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井伊 直惟︵いい なおのぶ︶は、近江彦根藩の第9代藩主。井伊直弼の曾祖父。
第5代藩主井伊直興の十三男。母は田山氏。井伊直通・直恒・直矩の弟。直定の兄。幼名は金蔵。官位は左少将・掃部頭。
父の直興は直惟の誕生後まもなく隠居したが、家督を継いだ直惟の2人の兄の直通と直恒が次々と早世したため、直興︵直該と改名︶が再度藩主になった。正徳4年︵1714年︶2月15日に直惟が15歳まで成長したため直該は再び隠居し、直惟が藩主となった。質素倹約を推進し、武芸奨励と市井の視察を兼ねて大規模な鷹狩りを好んで行なった。また文化にも造詣が深く、絵画や詩文を残し、寺社への寄進も積極的に行っている︵近江永源寺の能舞台など︶。彦根城の石垣の改修も成された。
第8代将軍徳川吉宗の世子の徳川家重の加冠の役を務めたが、病身を理由に一度は固辞しようとしている。兄達同様生来病弱であり、享保20年︵1735年︶5月9日に病気療養を理由に家督を弟の直定に譲り、江戸を去った。そして元文元年︵1736年︶6月4日、37歳で死去した。
※日付=旧暦
- 父:井伊直興
- 母:田山氏
- 正室:蜂須賀綱矩の娘
- 室:内藤氏
- 室:高橋氏
- 室:堀部氏
- 室:小西氏あるいは岡野氏
- 室:梅原氏[要出典]
彦根藩8代藩主 (1714年 - 1735年) |
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佐和山藩 |
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彦根藩 |
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※通例では代数に含まれない。
『新修彦根市史2巻 通史編近世』(2008年)66頁では、井伊直継を2代藩主としている。
彦根城博物館では、通例にしたがって直継を数えないが、「当主」という表現を使っている(例;井伊直弼 13代当主)。 |