伊達宗起
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伊達 宗起︵だて むねおき、1927年10月[1] - ︶は、日本の外交官。外務大臣官房長、外務省条約局長等を経て、欧州共同体日本政府代表部特命全権大使在任中譴責処分を受け解任された。
人物・経歴[編集]
東京府出身[1]。東京府立第六中学校︵現東京都立新宿高等学校︶[2]、浦和高等学校、東京大学法学部を経て[3]、1950年外務省入省[4]。在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部二等書記官[5]、同一等書記官を経て[6]、1965年内閣法制局参事官︵第三部︶[7]。1968年外務省アジア局北東アジア課長[8]。 1970年在ベルギー日本国大使館一等書記官[9]。同参事官を経て、1973年外務省条約局外務参事官[10]。1974年外務公務員採用上級試験委員[11]。1976年外務省情報文化局外務参事官[12]。1977年外務大臣官房審議官兼内閣官房内閣調査室次長[13]。 1978年外務大臣官房審議官︵中南米担当︶[14]。1979年外務省条約局長[15]。1981年外務大臣官房長[16]。1983年駐アルジェリア特命全権大使[17]。 1987年から欧州共同体日本政府代表部特命全権大使を務めたが[18]、出資していたノンキャリア職員がスイスで開設した投資ファンドがブラックマンデー後に暴落し、預託金返還訴訟を提起するなどの投資トラブルとなり、太田正利官房審議官︵北海道大使︶らとともに譴責処分︵厳重注意︶を受け解任された[19][20][21]。家族[編集]
妻の巴絵は小説家の獅子文六の長女[22]。父の伊達宗雄は和歌山の出身で、1923年に東京商科大学を卒業し、世界経済調査会の企画課長などを務めた[23][24]。出典[編集]
(一)^ ab﹃日本官界名鑑 第22版﹄︵日本官界情報社、1970年︶p.634
(二)^ 東京都立新宿高等学校︹府立第六中学校︺ 朝陽同窓会
(三)^ 週刊読売 = The Yomiuri weekly 44(25)(1911);1985・6・16雑誌 (読売新聞社, 1985-06)
(四)^ 月刊官界 9(4) 雑誌 (行研, 1983-04)
(五)^ 官報昭和39年本紙第11179号23頁
(六)^ 官報昭和40年本紙第11668号19頁
(七)^ 官報昭和40年本紙第11674号20頁
(八)^ 官報昭和43年本紙第12564号13頁
(九)^ 官報昭和45年本紙第13188号14頁
(十)^ 官報昭和48年本紙第14073号7頁
(11)^ 官報昭和49年本紙第14193号17頁
(12)^ 官報昭和51年本紙第14815号16頁
(13)^ 官報昭和52年本紙第15142号5頁
(14)^ 官報昭和53年本紙第15555号14頁
(15)^ 官報昭和54年本紙第15634号13頁
(16)^ 官報昭和56年本紙第16395号12頁
(17)^ 官報昭和58年本紙第16857号12頁
(18)^ 官報昭和62年本紙第17992号9頁
(19)^ 週刊ポスト 20(43)(973);1988・11・4雑誌 小学館 [編] (小学館, 1988-11)
(20)^ 月刊百科 (315) 雑誌 (平凡社, 1989-01)
(21)^ 財界人 : 政・官情報に強い総合経済誌 1(2)(2) 雑誌 (財界人出版, 1988-11)
(22)^ 週刊読売 = The Yomiuri weekly 39(33)(1659);1980・8・10雑誌 (読売新聞社, 1980-08)
(23)^ 杉本俊朗, 細谷新治, 菊川秀男, 程島俊介﹁<対談> 経済学文献を語る(2・完)﹂﹃経済資料研究﹄第19巻、経済資料協議会、1986年6月、1-65頁、CRID 1050282677087298560、hdl:2433/79773、ISSN 0385-3586。
(24)^ 東京商科大学一覧 昭和2年度