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●底無し沼と呼ばれるほどの大酒飲みであり、留年の原因となった病も暴飲暴食によるものであったほどだったが大変部下想いの上司であった[3]。沖縄特攻直前、英語で作戦を批判していた﹁矢矧﹂配属の日系人通信士官︵山田重夫、倉本重明︶に気さくに声をかけ、﹁最後まで助かる努力をせよ﹂と英語で励ましている[4]。帰還後、佐世保将校クラブ﹁水交社﹂で原と食事をした際、生還した前述の山田少尉を席に招き、食事後は少尉を敬礼ではなく握手で次の任地へと送り出した[5]。
●妻は結婚当時の上司飯田延太郎の娘で、結婚後は東京に住居を構え、住民票も一緒に移している。生家は長野県上伊那郡辰野町沢底で跡地は公民館になっている。4人兄弟︵男︶の総領であったが、兄である実業家の古村誠一がいる。
●小説家の吉村昭によれば、小説﹃戦艦武蔵﹄︵新潮社 1966︶を発行したのを機会に戦艦﹁武蔵﹂の生存者、設計者、建造者︵三菱重工︶が一同に期した会食を開いた。松本喜太郎︵大和型戦艦基本設計者︶、千早正隆︵武蔵艤装員︶、古賀繁一、福井静夫、池田貞枝︵武蔵航海長︶らが集まり、内藤初穂が司会をつとめた。古村も武蔵艦長として招かれており、吉村昭は﹁死線を越えた人らしい精悍な顔付きだった。その中でも古村は堂々たる体格と風貌で、いかにも大艦長らしい風格があった﹂と評した[6]。会の進行中、内藤が次の話し手を求めたところ、古村︵元海軍少将︶が不意に﹁俺に話させろ﹂と立ち上がった。元海軍大尉だった内藤はその場で直立不動の姿勢になったという[7]。
●戦後は山本リンダのファンクラブに入会したり、長唄のコンサートも開いたこともあった。
古村啓蔵を演じた人物[編集]
●本田博太郎︵﹃男たちの大和﹄︶
- ^ 『太平洋戦争勇将名将総覧』P312
- ^ 前衛「筑摩」と南太平洋海戦、138ページ
- ^ 『太平洋戦争勇将名将総覧』P313
- ^ 立花譲『帝国海軍士官になった日系二世』(築地書館、1994)10-13頁
- ^ 立花譲『帝国海軍士官になった日系二世』(築地書館、1994)166頁
- ^ 吉村昭『戦艦武蔵ノート』246頁
- ^ 吉村昭『戦艦武蔵ノート』248頁
参考文献[編集]