ブリティッシュエアウェイズ149便乗員拉致事件
1991年2月に撮影された残骸 | |
出来事の概要 | |
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日付 | 1990年8月2日 |
概要 | イラク軍による乗員乗客の拉致 |
現場 | クウェート市 |
乗客数 | 367 |
乗員数 | 18 |
負傷者数 | 不明 |
死者数 | 1 |
生存者数 | 384 |
機種 | ボーイング 747-136 |
機体名 | City of Leeds |
運用者 | ブリティッシュ・エアウェイズ |
機体記号 | G-AWND |
出発地 | ロンドン・ヒースロー空港 |
第1経由地 | クウェート国際空港 |
最終経由地 | マドラス国際空港 |
目的地 | スルタン・アブドゥル・アジズ・シャー空港 |
ブリティッシュ・エアウェイズ149便乗員拉致事件︵ブリティッシュ・エアウェイズ149便じょういんらちじけん︶とは、イラクによるクウェート侵攻で、クウェートに寄港したブリティッシュ・エアウェイズ149便の乗員乗客が、イラク共和国防衛隊によって拉致されバグダードに強制連行された事件である。
クウェート市
1985年に撮影されたG-AWND
BA149便はロンドンのヒースロー空港を1990年8月1日午後6時15分︵協定世界時︶に出発した。BA149便はボーイング747-100︵機体記号‥G-AWND、コールサイン‥Speedbird 149︶で運航され、クウェートとインドのマドラスを経由して最終的にはマレーシアのクアラルンプールに向かうフライトプランであった。
出発直前に至るまでイギリス国内では﹁クウェート情勢が緊迫している﹂との報道が行われていた上、空調設備の調整に時間がかかったために出発が遅延した︵出発遅延の理由はブリティッシュ・エアウェイズの発表によるもので、事実とは確認されていない︶にもかかわらず、149便はクウェートに向かうフライトプランを変更しなかった。なお、149便の前後にクウェートに到着する予定であった全ての旅客機は、マナーマなどの近隣都市へのダイバートを選択するか、フライトそのものをキャンセルしていた。
さらに、149便がヒースロー空港を出発した直後に、共和国防衛隊がクウェートを侵略する軍事行動を開始したにもかかわらず、BA149便は予定を変更せずに侵攻開始からおよそ4時間後の8月2日午前3時にクウェート国際空港に着陸した。
この直後にはクウェート軍の抵抗を排除した共和国防衛隊とイラク空軍の爆撃機によってクウェート国際空港への攻撃が行われ、その後クウェート市内全域が占領されたため、クウェートで降機した乗客乗員とトランジットルームにいた乗客を含めた同便に搭乗していた乗客乗員385名[1]の殆どが、イラク軍によって集められ、クウェート市内のホテルに監禁された。
なおBA149便には、イギリス陸軍のSASの工作員が6名搭乗していたことが工作員自身や乗客の証言により明らかとなっているが、これらの工作員は到着後直ちにクウェート市内のアジトに向かいその後隠密行動を取ったため、監禁されることは避けられた。
多国籍軍の攻撃で破壊されたイラク陸軍の戦車
監禁された乗客乗員のうち、イラクと敵対したイギリスやアメリカなどの欧米諸国の国籍を持つ乗客乗員は、他のクウェート国内にいた欧米諸国の市民とともに、イラクの首都バグダードに強制連行され、多国籍軍からの攻撃をかわすための﹃人間の盾﹄として人質とされた︵この行為はジュネーヴ条約で禁止されており国際法違反である︶。
乗客は湾岸戦争が始まる12月までに殆ど解放されたが、報告によれば、客室乗務員がイラク兵に強姦される戦争犯罪が発生し[2] 、乗客であったクウェートの王族シェイク・ファハド・アル=サバーハが処刑されたという[3]。ちなみに、客室乗務員を強姦したイラク兵は、後でイラク軍の憲兵隊に引き渡され銃殺されたという。
1991年に撮影された残骸
なお、BA149便のボーイング747-100型機は多国籍軍による空爆で損傷を受け、1991年2月のイラク軍クウェート撤退時には完全に破壊されたものの、一部の部品は取り外され転売された。