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ビックスバーグの包囲戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビックスバーグの包囲戦
Siege of Vicksburg
南北戦争

ビックスバーグの包囲戦, by Kurz and Allison.
1863年5月18日 - 7月4日[1]
場所ミシシッピ州ウォーレン郡
結果 北軍の勝利
衝突した勢力
アメリカ合衆国の旗 北軍 南軍
指揮官
ユリシーズ・グラント ジョン・C・ペンバートン
戦力
77,000[2] ~33,000
被害者数
4,835[3] 32,697(降伏29,495)[3]

ビックスバーグの包囲戦(ビックスバーグのほういせん、英:Siege of Vicksburg)は、南北戦争ビックスバーグ方面作戦では最後の大きな戦闘である。北軍の指揮官ユリシーズ・グラント少将のテネシー軍ミシシッピ川を渡った後で、南軍ジョン・C・ペンバートン中将の部隊を要塞都市ビックスバーグを取り巻く防御線の中に追い込んだ。グラントは1863年5月19日と22日の2回、南軍の要塞に対する攻撃を行って大きな損失を出し撃退された後は、5月25日から7月4日までビックスバーグ市を包囲した。この7月4日に南軍は降伏し、ミシシッピ川の支配権が北軍の手に落ちた。この南軍の降伏は、その前日(7月3日)東部戦線におけるゲティスバーグの戦いロバート・E・リー軍が敗北したことと組み合わせて、南北戦争の転回点と見なされている。

背景[編集]

グラントはビックスバーグの南ブルーンズバーグでミシシッピ川を渡った後は、ポートギブソンとレイモンドでの戦闘に勝利し、1863年5月半ばにミシシッピ州の州都ジャクソンを占領して、ペンバートン軍を西方に退かせた。ペンバートンはチャンピオンヒルとビッグブラック川橋の戦いで北軍の前進を止めようとしたが失敗した。北軍ウィリアム・シャーマン少将の軍団が北から南軍の側面を衝こうとしていることが分かったペンバートンは、撤退するか側面を衝かれるに任せるかという選択肢しかなくなった。ペンバートンはビッグブラック川に架かる橋を燃やし、防御の堅いビックスバーグ市に撤退する道すがら、動物や植物、あらゆる食用に出来るもの全てを取っていった[4]

南軍はヘインズブラフを明け渡して、シャーマンの騎兵隊が5月19日にこれを占領し、また北軍の蒸気船は最早ビックスバーグの大砲に対抗する必要も無くなったので、ヤズー川上流で固まってドック入りが可能になった。グラントは以前はルイジアナ州から補給物資を得ていたのを、より直接にグランド湾やブルーンズバーグでミシシッピ川を渡り、その後に北へ動かして補給できるようになった[4]

グラントのビックスバーグに対する作戦
  南軍
  北軍

ペンバートン軍はその前の2つの戦闘で4分の3以上を失っており、ビックスバーグにいる多くの者は南軍の西部方面軍を指揮するジョセフ・ジョンストン将軍が市を解放してくれると期待したが、それは起こらなかった。北軍の大部隊が市を包囲するために行軍してきており、燃やされたビッグブラック川の橋も修理した。グラント軍は5月18日に橋を渡った。ジョンストンはその部下であるペンバートンに市を犠牲にして軍隊を救うよう求める伝言を送ったが、ペンバートンにとっては受け入れがたいことだった(ペンバートンの生まれは北部であり、もしビックスバーグを放棄すれば、南部の大衆に非難されることを恐れたと考えられる)[5]

ペンバートンは、ビックスバーグとポートハドソンは死守しなければならないと主張したジェファーソン・デイヴィスを喜ばそうと努め、またどちらも軍事的には価値がないと考えたジョセフ・ジョンストン将軍を喜ばそうともしたので、板挟みになり、複雑な指揮系統と彼自身の決断力の無さの犠牲になった。明確に考えるにはあまりに意気消沈しており、市を明け渡して北へ向かい再び新たな作戦に逃避できていた可能性を棄てて、ビックスバーグ市内にそのボロボロの軍隊を引き込ませる道を選んだ。ペンバートンはビックスバーグにその軍隊を後退させることを選んだとき、決死の覚悟で守ろうと考えたその軍隊と市の運命を封じ込めた。- Vicksburg, Michael J. Ballard.[6]

対戦した勢力とビックスバーグの防御力[編集]


18,50035,0006.5 (10 km)3沿[7]

3A131517

C4LHLS

[]


5193617 (5.2 m)6 (1.8 m)8 (2.4 m)退2P[8]

5191577778862[9]

522[10]

519退521[11]

220D使5224103 (5 km)[12]

150M退AT100 (90 m)使[13]

沿EG100 (90 m)A3E辿D2F[14]

沿A2J2[15]

11使2[16]

我々の前線が出発し、我々の鬨の声が空中に消える前に、敵兵で完全に混雑していた前面の南軍砦から挑戦の鬨の声が上がり、我々の隊列に一繋がりのマスケット銃火が降り注ぎ、続いて前面と両横の砦や砲台から熄むことのない銃弾や砲弾が我々の前線に浴びせられて恐ろしい結果になり、われわれを目掛けた銃弾の嵐は破裂する砲弾と悪魔のような南軍の鬨の声と混ざり合い、ダンテの地獄絵以外比べようもないもので、言葉では表せないような恐ろしいものだった。

Daniel A. Ramsdell, Ransom's Brigade[17]

2215退3退426[18]

25022,5501473500[19]

[]


[20]525A140...[21][22]

ditches[23]

[24]

12 (19 km)50,000西611J5,000612163G98,00061477,000[25]

G67退652185[26]

我々は塹壕線を敵軍の大変近くまで引いていったので、手投げ弾を砦の中に投げ入れられるほどになった。我々の狙撃手が近くにいて見張っているので、敵は如何なる時にもその胸壁から頭を出そうとしない。町は完全に包囲された。我が軍の陣地は大変強固なので、私自身そこを放っておいて、守備隊を2回叩けるくらいの部隊を連れて20マイルや30マイルは外出できると思う。

ユリシーズ・グラントからジョージ・G・プライドに宛てて、1863年6月15日[27]

6

6[28]

22,000使500[29]

[]


5306186316181318645[30]

6221610G91571退[31]

3[]


32,200 (1,000 kg)62517A4540 (12 m)12 (3.6 m)717234[32]

[]


733[33]



[34]

74792[35]

4,83532,96729,495[3]32910,1429,0911725[36]

[]


74274[37]


脚注[編集]

  1. ^ National Park Service. グラント軍は5月18日にビックスバーグ郊外に到着したが、正式な包囲戦はグラントの特別命令第140号が発せられた5月25日に始まった。 (Simon, p. 267).
  2. ^ Kennedy, p. 172.
  3. ^ a b c Kennedy, p. 173.
  4. ^ a b Esposito, text for map 105.
  5. ^ Smith, p. 251; Grabau, pp. 343-46; Catton, pp. 198-200; Esposito, text for map 106.
  6. ^ Ballard, p. 318.
  7. ^ Eicher, pp. 467-68.
  8. ^ Eicher, p. 468; Ballard, p. 327-32.
  9. ^ Bearss, vol. III, pp. 778-80; Ballard, p. 332.
  10. ^ Ballard, p. 339.
  11. ^ Ballard, p. 333.
  12. ^ Kennedy, p. 171; Foote, p. 384; Smith, p. 252.
  13. ^ Ballard, p. 338-39; Bearss, vol. III, pp. 815-19.
  14. ^ Ballard, p. 339-40; Bearss, vol. III, pp. 819-23.
  15. ^ Ballard, p. 340-43.
  16. ^ Ballard, p. 343-44; Bearss, vol. III, pp. 836-38.
  17. ^ Ballard, pp. 344-45.
  18. ^ Ballard, pp. 344-46.
  19. ^ Eicher, p. 469; Bearss, vol. III, p. 869; Kennedy, p. 172.
  20. ^ Foote, p. 386.
  21. ^ Simon, pp. 267-68.
  22. ^ Grant, ch. XXXVII, p. 1.
  23. ^ Smith, p. 253; Foote, p. 412; Catton, p. 205.
  24. ^ Bearss, vol. III, pp. 860-61; Foote, p. 387.
  25. ^ Bearss, vol. III, pp. 963, 1071-79.
  26. ^ NPS Milliken's Bend; Bearss, vol. III, pp. 1175-87.
  27. ^ Bearss, vol. III, p. 875.
  28. ^ Korn, pp. 149-52; Catton, p. 205; Ballard, pp. 385-86.
  29. ^ Korn, p. 139; Foote, p. 412.
  30. ^ Bearss, vol. III, pp. 875-79; Ballard, pp. 358-59; Korn, pp. 147-48.
  31. ^ Esposito, text for map 107.
  32. ^ Garbau, pp. 428-38; Bearss, vol. III, pp. 908-30.
  33. ^ Smith, pp. 254-55.
  34. ^ Grant, ch. XXXVIII, p. 16.
  35. ^ McPherson, p. 638.
  36. ^ Ballard, pp. 398-99.
  37. ^ 歴史家のマイケル・G・バラードはその著書Vicksburg campaign history, pp. 420-21, で、この話は事実にほとんど基づいていないと主張している。市当局がその祝日としてこの日を認めていたかは不明だが、南部が7月4日を長年祝ってきたかは、公式の市や郡の行事よりも家族のピクニックで多く特徴づけられていた。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Ballard, Michael B., Vicksburg, The Campaign that Opened the Mississippi, University of North Carolina Press, 2004, ISBN 0-8078-2893-9.
  • Bearss, Edwin C., The Campaign for Vicksburg, Volume I: Vicksburg is the Key, Morningside House, 1985, ISBN 0-89029-312-0.
  • Bearss, Edwin C., The Campaign for Vicksburg, Volume II: Grant Strikes a Fatal Blow, Morningside House, 1986, ISBN 0-89029-313-9.
  • Bearss, Edwin C., The Campaign for Vicksburg, Volume III: Unvexed to the Sea, Morningside House, 1986, ISBN 0-89029-516-6.
  • Catton, Bruce, Never Call Retreat, Doubleday, 1965, ISBN 0-671-46990-8.
  • Eicher, David J., The Longest Night: A Military History of the Civil War, Simon & Schuster, 2001, ISBN 0-684-84944-5.
  • Foote, Shelby, The Civil War, A Narrative: Fredericksburg to Meridian, Random House, 1958, ISBN 0-394-49517-9.
  • Grabau, Warren E., Ninety-Eighty Days: A Geographer's View of the Vicksburg Campaign, University of Tennessee Press, 2000, ISBN 1-57233-068-6.
  • Grant, Ulysses S., Personal Memoirs of U. S. Grant, Charles L. Webster & Company, 1885–86, ISBN 0-914427-67-9.
  • Kennedy, Frances H., ed., The Civil War Battlefield Guide, 2nd ed., Houghton Mifflin Co., 1998, ISBN 0-395-74012-6.
  • Korn, Jerry, and the Editors of Time-Life Books, War on the Mississippi: Grant's Vicksburg Campaign, Time-Life Books, 1985, ISBN 0-8094-4744-4.
  • McPherson, James M., Battle Cry of Freedom: The Civil War Era (Oxford History of the United States), Oxford University Press, 1988, ISBN 0-19-503863-0.
  • Smith, Jean Edward, Grant, Simon and Shuster, 2001, ISBN 0-684-84927-5.
  • Simon, John Y. (ed.), The Papers of Ulysses S. Grant, Volume 8: April 1- July 6, 1863, Southern Illinois University Press, 1979, ISBN 0-8093-0884-3.
  • National Park Service battle description
  • Woodworth, Steven E., ed., Grant's Lieutenants: From Cairo to Vicksburg, University Press of Kansas, 2001, ISBN 0-7006-1127-4.
  • Woodworth, Steven E., Jefferson Davis and His Generals: The Failure of Confederate Command in the West, University Press of Kansas, 1990, ISBN 0-7006-0461-8.
  • Woodworth, Steven E., Nothing but Victory: The Army of the Tennessee, 1861- 1865, Alfred A. Knopf, 2005, ISBN 0-375-41218-2.

外部リンク[編集]