フライベルク工科大学
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モットー |
Die Ressourcenuniversität. (1765年の設立時より) 日本語訳「資源大学」 |
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設立年 | 1765年 |
総長 | Jens Then |
学長 | Klaus-Dieter Barbknecht |
学生総数 | 4,016 (2019/20冬学期時点)[1] |
所在地 |
ドイツ ザクセン州フライベルク 北緯50度55分05秒 東経13度20分27秒 / 北緯50.91806度 東経13.34083度座標: 北緯50度55分05秒 東経13度20分27秒 / 北緯50.91806度 東経13.34083度 |
公式サイト | tu-freiberg.de |
フライベルク工科大学︵フライベルクこうかだいがく、ドイツ語: Technische Universität Bergakademie Freiberg︶[注 2]は、ドイツ、ザクセン州のフライベルクにある、およそ4,000名の学生を擁する規模の工科大学である。
1765年の設立以来長く、単に"Bergakademie Freiberg"︵ベルクアカデミー・フライベルク︶[4]を称し[注 3]、日本語では、フライベルク鉱山学校[5][6]あるいは、フライベルク鉱山専門学校と表現された。1990年のドイツ再統一後の1993年3月11日に"Technische Universität Bergakademie Freiberg"[注 2]と名称が変更された[7]。フライベルク鉱山大学、フライベルク鉱業大学、あるいはフライベルク鉱山工科大学とも。
鉱物学研究所ウェルナー棟の正面玄関。上部にロックハンマーとともに "GLÜCK AUF!"と刻まれているのが分かる。
1866年当時のフライベルク鉱山学校の本館[8]
フリードリッヒ・ヴィルヘルムとフリードリヒ・アントンによる構想に基づきザクセン選帝侯家公子フランツ・クサーヴァーによって1765年に、鉱業と冶金に関しての世界最古の大学として設立された
[注 4][注 5][注 6][注 7]。
設立初期には、鉱山技術・冶金のための科学的な研究と教育として、﹁数学、力学、気流学、水力学、流体力学、断面図法、地質製図、機械製図、鉱物学実習及び鉱物収集、冶金化学及び冶金術、鉱山測量、試金術、鉱山学、測量器具・試金装置・模型の制作﹂が教授される学科目とされた[4][注 8]。
設立間もない時期に本学で学び後に教授を務めたウェルナー[注 9]は、こんにち火成岩や変成岩の一種とされる玄武岩や花崗岩は水中で沈積してできた水成岩[27]と考え水成論を主唱したため、火成論を唱える学者との間で論争になった[28]。ともあれ、ウェルナーの研究手法は、近代地質学の萌芽期であった当時では実地に根差した精緻なものであったため[29]、ブーフ、ドウビソン、アンドラダ[注 10]といった門下や賛同者が本学に集まった[31][6]。門下には1791年から1792年にかけて本学で鉱業を学び自然地理学、植物地理学に大きな足跡を残し地質学にも貢献を果たしたフンボルトがいる。
本学の科学者による顕著な業績として、リヒターとライヒによる化学元素のインジウムの発見︵1863年︶、ヴィンクラーによる同じくゲルマニウムの発見︵1886年︶があげられる。
こんにち、フライベルク工科大学は、数学・情報科学、化学・生物学・物理学、地球科学・地球工学・採鉱、機械工学、材料科学、および経済学の6つの学部から構成される高度に専門化された工科大学である。
概要[編集]
課程[編集]
課程はドイツ語で提供されるほか、国際課程では英語で全ての課程が提供される。学士課程から博士課程まで全ての課程への入学条件については、成績に基づくだけで、ドイツの公立大学での一貫した就学の条件と同様に授業料は掛からず、学生は、学期毎に登録料の84ユーロのみを支払う。 修士課程を含み英語で提供される課程としては次の課程がある。 ●持続可能で革新的な天然資源管理︵SINReM︶ ●先端鉱物資源開発 ●地下水管理 ●持続可能な採鉱と修復管理 ●計算材料科学 ●計算科学・計算工学 ●機械プロセス工学 ●金属材料工学 ●発展途上・新興市場における国際商取引︵IBDEM︶ フライベルク工科大学は、鉱山工学分野で世界最高水準の大学と位置づけられてきた[32]。 公立大学であるものの比較的大きな私的寄付があり、本学にはドイツで最大規模の大学基金が運営されている[33]。留学生とダブル・ディグリー[編集]
フライベルク工科大学は、非常に国際性に富んだ大学で、2018年時点では全学生4,061名のうちの24%がドイツ外からの留学生である。中国、フランス、イタリア、ポーランド、ロシア、タイなどの大学との間に複数学位︵ダブル・ディグリー︶の協定が結ばれている。授けられる博士号の約30%が外国人学生に対してのものである[1]。鉱物コレクション[編集]
本学の歴代の科学者により蒐集された鉱物コレクションや地質学・鉱床学・古生物学に関わるコレクションを展示・公開する施設[34][35]が本学に附属する。さらにドイツの資産家で生物学の博士号をもち蒐集家であったエリカ・ポール=ストローアから寄贈された鉱物コレクションを展示・公開する施設テラ・ミネラリア[36][37][38]も本学に附属し、これらの鉱物コレクションは世界でも最大規模を誇る[39][注 11]。日本との関わり[編集]
明治時代にお雇い外国人として来日した学者や技術者にライマン、パンペリー、アレキシス・ジェニン[41][42][43][44]、ネットー、ミルン[注 12][45]、アドルフ・レーデブア[46][47]といった本学で学んだ関係者がいる。 明治時代を中心に昭和前半までに日本からも多くの留学生が本学に学んだ[48][49]。岩佐巌︵今井巌︶[注 13][50][51][52][53]を嚆矢として、原田豊吉、栗本廉、野呂景義、渡辺渡、今泉嘉一郎など多くの地質学者、冶金学者、鉱山技術者を輩出した[4]。彼らは例えば、リヒター、ヴィンクラーあるいはレーデブアから教えを受けた[54][4]。第2次世界大戦後の長い期間東ドイツに位置していたこともあり本学に留学した日本人は少ない[49][55]。 また、秋田大学︵理工学部・国際資源学部︶の前身となった旧制秋田鉱山専門学校はフライブルク工科大学をモデルとして設立されたとされる[56][57][58]。大学間協定[編集]
関係者[編集]
「de:Liste von Persönlichkeiten der Technischen Universität Bergakademie Freiberg」および「Category:フライベルク工科大学の教員」も参照
- アブラハム・ゴットロープ・ウェルナー[注 9]
- エルンスト・フリードリヒ・フォン・シュロトハイム
- レオポルト・フォン・ブーフ
- ファン・ホセ・デ・エルヤル
- ファウスト・デ・エルヤル
- ジョゼ・ボニファチオ・デ・アンドラダ
- ジャン=フランソワ・ドウビソン・ド・ヴォワザン
- アレクサンダー・フォン・フンボルト
- ノヴァーリス
- ヴィルヘルム・アウグスト・ランパディウス
- フリードリッヒ・モース
- ロバート・ジェイムソン
- ヨハン・カール・フライエスレーベン
- ジギムント・アウグスト・ヴォルフガング・ヘルダー
- カール・フリードリヒ・ナウマン[注 14]
- フェルディナント・ライヒ
- ユリウス・ワイスバッハ
- ベルンハルト・フォン・コッタ
- エルンスト・エンゲル
- テオドール・リヒター
- グスタフ・ツォイナー
- パヴェル・イェレメイェフ
- ウィリアム・トーマス・ブランフォード
- ベンジャミン・スミス・ライマン
- ラファエル・パンペリー
- クレメンス・ヴィンクラー
- ポール・ハインリッヒ・フォン・グロート
- アレキシス・ジェニン[41]
- クルト・ネットー
- ジョン・ミルン
- 岩佐巌(今井巌)[注 13][50][51][52][53]
- 栗本廉
- 安東清人
- 野呂景義
- 渡辺渡 (冶金学者)
- 巖谷立太郎
- 大島道太郎
- 原田豊吉
- エミール・バールセン
- アドルフ・レーデブア
- 渡辺芳太郎
- 今泉嘉一郎
- 俵国一[60][61]
- 井上匡四郎[49][62]
- 加藤武夫
- 羅幹
- ゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセン
ギャラリー[編集]
-
ゲルマニウム
-
"Reiche Zeche"(ライシャ・ツェヒャー)と呼ばれる研究と教育用で見学もできる鉱山施設[注 15]
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ 村谷泰一 (2007)の西ドイツの炭鉱での体験談に紹介されている。なお本文中の1985年9月6日の日付は文脈より1958年9月6日の誤記と分かる。
(二)^ ab逐語的に訳せば﹁工科大学鉱山アカデミーフライベルク﹂となる。ドイツの大学の呼称は、ハイデルベルク大学の例のように広く慣用されてきた名称と地名が末尾にくる正式名称の表現が異なる場合がある。
(三)^ "Bergakademie"の"Berg"︵ベルク︶は﹁山﹂の意で、"akademie"︵アカデミー︶は"academie"とも綴り、ギリシア語の"Ἀκαδημ(ε)ια"︵アカデメイア︶を起源とする語。"berg-"は、複合語で鉱山の意味を示すことがある[2]。
(四)^ ここで最古の鉱山学校︵英: mining school︶とした場合には異論もある。例えば金光男 (2011)は、小林貞一 (1962)と佐々木正勇 (1985)を引いて、﹁ロシア・エカテリンブルクやボヘミア・アヒミスタールの鉱山学校,あるいはノルウェー・コングスベルク鉱山学校﹂がフライベルク鉱山学校に先立つとしている。
(五)^ ボヘミアのヤーヒモフ︵チェコ語: Jáchymov、ドイツ語では"Joachimsthal"︵ヨアヒムスタール︶とも︶の鉱山学校︵独: Bergschule︶は、1716年に開設された︵Veselovský & Komínek 1997、円城寺守 1998、ドイツ語版のBergschule#Bergschulenも参照。︶[9]。ロシアのエカテリンブルクの鉱山学校︵露: Горнозаводская школа︶は、1724年に設置された[10][11][12]。この学校は、18世紀に初めヴァシーリー・タチーシチェフ[13]が主導して設置した"Горнозаводские училища и школы"と呼ばれる鉱山技術・冶金のための職業教育を行った一群の高等専門学校や初等・中等学校[14][15]の一つで、後にウラル鉱山学校︵露: Уральское горное училище、ウラル鉱山専門学校とも︶[16]を経て、ウラル州立大学となっている[10][11]。ノルウェーのコングスベルグの鉱山学校︵ノルウェー語: Bergseminaret︵ベルク・セミナール︶あるいはノルウェー語: Det Kongelige Norske Bergseminarium︵﹁ノルウェー王立鉱山学校﹂の意︶︶は、1757年に設立された︵Store norske leksikon 2015、渡辺武男 1961︶[17][18]。なお、なるべく現地の発音を優先する立場でのカタカナ転写から、本文で"Freiberg"の語末の"g"は清音で﹁ク﹂としているが、ノルウェーの"Kongsberg"の語末の"g"は慣用にならい濁音表現の﹁グ﹂としていることに留意。
(六)^ 中西哲也 (2008)は、1762年に設立されたスロヴァキアのバンスカー・シュチャヴニツァの鉱山学校︵スロバキア語: Banícka akadémia、洪: Selmeci Akadémia︶[19]に次いで世界で2番目に古い鉱山学校とされているとした。
(七)^ ちなみに、18世紀からヨーロッパ各地で鉱山技術者のための教育機関の設立が相次ぎ、前述の学校以外でもロシアのサンクトペテルブルクの鉱山学校︵露: Горное училище、後のサンクトペテルブルク国立鉱山大学︶が1773年に[20][21]、フランスのパリ国立高等鉱業学校が1783年に[22][23]、やや遅れてイギリスの王立鉱山学校︵英: Royal School of Mines、後にインペリアル・カレッジ・ロンドンを構成した3つの組織の1つ︶が1851年に[24]設置された。
(八)^ 鉱物の面角を測定するゴニオメーターや測量機器といった古い精密機器が本学で展示されている[25][26]。
(九)^ abヴェルナーとも。﹁ウェルナー﹂も参照。
(十)^ Amaral (2000)を参照[30]。
(11)^ 東ドイツ時代に﹁フライベルク鉱山学校鉱物コレクション﹂というシリーズ切手も発売されている[40]。
(12)^ レスリー・ハーバート=ガスト & パトリック・ノット (1982, p. 16)に﹁ドイツのザクセン州フライベルクの有名な鉱山学校での聴講を命じられ、その機会に西ヨーロッパのかなり広い部分を旅することができた。﹂とある。
(13)^ ab矢島道子 & 浜崎健児 (2018)によれば、本学に入学した最初の日本人とされる。
(14)^ 来日し﹁ナウマン象﹂で知られるハインリッヒ・エドムント・ナウマンとは別人。同じザクセン出身の地質学者であるため混同に注意。﹁ナウマン﹂も参照。
(15)^ de:Himmelfahrt Fundgrube、de:Montanregion Erzgebirgeも参照。
(16)^ ゲオルク・アグリコラに因む。
出典[編集]
(一)^ abKennzahlen und Rankings < TU Bergakademie Freiberg - ウェイバックマシン︵2019年4月28日アーカイブ分︶︵ドイツ語︶︵英語︶︵2023年7月2日閲覧︶
(二)^ ab濱川祥枝監修、信岡資生編修主幹﹃クラウン独和辞典︵第3版︶﹄三省堂、2006年。ISBN 4385120102
(三)^ 内田篤人‥日めくりカレンダ-Gluck auf! 2016 / 内田篤人 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア
(四)^ abcd木本忠昭 2008.
(五)^ 世界大百科事典 第2版﹃フライベルク鉱山学校﹄ - コトバンク
(六)^ ab今井功 1996a.
(七)^ Zeittafel < TU Bergakademie Freiberg - ウェイバックマシン︵2022年10月30日アーカイブ分︶︵ドイツ語︶
(八)^ Beziehungen zu Russland < TU Bergakademie Freiberg - ウェイバックマシン︵2022年10月30日アーカイブ分︶︵ドイツ語︶
(九)^ Jáchymov Mining Cultural Landscape︵英語︶︵ドイツ語︶︵チェコ語︶
(十)^ abИстория колледжа | Уральский государственный колледж имени И.И. Ползунова︵ロシア語︶
(11)^ abКуда пойти учиться?︵ロシア語︶
(12)^ Школьному образованию в Екатеринбурге исполнилось 292 года - Образование - Официальный портал Екатеринбурга︵ロシア語︶
(13)^ ﹃タチーシチェフ﹄ - コトバンク
(14)^ Горнозаводские школы︵ロシア語︶ - ソビエト大百科事典
(15)^ ГОРНОЗАВОДСКИЕ УЧИЛИЩА И ШКОЛЫ • Большая российская энциклопедия - электронная версия︵ロシア語︶ - ロシア大百科事典
(16)^ История: 160 лет назад было открыто Уральское горное училище - Образование - Официальный портал Екатеринбурга︵ロシア語︶
(17)^ Kirketorget 3, Bergseminaret - ウェイバックマシン︵2007年9月28日アーカイブ分︶︵ノルウェー語︶
(18)^ Bergseminaret på Kongsberg: 1757 - 1814 - ウェイバックマシン︵2018年9月13日アーカイブ分︶︵ノルウェー語︶
(19)^ Banská Štiavnica - Vysoké školy︵スロバキア語︶
(20)^ История Горного | Санкт-Петербургский горный университет︵ロシア語︶
(21)^ History < Saint-Petersburg Mining University︵英語︶
(22)^ Histoire - MINES ParisTech︵フランス語︶
(23)^ MINES ParisTech heritage - MINES PARISTECH︵英語︶
(24)^ History – Royal School of Mines︵英語︶
(25)^ ひま話 フライベルク工科大学コレクション5 ︵2020.4.5︶ < フライベルク工科大学コレクション Freiberg mining academy 鉱物たちの庭
(26)^ Sammlung historischer markscheiderischer und geodätischer Instrumente < TU Bergakademie Freiberg - ウェイバックマシン︵2022年9月28日アーカイブ分︶︵ドイツ語︶
(27)^ ﹃水成岩﹄ - コトバンク
(28)^ P.Q. 1971.
(29)^ 今井功 1996b.
(30)^ Jose Bonifacio De Andrada E Silva: The Greatest Man in Brazilian History - Ricardo C. Amaral - Google ブックス
(31)^ 今井功 & 片田正人 1978, p. 71.
(32)^ QS World University Rankings for Engineering - Mineral & Mining 2019 | Top Universities︵英語︶(2020年3月21日閲覧)
(33)^ Michael Bartsch: Geldsegen für Freiberg.︵ドイツ語︶ディー・ターゲスツァイトゥング紙、2007年1月24日︵2020年3月21日閲覧︶
(34)^ Geowissenschaftliche Sammlungen < TU Bergakademie Freiberg - ウェイバックマシン︵2022年10月7日アーカイブ分︶︵ドイツ語︶︵英語︶
(35)^ フライベルク鉱山大学コレクション Freiberg mining academy 鉱物たちの庭
(36)^ terra mineralia - Technische Universität Bergakademie Freiberg︵ドイツ語︶
(37)^ テラ・ミネラリア フライベルク Terra Mineralia in Freiberg 鉱物たちの庭
(38)^ 美しい標本に目が眩みそうなフライベルクの鉱物博物館、Terra Mineralia
(39)^ Massanek, Rank & Heide 2013.
(40)^ フライベルク鉱山専門学校の鉱物コレクション (1969 + 1972 + 1974) 消印あり - まにあっくドイツショップ
(41)^ abSan Francisco Call 14 January 1897 — California Digital Newspaper Collection︵英語︶
(42)^ 佐渡市教育委員会 2008.
(43)^ 植田晃一 1999.
(44)^ 市報さど60号(2009年2月号)(p13)世界文化遺産登録に向けてー佐渡の金銀山史を彩る人々ー
(45)^ 木本忠昭 2008, p. 89.
(46)^ Historische Persönlichkeiten < TU Bergakademie Freiberg - ウェイバックマシン︵2022年12月4日アーカイブ分︶︵ドイツ語︶
(47)^ 科学史技術史研究所 2009.
(48)^ 佐々木正勇 1985.
(49)^ abc松尾展成 1998.
(50)^ ab岩佐 巌 | デジタルアーカイブ福井
(51)^ ab山口梅太郎 1991, p. 8.
(52)^ ab熊澤恵里子 2014.
(53)^ ab銑鉄︵別子銅山︶
(54)^ 今井功 1963.
(55)^ 尾上幸造 2015a.
(56)^ ab秋田大学 ・ フライベルク工科大学オンラインシンポジウム
(57)^ 尾上幸造 2015b.
(58)^ 高橋恵輔 2017.
(59)^ 国際学術交流協定 | 国立大学法人 室蘭工業大学
(60)^ 世界大百科事典 第2版﹃俵国一﹄ - コトバンク
(61)^ 俵 国一 小伝 < 表彰 - 一般社団法人 日本鉄鋼協会 / The Iron and Steel Institute of Japan (ISIJ)
(62)^ KAKEN — 研究課題をさがす | ベルクアカデミー・フライベルクが日本の技術発達に与えた影響 (KAKENHI-PROJECT-04680104)︵研究代表者‥木本忠昭︶
参考文献[編集]
●渡辺武男﹁Norway南部および西部の鉱物資源(I)﹂﹃鉱山地質﹄第11巻第29号、資源地質学会、1961年、565-569頁、doi:10.11456/shigenchishitsu1951.11.49_565、ISSN 0026-5209。︵"The Kongsberg Mining Academy"と表現している。︶ ●小林貞一 著﹁地質調査時所創立80周年を祝して 一この機会に世界の地質調所の創設を顧みる一﹂、地質調査所80周年記念出版物編集委員会 編﹃地質調査所略史﹄工業技術院地質調査所、1962年、55頁。 NCID BB04867077。 ●今井功﹁地質調査事業の先覚者たち︵3︶ 最初の若き指導者 - 原田豊吉 -﹂﹃地質ニュース﹄第109号、地質調査所、1963年、30-34頁、ISSN 0009-4854。 ●P.Q.﹁地学と切手﹂﹃地質ニュース﹄第203号、地質調査所、1971年、65頁。 ●本文中で言及されるミグマタイトの研究で知られるメーネルトは、フライベルク鉱山学校ではなくフライブルク大学に在籍した事に留意。 ●今井功、片田正人﹃地球科学の歩み﹄共立出版、1978年。ISBN 4320045610。 ●レスリー・ハーバート=ガスト、パトリック・ノット﹃明治日本を支えた英国人―地震学者ミルン伝﹄宇佐美龍夫︵監訳︶、日本放送協会出版、1982年。ISBN 4140082690。 ●佐々木正勇﹁フライベルク鉱山学校の日本人留学生﹂﹃日本大学人文社会学研究所紀要﹄第31巻、日本大学人文社会学研究所、26−44頁、1985年。doi:10.11501/1730720。ISSN 0286-6447。︵日本大学文理学部 人文科学研究所 研究紀要 第31号︵1985年︶目次︶ ●山口梅太郎﹁︻第2編︼ 100年のあゆみ﹂107︵増刊︶、資源・素材学会、1991年、doi:10.2473/shigentosozai.107.Special_7、ISSN 0916-1740。 ●今井功 著﹁フラベルク鉱山学校﹂、地学団体研究会 編﹃新版地学事典﹄平凡社、1996年。ISBN 4582115063。 ●今井功 著﹁ウェルナー﹂、地学団体研究会 編﹃新版地学事典﹄平凡社、1996年。ISBN 4582115063。 ●Veselovský, František; Komínek, P Ondruš (1997). “History of the Jáchymov (Joachimsthal) ore district” (英語). Journal of the Czech Geological Society (Czech Geological Society) 42 (4): 127-132. ISSN 1802-6222. ●円城寺守﹁チェコ共和国の鉱床﹂﹃地質ニュース﹄第530号、地質調査総合センター、1998年、42-48頁、ISSN 0009-4854。 ●松尾展成﹁ザクセンにおける日本人(1)﹂﹃岡山大学経済学会雑誌﹄第29巻第4号、岡山大学経済学会、1998年、187−210頁、ISSN 0386-3069。 ●植田晃一﹁明治初期佐渡鉱山の近代化と米国人技師アレキシス・ジェニン 佐渡着任から明治8年6月まで﹂﹃資源・素材学会春季大会講演集﹄第1巻、資源・素材学会、1999年、J3-17、ISSN 1343-9898。 ●Amaral, Ricardo C. (2000-04-25) (英語). Jose Bonifacio De Andrada E Silva: The Greatest Man in Brazilian Histoy. Xlibris Corporation. ISBN 1477181970 ●原田馨﹁ドイツの切手に現れた科学者、技術者達(4) ゲオルギウス・アグリコラ﹂﹃ケミカルタイムス﹄第190号、関東化学株式会社、2003年。 ●Rabich, Waltraud; Albrecht, Helmuth; TU Bergakademie Freiberg (2007) (ドイツ語). Wissenschaft vor Ort: Bilder zu Geschichte und Gegenwart der TU Bergakademie Freiberg. Technische Universität Bergakademie Freiberg. ISBN 3860123041 ●木本忠昭﹁ベルクアカデミー・フライベルクと日本人留学生たち ドイツの科学アカデミー,その(3)﹂﹃学術の動向﹄第13巻第3号、公益財団法人日本学術協力財団、2008年、82-89頁、doi:10.5363/tits.13.3_82、ISSN 1342-3363。︵因みに、松尾展成 (1998)によれば木本は本学へ留学している。︶ ●村谷泰一﹁例会と催し ︿9月例会﹀西ドイツに派遣された日本人炭鉱マンの体験談﹂﹃西日本日独協会年報﹄第31号、西日本日独協会、2007年。 ●中西哲也﹁常設展示室へようこそ‥その3鉱山模型のふるさとを訪ねて-フライベルク鉱山学校﹂﹃九州大学総合研究博物館ニュース﹄第11号、九州大学総合研究博物館、2008年。 ●佐渡市教育委員会﹃旧佐渡鉱山産業近代化遺産建造物群調査報告書﹄佐渡市教育委員会︵世界遺産・文化振興課︶、2008年。 ●科学史技術史研究所︵編︶﹁本研究所蔵書から﹁レーデブア﹂Adolf Ledebur︵1837.1.11~1906.6.7︶“Die Oefen fuer metallurgische Processe”Freiberg 1878﹂﹃科学史技術史通信﹄第1号、科学史技術史研究所、2009年、4頁。 ●金光男﹁お雇い外国人地質学者の来日経緯(7) : 独人鉱山地質学者ネットー-後編-﹂﹃地学教育と科学運動﹄第65巻、地学団体研究会、2011年、51-62頁、doi:10.15080/chitoka.65.0_51、ISSN 0389-3766。 ●Massanek, Andreas; Rank, Karin; Heide, Gerhard (2013). “The mineralogical collections of the TU Bergakademie Freiberg” (英語). BERGVERKSMUSEETS SKRIFTSERIE(Kongsberg Mineralsymposium 2013). NORSK MINERALSYMPOSIUM. pp. 5-21. ISBN 978-82-91337-58-6 ●熊澤恵里子﹁解説 幕末明治の福井藩人材育成と海外渡航﹂﹃福井藩士履歴2 お~く﹄ 10巻、福井県文書館︿福井県文書館資料叢書﹀、2014年。 ●Godal, Anne Marit [inノルウェー語] (ed.). "Kongsberg bergseminar". Store norske leksikon (ノルウェー語). Oslo: Norsk nettleksikon. 2015年10月6日閲覧。︵ノルウェー百科事典のウェブサイト版の記事︶ ●尾上幸造﹁ドイツ・フライベルク滞在記﹂﹃コンクリート工学﹄第53巻第10号、日本コンクリート工学会、2015年、932-933頁、doi:10.3151/coj.53.932、ISSN 0387-1061。 ●尾上幸造﹁ドイツ・ザクセン州・フライベルクに滞在して﹂﹃九州橋梁・構造工学研究会会報﹄7(23)、九州橋梁・構造工学研究会、2015年、23-26頁。 ●高橋恵輔﹁ドイツ・フライベルク工科大学での博士研究﹂﹃コンクリート工学﹄第55巻、第5号、日本コンクリート工学会、351-355頁、2017年。doi:10.3151/coj.55.5_351。ISSN 0387-1061。 ●矢島道子; 浜崎健児﹁コラム~2018年日本地質学会創立125周年を記念して~トリビア学史13 地方で生きる‥福井県の場合﹂﹃e-フェンスター﹄、日本地質学会、2018年。関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- TU Bergakademie Freiberg | Die Ressourcenuniversität. Seit 1765.(ドイツ語)(英語) - 公式ウェブサイト
- the International Center 'Alexander von Humboldt' | TU Bergakademie Freiberg(ドイツ語)(英語)
- Geschichte | TU Bergakademie Freiberg(ドイツ語)(英語)
- Aus der Geschichte der TU Bergakademie Freiberg - ウェイバックマシン(2022年12月1日アーカイブ分)(ドイツ語)(英語)
- Studentenrat der TU Bergakademie Freiberg – Deine Studentenvertretung(ドイツ語)(英語)
- フライベルク工科大学 - YouTubeチャンネル(ドイツ語)
- Graduiertenkolleg. Institut für Industriearchäologie, Wissenschafts- und Technikgeschichte - ウェイバックマシン(2015年10月11日アーカイブ分)(ドイツ語)