在ハンブルク日本国総領事館
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在ハンブルク日本国総領事館 Japanisches Generalkonsulat Hamburg | |
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在ハンブルク日本国総領事館の正面。外壁の4階と5階の間に菊の御門が装飾されている(2011年) | |
所在地 | ドイツ |
住所 | Rathausmarkt 5, 20095 Hamburg |
座標 | 北緯53度33分5.0秒 東経9度59分37.0秒 / 北緯53.551389度 東経9.993611度座標: 北緯53度33分5.0秒 東経9度59分37.0秒 / 北緯53.551389度 東経9.993611度 |
管轄 | ハンブルク、 ブレーメン州、 ニーダーザクセン州、 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 |
総領事 | 戸田 真介(とだ しんすけ) |
ウェブサイト | www |
在ハンブルク日本国総領事館︵ドイツ語: Japanisches Generalkonsulat Hamburg、英語: Consulate-General of Japan in Hamburg︶は、ドイツの都市ハンブルクに設置されている日本の総領事館である。2023年10月より、戸田 真介が総領事を務めている[1]。
沿革[編集]
●明治年間、在ハンブルク日本帝国総領事館︵在漢堡日本帝国総領事館︶の設立が建議され、ハンブルクに総領事館が開設される[2][3]。 ●1914年8月23日、大日本帝国がドイツ帝国に対して宣戦布告して日独両国は戦争状態に突入[4]、それに伴いハンブルクの帝国総領事館も閉鎖される。 ●1920年2月20日、在ハンブルク日本帝国総領事館が再開する。 ●1945年5月7日、ドイツが西側の連合国軍に降伏、同月9日、ドイツがソ連邦に降伏[5]。この時までにハンブルクの帝国総領事館は機能を停止した。 ●1945年8月15日、第二次世界大戦の敗戦により大日本帝国が崩壊[6]。 ●1952年4月21日、サンフランシスコ平和条約の発効日をもって日本とドイツ連邦共和国︵当時の西ドイツかつ現在の統一ドイツ︶間の国交が回復することを認めた書簡が両国外相間で取り交わされる[7]。 ●1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効により日本国が独立[8]、日本とドイツ連邦共和国の国交が再開される[7]。 ●1955年7月1日までに、在ハンブルク日本国総領事館︵在ハンブルグ日本国総領事館︶が再開されている[9]。 ●2012年12月31日、ハンブルクの総領事館が在ハンブルク出張駐在官事務所︵在ハンブルク駐在官事務所︶に降格する[10]。 ●2014年8月1日、ハンブルクの出張駐在官事務所が在ハンブルク領事事務所に改称される[10]。 ●2016年1月1日、ハンブルクの領事事務所が総領事館に昇格して、3年ぶりに在ハンブルク日本国総領事館が復活する[11]。所在地[編集]
Rathausmarkt 5, 20095 Hamburg[12]。管轄地域[編集]
ハンブルク及びブレーメン州、ニーダーザクセン州、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州を管轄[12]。出典[編集]
(一)^ 戸田総領事のご挨拶 : 在ハンブルク総領事館、令和5年10月11日。
(二)^ 国立公文書館アジア歴史資料センター所蔵の﹁24. 漢堡、ロスアンゼルス及ビ蘭領印度ニ領事館設立ノ儀上申﹂に﹁漢堡ハ倫敦ニ次グ欧洲ノ重要商港ニシテ……︵中略︶……領事館ヲ設置スルノ必要ニ迫ラレタレバ豫メノ計畫ヲ実行セントス﹂と記載されている。
(三)^ ﹃通商彙纂 第六十一号﹄︵明治44年10月15日発行︶に﹁四十四年九月十四日附在漢堡帝国総領事館報告﹂が確認できるので、遅くとも明治44年までに総領事館が発足していることが分かる。
(四)^ ︻昭和天皇の87年︼国運を狂わせた対華21ヵ条要求 大正天皇は深く憂慮した︵1/3ページ︶ - 産経ニュース
(五)^ 第二次世界大戦: 時系列 | The Holocaust Encyclopedia
(六)^ 山田朗﹁日本の敗戦と大本営命令﹂﹃駿台史学﹄第94号、明治大学史学地理学会、1995年3月、132-168頁、ISSN 05625955、NAID 120001439091。
(七)^ ab﹁︹備考︺外交関係の回復に関する書簡について﹂-外務省
(八)^ VI平和条約の批准・発効
(九)^ 法律第四十二号︵昭三〇・七・一︶
(十)^ ab在ハンブルク日本国総領事館 - 在留邦人の皆様へのお知らせ
(11)^ 在ドイツ日本国大使館 - 大使館より新年の挨拶
(12)^ ab総領事館案内 : 在ハンブルク総領事館
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 在ハンブルク日本国総領事館、同 (ドイツ語)
- ハンブルクの日本人墓地と戦時下の総領事館