土方寧
人物情報 | |
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生誕 |
1859年3月16日 日本高知県 |
死没 | 1939年5月18日 (80歳) |
出身校 | 東京大学 |
学問 | |
研究分野 | 法学 |
研究機関 | 東京帝国大学 |
土方 寧︵ひじかた やすし、安政6年2月12日[1]︵1859年3月16日︶– 昭和14年︵1939年︶5月18日[2][3]︶は、貴族院勅選議員、法学者。専門は民法学。帝国学士院会員。弟子に石坂音四郎、末延三次など。
経歴[編集]
土佐国高岡郡佐川村[1]︵現在の高知県高岡郡佐川町︶に、土佐藩士土方直行の子として生まれる[4]。1873年︵明治6年︶より、東京英語学校、開成学校、大学予備門で学んだ[1]。1878年︵明治11年︶、東京大学法学部に入り、1882年︵明治15年︶に卒業した。 卒業後、文部省御用掛となり、翌年に東京大学法学部︵のち東京帝国大学法科大学︶助教授に任命された。また英吉利法律学校の創設発起人に名を連ね、講師も務めた[1]。1887年︵明治20年︶よりイギリスのミドル・テンプルに留学した。1891年に帰国した後は教授に昇進し[5]、また法学博士の学位を得た[1]。1893年︵明治26年︶からは法典調査会の委員を務めた[4]。1911年︵明治44年︶には法科大学長に就任し、1918年︵大正7年︶まで務めた。 1922年︵大正11年︶12月19日に貴族院議員に勅選され[6]、死去するまで在任した[3][7]。栄典[編集]
位階 ●1886年︵明治19年︶7月8日 - 従七位[8] ●1891年︵明治24年︶12月21日 - 正七位[9] ●1897年︵明治30年︶2月10日 - 正六位[10] ●1911年︵明治44年︶7月20日 - 正四位[11] ●1916年︵大正5年︶8月21日 - 従三位[12] 勲章等 ●1897年︵明治30年︶12月28日 - 勲六等瑞宝章[13] ●1901年︵明治34年︶12月27日 - 勲五等瑞宝章[14] ●1903年︵明治36年︶5月21日 - 金杯一個[15] ●1914年︵大正3年︶6月29日 - 勲二等瑞宝章[16] ●1924年︵大正13年︶6月30日 - 勲一等瑞宝章[17]親族[編集]
●小寺謙吉 - 妻富子の弟[4]。衆議院議員。 ●土方成美 - 娘貞子の夫。経済学者。脚注[編集]
(一)^ abcde﹃日本博士全伝﹄P.82-84
(二)^ ﹃官報﹄第3717号、昭和14年5月30日
(三)^ ab﹃議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑﹄156頁。
(四)^ abc﹃大正人名辞典﹄P.375
(五)^ ﹃官報﹄第2351号、明治24年5月5日
(六)^ ﹃貴族院要覧︵丙︶﹄昭和21年12月増訂、31頁。
(七)^ ﹃貴族院要覧︵丙︶﹄昭和21年12月増訂、46頁。
(八)^ ﹃官報﹄第908号﹁叙任及辞令﹂1886年7月12日。
(九)^ ﹃官報﹄第2545号﹁叙任及辞令﹂1891年12月22日。
(十)^ ﹃官報﹄第4081号﹁叙任及辞令﹂1897年2月12日。
(11)^ ﹃官報﹄第8424号﹁叙任及辞令﹂1911年7月21日。
(12)^ ﹃官報﹄第1219号﹁叙任及辞令﹂1916年8月22日。
(13)^ ﹃官報﹄第4350号﹁叙任及辞令﹂1898年1月4日。
(14)^ ﹃官報﹄第5548号﹁叙任及辞令﹂1901年12月28日。
(15)^ ﹃官報﹄第5964号﹁叙任及辞令﹂1903年5月22日。
(16)^ ﹃官報﹄第574号﹁叙任及辞令﹂1914年6月30日。
(17)^ ﹃官報﹄第3559号﹁叙任及辞令﹂1924年7月4日。