ロバート・ボルト
ロバート・ボルト Robert Bolt | |||||||||||||||||||||||||
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生年月日 | 1924年8月15日 | ||||||||||||||||||||||||
没年月日 | 1994年2月21日(69歳没) | ||||||||||||||||||||||||
出生地 |
イングランド グレーター・マンチェスター | ||||||||||||||||||||||||
死没地 |
イングランド ピーターズフィールド | ||||||||||||||||||||||||
国籍 | イギリス | ||||||||||||||||||||||||
職業 | 脚本家 劇作家 | ||||||||||||||||||||||||
配偶者 | サラ・マイルズ(1967年-1975年、1988年-1995年) | ||||||||||||||||||||||||
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ロバート・ボルト、CBE︵英: Robert Oxton Bolt, CBE、1924年8月15日 - 1995年2月21日︶はイギリスの劇作家、脚本家。﹃アラビアのロレンス﹄などの映画脚本で主に知られる[1]。
来歴[編集]
マンチェスターの小さな商店主の家に生まれ[2]、マンチェスター・グラマースクール、マンチェスター大学で学んだ[1]。1943年-1946年の間イギリス空軍で兵役に就き、のち同大学に戻り、さらにエクセター大学で学んだ[1]。1952年-1958年の間、Millfield School (en) で英語と歴史の教鞭をとり、その巧みな授業で名物教師となった[1]。この頃、教員として働くかたわらでラジオドラマを執筆し、さらに舞台エージェント Peggy Ramsay (en) の勧めで舞台演劇の劇作を始めた[3]。1957年の舞台演劇﹃花咲くチェリー﹄で一躍イギリス中の注目を浴びた[1][4]。 1960年代から1970年代にかけ、映画および舞台演劇の脚本を相次いで手がけ、そのいくつかで著名な賞を受けた。1979年に脳卒中の発作から右半身不随となり、その後はリハビリに励みつつ、左手で電動ワードプロセッサを動かし執筆を続けた[1]。1995年、ハンプシャーにて没した[1]。 女優のサラ・マイルズとは2度結婚している。︵1967年-1975年、1988年-1995年︶受賞歴[編集]
●アカデミー脚色賞 - ﹃ドクトル・ジバゴ﹄︵1965年︶、﹃わが命つきるとも﹄︵1966年︶ ●英国アカデミー賞 "Best British Screenplay" (en) - ﹃アラビアのロレンス﹄︵1962年︶、﹃わが命つきるとも﹄︵1966年︶ ●大英帝国勲章︵1972年︶作品[編集]
ボルトの︵特に初期の︶作品は、前衛的な演劇が流行していた1950年代後半において、伝統的・写実的な手法をとり、それを成功させたことに特徴づけられる[5]。彼の演劇は、人物間の相克とそれによって紡ぎ出される起承転結を明確に描き[1]、自然主義的である[1]。観客に解釈を押し付けるのでなく、自ずと解釈を促すテクニックに彼は長けており、それゆえに彼の作品は広く支持された[1]。 脳卒中に罹る前のボルトは雄弁家であり、作品にもその反映が見られる[1]。彼が描く歴史的な情景描写は臨場感に溢れており、登場人物の台詞は平明かつ含蓄に富む[1]。 ︵以下、年は上演年[5]︶演劇[編集]
●The Critic and the Heart (1957) ●The Flowering Cherry (1957) - 邦題﹃花咲くチェリー﹄。社会から落伍し、かなわぬ昔日の夢にとりつかれた中年保険セールスマンを写実的に描き、出世作となった。 ●The Tiger and the Horse (1960) ●A Man for All Seasons (1960) - 邦題﹃すべての季節の男﹄。主人公のトマス・モア像、ブレヒトを思わせる演劇手法が評判を呼んだ[6]。ボルトの作品中、最もよく知られたものの一つである[4][6]。 ●Gentle Jack (1963) ●The Thwarting of Baron Bolligrew (1965) - 邦題﹃ボリグルー男爵の裏をかく﹄。子供向けに書かれた劇[4]。 ●Vivat! Vivat Regina! (1970) - 邦題﹃女王万歳﹄。エリザベス1世とスコットランド女王メアリの確執を描いた歴史劇。 ●State of Revolution (1977) - ウラジーミル・レーニンを主人公とし、さらにその死後レフ・トロツキーがロシアを去った経緯を描いた。ボルトの作品中、最も野心的な傑作と考える者も多い[1]。映画[編集]
●Lawrence of Arabia (1962) - 邦題﹃アラビアのロレンス﹄ ●Doctor Zhivago (1965) - 邦題﹃ドクトル・ジバゴ﹄。 ●A Man for All Seasons (1966) - 邦題﹃わが命つきるとも﹄。ボルト自らが﹃すべての季節の男﹄を脚色し、高い評価を得た[4]。1988年にはアメリカでテレビドラマとしてリメイクされた[7]。 ●Ryan's Daughter (1970) - 邦題﹃ライアンの娘﹄。 ●Lady Caroline Lamb (1972) - 邦題﹃レディ・カロライン﹄。 ●The Mission (1986) - 邦題﹃ミッション﹄。和訳書[編集]
●ロバート・ボルト﹃花咲くチェリー - ロバート・ボルト戯曲集﹄木村光一︵訳︶、小田島雄志︵訳︶、劇書房、1981年。 - ﹃すべての季節の男﹄も収録。 ●ロバート・ボルト﹃ミッション﹄森村裕︵訳︶、ヘラルド・エンタープライズ、1987年。ISBN 978-4938386016。脚注[編集]
(一)^ abcdefghijklmJohn Calder (1995年2月23日). “OBITUARY : Robert Bolt” (英語). The Independent. 2011年3月31日閲覧。 - ボルトの追悼記事
(二)^ Robert Bolt - IMDb︵英語︶
(三)^ Tom Erhardt (1995年3月11日). “OBITUARY: Robert Bolt” (英語). The Independent. 2011年3月31日閲覧。 - 追悼記事の訂正
(四)^ abcd木下卓、高田賢一、野田研一、久守和子、窪田憲子﹃英語文学事典﹄ミネルヴァ書房、2007年、p.574頁。ISBN 978-4623041299。
(五)^ ab青山富士夫︵編︶ 編﹃20世紀 イギリス文学作家総覧﹄ (II) 劇、北星堂書店、1980年、p.74頁。
(六)^ ab上田和夫︵編︶ 編﹃イギリス文学辞典﹄研究社、2004年、p.39頁。ISBN 978-4767432311。
(七)^ Robert Bolt biography and filmography - 英国映画協会Screenonline ︵英語︶
関連項目[編集]
- 百人委員会 - バートランド・ラッセルが代表をつとめた反核・反戦団体。ボルトは1960年に参加している。(Calder (1995))