様子。 ●お茶、料理の給仕 ●召使によってワゴンは配膳口まで運ばれ、そこで執事に料理が手渡された。 ●靴紐結び給仕[編集]
食事の際、バトラーは主人への給仕を行った。しかし全ての料理がバトラーの手によって運ばれたわけではなく、最初の料理を供した後は主人の左後ろに控え、他の使用人の運んできた料理の覆いを外したり、ワインを注いだりする以外はフットマンやパーラー・メイドなど下級使用人が行った。召使によってワゴンは配膳口まで運ばれ、そこで執事に料理が手渡された。食器の管理[編集]
ヨーロッパ文化圏で食器は古くは東洋から渡来した磁器、または銀器が使われ、非常に高価であり、来客に所有者の財力を誇示する富と権力の象徴であった。銀器はすぐ黒ずみ、取り扱いに特別な注意を要し、常に磨き上げられていなければならなかったし、洗い残しや破損などはあってはならなかった。このような高価な食器類は、不届きな使用人によって﹁紛失﹂されることのないよう、厳重に管理する必要があった。そのため、執事の部屋は食器室と直接通じていた。この食器室に主人側が食事の時に使う食器が有り、その貴重な食器と銀製品も執事が管理していた。酒類の管理[編集]
食器以外にも酒類を管理する必要があった。ビールの醸造やワインの瓶詰めなどに関する技術と知識が必要とされ、食器室のみならずワイン貯蔵庫もバトラーの管理下にあった。ワインの品質に関する知識もバトラーに不可欠だった。ヴィクトリア朝の特徴の1つである大量の食品添加物や不純物はワインにも混入されており、バトラーはそれらを除去する清澄方法に熟知している必要があった。バトラーは消費された量と補充した量を記録したが、しばしば酒蔵管理者としての立場を就業時間内外の個人的飲酒に悪用することがあった。監督[編集]
バトラーを置くような大邸宅であれば、最低でも料理人、フットマン1人から複数、数人のハウス・メイドやナース・メイドといった女性使用人︵メイド︶を雇用していた。女性使用人は女主人かその代理であるハウスキーパー︵家政婦︶が管理し、男性使用人はバトラーが統括した。複数のフットマンを雇用する屋敷であれば、仕事の大部分を彼らに割り振ることができたが、フットマンが1人しかいない場合はバトラーとフットマン、双方ともにハードワークとならざるを得なかった。食事[編集]
●ハウスキーパーの部屋で他のアッパー・サーヴァント︵上級使用人[注釈 1]︶達と一緒に食べた。 ●スティ・ルーム・メイドがテーブルに布をかけ、ナイフやフォークスプーンなどを並べた。 ●給仕はスチュワーズ・ボーイ︵給仕見習い︶が行った。 ●理解のある雇い主は使用人の食事中、呼び出しのベルを鳴らさなかった。 ●以下に、メニューと提供時間の一例を示す。 ●朝食 夏8:00~ 冬8:30~ ●ハム ●コールドローストビーフ ●ボイルドポーク ●ベーコンエッグ ●トースト ●バター&ジャムなどのコールドミート ●ハウスキーパーがお茶を注ぎ、バトラーが肉を切り分けた。 ●昼食︵ディナー︶ 13:00~ ●火を通した肉料理 ●野菜料理 ●スイーツ ︵プディング、タルト、アイスクリームなど︶ ●パン ●チーズ ●アッパー・サーヴァントとロワー・サーヴァント[注釈 2]︵下級使用人︶共に使用人部屋で肉、野菜料理を食べ、その後アッパー・サーヴァント達はハウスキーパーの部屋に移動してスウィートとパンとチーズを食べた。 ●お茶 16:00~17:00 ●コック以外のアッパー・サーヴァントがハウスキーパーの部屋でお茶を摂った。 ●夕食 20:00~21:00 ●アントレ ●デザート ●アッパー・サーヴァント達は正装して夕食を食べた。現在[編集]
日本の執事[編集]
日本での執事の歴史は、2000年代にサブカルチャーの影響により執事喫茶スワロウテイルのなどの出現が始まりであり、戦前にも使用人やお手伝いなどはいたが、執事という名称では呼ばれておらず、明治初期ではあくまで国が定める職員に近かった。ホテルでの限定的なバトラーサービスではなく自宅で体験できるヨーロッパやアメリカの執事たちのような伝統的な執事のサービスを開始したのは、日本バトラー&コンシェルジュ株式会社が富裕層向けに始めたサービスが始まりだった。[6] 昨今は、執事喫茶の他に家族レンタルサービス会社が行うレンタル執事など多数存在するが、富裕層向けという意味ではプロトコールマナーと英国式マナーをベースとした所作を取り入れている新井直之が代表取締役社長を務める日本バトラー&コンシェルジュ株式会社などのサービス会社に入社するか、昔ながらの直接、雇い主に雇用される方法がある創作[編集]
バトラーの仕事を主題にした作品は、イギリス文学ではジョナサン・スウィフトのブラックユーモア﹃奴婢訓﹄やカズオ・イシグロの﹃日の名残り﹄、ユーモア小説ではP・G・ウッドハウスによる﹃比類なきジーヴス﹄、映画では﹃大統領の執事の涙﹄など数多く描かれている。 ﹃ダウントン・アビー﹄では1912年当時の執事とその下で働く家事使用人の仕事が詳細に描かれており、日本語版では﹁執事﹂﹁フットマン﹂﹁従者﹂と役割ごとに区別して訳されている。 ﹁沈着冷静で年配の男性﹂というイギリスのバトラー像はストックキャラクターとして人気があり、サンダーバードのアロイシャス・パーカー、﹃エロイカより愛をこめて﹄のコンラート・ヒンケルを始め多くのキャラクターが存在している。日本の漫画では枢やな﹃黒執事﹄や畑健二郎﹃ハヤテのごとく!﹄など若いバトラーを描いた作品もある。執事の名前[編集]
日本の漫画、アニメ、ゲームに登場する男性の執事の名前として﹁セバスチャン﹂がよく挙げられるが[7]、決して多くないとの指摘もある[8]。 1974年のアニメ﹃アルプスの少女ハイジ﹄にセバスチャンが登場している[8]。漫画では1989年に描かれた﹃ちびまる子ちゃん﹄に﹁ホームヘルパーのセバスチャン﹂と、言葉は違うが家を任せられる存在として使われている[8]。 1991年に漫画﹃サディスティック・19﹄で執事のセバスチャンが登場、作中では本当は崇一郎という名前である日本人の彼が仕える重政家の令嬢、桂子の言いつけで、ある日突然、セバスチャンと呼ばれることになった経緯が語られている[8]。そのとき、もう1つの候補として﹁ギャリソン﹂の名前が出ており︵ちなみにgarrisonとは陸軍の駐屯地の事︶、1978-1979年のアニメ﹃無敵鋼人ダイターン3﹄の執事﹁ギャリソン時田﹂が由来とみられる[8]。そのため﹃サディスティック・19﹄は﹁執事の名前といえばセバスチャン﹂とするイメージのルーツの1つだとの見方がある[8]。2003年の漫画﹃TO THE CASTLE﹄の執事、セバスチャンは本名はラモン・ボンヅゥオだが、マユリの﹁執事っていえばセバスチャンじゃない?﹂との発言によりそう名乗ることになった設定で、この時期には﹁執事の名前といえばセバスチャン﹂とするイメージが成立していたと考えられる[8]。 ﹃アルプスの少女ハイジ﹄から﹃サディスティック・19﹄までは時間が空いており、前者のセバスチャンは執事ではなく使用人とされているため影響があったのかは定かではなく、見た目も執事を連想させやすいわけではないが、原作小説ではほとんど執事といえることや、時間が空いていても子供のときの記憶が残っていることで﹃アルプスの少女ハイジ﹄のセバスチャンは執事であり﹁執事の名前といえばセバスチャン﹂との認識ができることは想定できる[8][9]。1989年の漫画﹃星くずパラダイス﹄の執事、セバスチャンは1978年のアニメ﹃ペリーヌ物語﹄の執事、セバスチャンが由来で、ドイツ出身なのは﹃アルプスの少女ハイジ﹄からだが、﹃星くずパラダイス﹄発表当時は﹁執事の名前といえばセバスチャン﹂とするイメージはなかったと思われる[9]。なお﹃アルプスの少女ハイジ﹄は1970年代に再放送が少なくとも3度、﹃ペリーヌ物語﹄は1980年と1989年に再放送が行われ、後者は﹃サディスティック・19﹄﹃星くずパラダイス﹄発表時期と近い[9]。 また、セバスチャンを﹁セバス﹂と略して呼ぶこともあるが、これも﹃サディスティック・19﹄で描写されている[8]。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ abcdef﹁執事﹂﹃日本国語大辞典﹄小学館、2002年。
(二)^ 橋本義彦﹁執事︵一︶﹂﹃国史大辞典﹄吉川弘文館、1997年。
(三)^ ab"執事". 大辞林 第三版. コトバンクより2020年7月11日閲覧。
(四)^ ab“英ロンドンの﹁執事養成学校﹂が人気、新興国から需要増加”. ロイター. (2012年10月31日) 2013年3月6日閲覧。
(五)^ arai (2017年2月20日). “日本初の執事養成機関﹃プロフェッショナルバトラーアカデミー﹄開講”. 日本バトラー&コンシェルジュ株式会社. 2024年5月16日閲覧。
(六)^ 久我 真樹﹃日本の執事イメージ史 物語の主役になった執事と執事喫茶﹄星海社新書、20180826、359頁。ISBN 978-4065123881。
(七)^ “多すぎ!アニメ・漫画・ゲームのセバスチャンといえば?”. gooランキング (2018年8月22日). 2021年2月9日閲覧。
(八)^ abcdefghi久我真樹 (2018年8月24日). “﹁執事といえばセバスチャン﹂はいつ成立したのか?執事ブーム以前のセバスチャン考察”. 2021年2月9日閲覧。
(九)^ abc久我真樹 (2020年5月4日). “﹁執事といえばセバスチャン﹂考察の追跡調査報告1﹃ペリーヌ物語﹄の影響考察”. 2021年2月9日閲覧。
参考文献[編集]
- P.ホーン 『ヴィクトリアン・サーヴァント』 子安雅博訳、英宝社、2005年
- Isabella Beeton, Book of Household Management. Oxford : Oxford University Press, 2000
- Trevor May, The Victorian Domestic Servant. Buckinghamshire : Shire Publications, 1998
- Frank E.Huggett, Life Below Stairs. London : Book Club Associates, 1977