四声八病説
四声八病説︵しせいはっぺいせつ︶は、中国南北朝時代の文学者の沈約が南朝斉の武帝蕭賾の永明年間︵483年 - 493年︶に唱えたとされる詩歌の韻律論。沈約は﹃四声譜﹄を著して中国語の声調を4種類に分類し︵四声︶、さらに﹃宋書﹄﹁謝霊運伝﹂に付した論において、文学作品の韻律美を自覚的に追求することを提唱した。沈約の主張に謝朓・王融らが共鳴し、彼らが確立した詩風は﹁永明体﹂と呼ばれ、当時大いに流行した。﹁八病説﹂は、四声論にもとづき、当時の主要な詩型であった五言詩において、具体的に回避すべき禁忌として提示された8種の規則を指し、﹁平頭・上尾・蜂腰・鶴膝・大韻・小韻・傍紐・正紐﹂の名称がある。
八病説の内容[編集]
八病説に関する最もまとまった記述は、日本の平安時代の僧侶の空海が編集した詩論書﹃文鏡秘府論﹄西巻﹁文二十四種病﹂にある。ただし沈約本人による記述ではなく、後世の隋の劉善経﹃四声指帰﹄や唐の上官儀﹃筆札華梁﹄・無名氏﹃文筆式﹄・元兢﹃詩髄脳﹄などの諸書から引用されたものであり、それぞれに異同がある。ここでは唐代おける標準的な八病説と見られる﹃筆札華梁﹄および﹃文筆式﹄の内容を紹介する。平頭[編集]
上下2句1聯の第1・2字同士が同じ声調であること。 芳時淑氣清 芳時 淑気 清く 提壺臺上傾 壷を提げて 台上に傾く ●上下2句第1字の﹁芳﹂﹁提﹂︵ともに平声︶、第2字の﹁時﹂﹁壷﹂︵ともに平声︶が同じ声調。上尾[編集]
上下2句1聯の末字︵第5字︶同士が同じ声調であること。 西北有高樓 西北に高楼有り 上與浮雲齊 上は浮雲と斉︵ひと︶し ●上下2句の第5字﹁楼﹂﹁斉﹂が同じ声調︵ともに平声︶。蜂腰[編集]
各句において、第2・5字が同じ声調であること 聞君愛我甘 君の我の甘きを愛するを聞き 竊獨自雕飾 竊︵ひそか︶に独り 自ら彫飾す ●上句第2・5字の﹁君﹂﹁甘﹂︵いずれも平声︶と下句の﹁独﹂﹁飾﹂︵いずれも入声︶が同じ声調。鶴膝[編集]
4句2聯の第1・3句において、末字︵第5字︶同士が同じ声調であること。 撥棹金陵渚 棹を撥す 金陵の渚 遵流背城闕 流れに遵ふ 背城の闕 浪蹙飛船影 浪は蹙︵ちぢ︶む 飛船の影 山挂垂輪月 山は挂く 垂輪の月 ●第1・3句の第5字﹁渚﹂﹁影﹂が同じ声調︵いずれも上声︶。大韻[編集]
上下2句1聯において、韻字と同韻の字を用いること。 紫翮拂花樹 紫翮 花樹を払ひ 黄鸝閑綠枝 黄鸝 緑枝に閑たり ●下句第2字の﹁鸝﹂が韻字である﹁枝﹂と同韻︵いずれも平声支韻に属する︶。小韻[編集]
上下2句1聯において、韻字以外の9字の中で同韻の字を複用すること。 搴簾出戸望 簾を搴りて戸を出でて望めば 霜花朝瀁日 霜花 朝に日に瀁︵ただよ︶ふ ●上句第5字﹁望﹂と下句第4字﹁瀁﹂が同韻字︵いずれも去声漾韻に属する︶。傍紐[編集]
各句において、双声以外で同声母の字を複用すること。 魚游見風月 魚は游ぐ 風月を見る 獸走畏傷蹄 獣は走りて 傷蹄を畏る ●上句第1・5字の﹁魚﹂﹁月﹂、下句第1・4字の﹁獣﹂﹁傷﹂がそれぞれ同声母。正紐[編集]
各句または上下2句において、声調の異なる同音字︵声母・韻母を同じくする︶を複用すること。- 我本漢家子 我は本 漢家の子
- 來嫁單于庭 来りて単于の庭に嫁ぐ
- 上句第4字「家」(平声)と下句第2字「嫁」(去声)が同じ紐。