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在ミャンマー日本国大使館

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在ミャンマー日本国大使館
မြန်မာနိုင်ငံဆိုင်ရာဂျပန်သံရုံး

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地図
所在地ミャンマーの旗 ミャンマー
住所ヤンゴン市バハン郡区ナトマウク通り100番地
座標北緯16度48分5.7秒 東経96度9分36.6秒 / 北緯16.801583度 東経96.160167度 / 16.801583; 96.160167座標: 北緯16度48分5.7秒 東経96度9分36.6秒 / 北緯16.801583度 東経96.160167度 / 16.801583; 96.160167
開設1943年8月(「在ビルマ日本帝国大使館」として)
大使丸山市郎
管轄ミャンマーの旗 ミャンマー
ウェブサイトwww.mm.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/

使: : Embassy of Japan in Myanmar使201835使[1]

沿革[編集]

  • 1942年3月、日本軍の軍事訓練を受けたアウンサンビルマ独立義勇軍が、日本軍と呼応して長らくイギリスに支配されていたビルマの首都ラングーンを占領する[2]
  • 1943年8月、それまでにビルマ全土を占領していた大日本帝国がビルマ国の独立を承認する[2]
  • 1943年8月1日、日緬同盟条約が締結される[3]
  • 1943年8月、ラングーンに在ビルマ日本帝国大使館が開設される[4][5]
  • 1943年11月23日、在ラングーン日本帝国総領事館英語: Consulate-General of Japan in Rangoon)が開設される[6]
  • 1945年3月27日、アウンサン率いるビルマ国民軍(ビルマ独立義勇軍より改称)が反日武装蜂起を決行する
  • 1945年6月15日、イギリス軍と呼応してラングーンを解放したビルマ愛国軍(ビルマ国民軍より改称)が戦勝パレードに参加する
  • 1945年8月15日、第二次世界大戦の敗戦により大日本帝国が崩壊[7]、この時までにラングーンの帝国大使館と帝国総領事館も閉鎖されている。イギリスはビルマの独立を承認せず再度自国の支配下に置く
  • 1948年1月4日、ビルマがイギリスから独立する[8]
  • 1952年4月12日、来たる日本国の独立に先駆けて「在外公館の名称及び位置を定める法律」が制定され、在ビルマ日本国大使館の設置が定められる[9]
  • 1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効により日本国が独立したが、ビルマは同条約の締結国ではない[10]
  • 1954年11月5日、ラングーンで日本国とビルマ連邦との間の平和条約(日緬平和条約)が締結され、日緬両国が国交再開に合意して[11]、ラングーンの日本国大使館がビルマで正式に承認される
  • 1989年6月18日、ビルマが国名をミャンマーに、首都ラングーンをヤンゴンに改称して[12]、これに伴いヤンゴンの大使館も在ミャンマー日本国大使館と改称される
  • 2006年2月17日、ミャンマーの首都がヤンゴンからネピドーに移転したが、日本国大使館は引き続き旧首都のヤンゴンに留まっている[13]

所在地[編集]

日本語 ヤンゴン市バハン郡区ナトマウク通り100番地[13]
ビルマ語 အမှတ် (၁၀၀)၊ နတ်မောက်လမ်း၊ ဗဟန်းမြို့နယ်၊ ရန်ကုန်မြို့[14]
英語 No. 100, Natmauk Road, Bahan Township, Yangon[13]

2021年ミャンマークーデターへの対応[編集]

在ミャンマー日本国大使館の前で反クーデター抗議デモをする市民

202121NLD2021[15]220使使使[16]

1202139使2便[17]

出典[編集]



(一)^ 使  :

(二)^ ab - 

(三)^ No.2  |  

(四)^ 10使使使使

(五)^  17 1201410pp.123-159 

(六)^  181227 5087p.49566 

(七)^ 駿9419953132-168ISSN 05625955NAID 120001439091 

(八)^   

(九)^  | 

(十)^ VI

(11)^  | 

(12)^ 調 241pp.171-197 1

(13)^ abc使 | 使

(14)^    (JLPT)  ကက |  

(15)^    - BBC

(16)^ 使使() -  - Yahoo!

(17)^   | 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]